2013年3月22日 (金)

ビジネスマナー:足らん所をおぎのうて(補って)

大阪から都内に転居して、息子のような年頃の若い起業家たちに出会う機会も増した。

「若いあの子ぉら(=起業家達)、自分の指針をどこに求めて、走る(=勉強するために行動する)のやろか?」
そんな目で彼らを見てみると、

A:利益向上のために、自身と同年代の経営コンサルタントに、スカイプなどのネット通信を使って相談する人。

B:人としての器を磨くために、尊敬する企業経営者の理念を学ぶ場に足を運び、〝今の自分に欲しい物(=指針・支え・言葉など)を得ようとする人。

このように大別できる。

Aは目先だけを見つめ、Bは理想とする経営者としての〝やがての自分〟を見つめている。
どちらも懸命に生きていく姿に変わりはない。

「自分の足らん所をおぎのうて(補って)、どこぞに拠り所(よりどころ=精神的な支え)を求めたいのやろな」
と感じつつ、50半ばの私は傍観者の一人にしか過ぎない。

距離を置き、見ている側の人間だから言えるのだろうが、
「完璧な人間なんていてへん。けどな、自分には何が足らんのかを感じとる力をつけな、あかんわなぁ」
と考える。

若い起業家たちは、この事に気づかず、
「〝常に前を向いて走っているから〟に安心してしもて、自分をトコトン客観視して、企業人の前に人として欠ける所を探る事、これ、せぇへんの、うちから言わしたら〝勿体ないで。そこが肝心やろな〟やわ」
口には出さないけれど、そう思っている。

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2013年1月 5日 (土)

ビジネスマナー:専門用語は噛み砕いて伝える

現在は、就職のために動くこと=『就職活動』を『就活』と呼んでも何の抵抗もない。
他に『婚活』もあれば、『終活(しゅうかつ)』という〝人生を終えるにあたっての活動〟の言葉も巷(ちまた)に広がってきた。

「専門用語かいな? それとも造語と考える方がええんやろか?」
と考えている間に、世の流れは速く、
「あれよ、あれよという間(ま)にやがな」
の思いを抱く頃には、一般的に通じる言葉になっている。


ところが、そこまで広がらない言葉もある。
例えば、ビジネスの場においては、話す相手が同じ業界の人か、そうでないかによって、
〝話す言葉を使い分ける〟ことが必要になる。


最近、政治家がよく口にする
「時間軸にそって」
という言い方も、国民一人一人に理解してもらいたいの気持ちがあるのなら、
「時(とき)の経過に従って」
「作業進行の予定と考え合わせながら」
の方が分かりやすい。

出版業界や、放送業界では、
「話のキモとなる部分」
という言い方が、最近はよく使われる。
これも、業界では違和感なく使われているが、一般的には
「話の肝心(かんじん)な所」
「話の重要な所」
の方が分かりやすい。


「時間軸」や「話のキモ」という言葉を使う人に出会う度、
『お宅さん、相手がお宅のいてる世界の人かどうか、分かって喋ってなはんのか?
ここにいてるんは、お宅のいてる世界とは違う人。そんな言葉、普段から殆ど耳にせぇへんと思いまっせ』
と、喋っている人の顔を見る。

『この言葉、つこたら(=使ったら)、えらい(=大変)この世界に通じてる人間に見えるとでも思てなはんのやろなぁ~』
溜息の代わりに下を向き、
『かしこ(=賢い人)と思われたいんやろけども。ほんまのかしこ(=本当に賢い人)は、〝一つの言葉を噛み砕いて、ちゃぁんと分かるように伝える事がでける(=できる)人でっせ』
俯(うつむ)いたまま心の中で言い終えると、顔を上げる。

『後(あと)、どんな言葉、つかわはんのやろ?』
ここまできたら、興味津々(きょうみしんしん)。
まだまだ専門用語や横文字言葉を話の間に挟みながら喋る人の顔を、じーっと見ている。

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2012年12月10日 (月)

ビジネスマナー:後引く第一印象

かれこれ15年程の付き合いになる経営コンサルティング会社の代表は、もう90歳近い。
色んな人に出会い、培った経験から、
「初対面の人でも、その性根を見極める勘は、えらいもん持ってはるわ」
と感心する。


90歳近いとはいえ、若く見える。
背筋も曲がっておらず、声量もあり、
「もうちょっと、ゆっくり動いた方がよろしのに」
と思うほど、動作もキビキビしている。

その方が、私を誰かに紹介してくれる際は、
「こいつな、えらいはんなりして、まぁ、一見おとなしというか、なんちゅうか、〝優しい女らしさ〟を感じさせるやろ? そやけどな、こいつの中身は、その辺の男より、う~んと男やぞ」
と笑いながら、先方に伝える。

私は否定もせず、穏やかな笑みと共に
「どうぞ、今後とも、よろしおたの申します」
と、ゆっくり頭を下げる。

連携プレーと言えなくもないが、こうして初対面の相手は、
『目の前で頭を下げる松尾の優しげな印象と、本当の姿は違うというわけか??』
困惑の表情が残る顔のまま、名刺交換をしてくれる。

就職戦線がスタートした。
ビジネスマナーでは、『好感のもてる第一印象を残すために』をテーマにかかげ、清潔感のある服装から始まって、言葉づかいや所作に渡る諸注意を伝える本や、ネットで配信されているものは多い。

が、年齢を経て、互いの信頼関係があってこそ成立する、誰かを誰かに紹介する時、またされる時の第一印象は、ある種の連携プレーが〝あ・うん〟の呼吸でなされていなければ、上手くいかない。

私の場合、「こいつ、信頼できる」と信用を得た人との〝あ・うん〟の呼吸で、紹介先の方に
『松尾って、一体、どんなやつやろ?』
の疑問を持って貰うことで、他の人とは一味違った〝後引く第一印象〟を残してきたように思う。

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2012年11月29日 (木)

何やって食べてんのや?

ライターや編集者をしている周囲の女性は、大概、
「親は、私が何をしているか、よく分からないようで」
と言う。

それは私も同様で、54歳にもなって尚、
「あいつ、何やってんのや?」
と、うちの父母は思っている。

実家は祖父の代から家具屋だ。
祖父がこの仕事を始めた頃は、家具職人の人たちがいて、製造・販売をしていた。
戦後、職人さんたちの幾人かが戦争で亡くなったのと、大手メーカーの製品を見て、
「これはとても太刀打ちできん。小売りだけにしょ」
となった。

椅子を1脚売れば、売値の何割かが利益として手元に残る。
祖父も父の代の時も、『つけ』=掛け売り(代金は購入時に支払わないで、月末に支払う)が殆どだった。
商品を指して「これにするわ。つけといて」の一言で、購入品だけをお客さんのお宅に配達した。

今のようなクレジットカード払いはなく、『つけ』はごく一般的で、月末に集金に行けば現金が入った。
中には、「いつ、あのつけの分、はろて(支払って)くれるんやろ」と、何年間も未支払いのままの人もいた。
が、多くの人はきちんと支払うべき時に支払ってくれたので、我が家の生活は成り立っていた。

私を含め、フリーのライターや編集者の立場は弱い。
支払日が守られなかったり、原稿料はこちらに落ち度がないのに値切られる等、
「へっ?! そんなんあり??」と驚くようなことは、何度も経験してきた。

そんな世界の話をしても、父母には合点がいかない。
「(お前のやってることは)よぉ分からん」から、
「あいつ、何やって食べてのや?」と不信感を抱かれて、かれこれ20年弱ほど経つだろうか。

時に仕事の内容を懸命に説明もしたが、
「なんや分からん話ばーかりして。そんな話、もうええ!」
父母の態度がそうなって以来、〝認めて貰えぬ情けなさ〟から抜け切れないできた。

父は来年80歳。母は77歳だ。
「よぉ分からん仕事やけど、一人でやってんのやさかい(一人で生活しているのだから)」
今は半ば雲をつかむような感覚で、私の仕事を捉えているようだ。

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2012年10月19日 (金)

後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ

長野県上田市まで行ってきた。

市内にある、池波正太郎真田太平記館で、
〝イベント:竹内志朗の舞台道具帳-剣客商売〟があったからだ。
父のように慕う竹内先生が池波正太郎作品で手掛けた手書きのタイトルや、舞台セットのデザイン画を館内に展示。
必殺シリーズのプロデューサーの仲川利久氏とのサロントークも行われた。

JR上田駅への帰り道、
『酒粕あります』の文字を見つけた。
「粕漬けしょうとおもてたとこやったし、丁度ええわ。こうて(買って)帰ろ!」
買った酒粕は3.7kg入り。

広い間口の店内には、鰹節の匂いも漂う。
「鰹節は、なんとまぁ、これもほしかった焼津産!!」

酒粕と鰹節を迷うことなく買った。
鰹節は軽いが、酒粕はズシンとくる重さだった。

少し歩くと、レトロな建物の飴屋さんがあった。
フラフラと中に引きこまれ、どっしりとしたガラス瓶のラベルに〝滋養豊富〟と書かれた『麦芽水飴』を購入。

手荷物もそこそこあったのに、
「ついつい、食材には手ぇが出て」
思いもかけぬ重さになった荷物を抱いて、新幹線に乗った。

座席につくなり
「後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ」
荷物の重さを急に感じ、これからの帰り道を思った。

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2012年9月24日 (月)

『ポジティブ』に要注意!

「僕(私)は、ポジティブだから」
という人がいる。

このタイプの人間は、どんな場面でも一旦はへこんで、反省めいた事を言うが、次の瞬間には、
「何事も、ポジティブに考えないと」笑顔を見せて、再度
「僕(私)は、ポジティブだから」
と締める。

この場合の
『ポジティブ:positive』は、「嫌なことがあっても、常に前向きに考える人」という事になる。

私も40代の前半までは、
「ポジティブ、それはそれでええわ」
と思っていた。

しかし、40も半ばを過ぎた頃から、この言葉を使う人の行動をよく見るか、思い返してみると、
「自分に都合のええよに考えて、人の事はどうでもええねんわ」
と、度々感じるようになった。

長らく感じていた事を、改めて整理すると、
「つまりは、自分が中心で、嫌な事があったら、
・なんでそないなったんやろか?
・自分のどこが悪かったんやろか?
・この先、どんな事に注意したらええんやろか?
ということを、全く考えもせぇへんということやな」
の結論に至った。

50半ばになった今、「ポジティブ」や「超ポジティブ」という言葉を使う人には、
『これは注意せな』
顔の上半分で笑って、口元だけは引き締める。

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2012年9月14日 (金)

ほんまの『いとさん』・『とぉさん』

船場生まれで船場育ちの母親を持つ人が、
「ある時、父親が、うちの母親に、『おい、お茶淹れてくれ』とゆうたのや。母親はゆっくりと腰を上げて、『うちが淹れますのやったら、ちょっと時間かかりますけど~』という具合で……。
あれ、きっと父親は、生まれも育ちも船場やなかったよって、カチンときてたと思うな」
と言っていた。

『いとさん(=お嬢さん)』
『とぉさん(=お嬢さん)』・・・大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 によると≪トォサン【嬢さん】(名)いとさん。お嬢さん。イトサンのイが脱落したもの。≫とある)
と呼ばれ、裕福な家庭で育ってきたこの明治生まれの女性は、物腰が兎に角ゆったり。
『いとさん』・『とぉさん』と呼ばれて育ってきたことにプライドがあった。
お茶を淹れるよりも、淹れて貰って〝飲む側〟で育ってきた女性だ。

「お茶一つ淹れるのも、もったいつけて(=尊大ぶる)」と、この家の主である話し手の父親は腹が立ったらしい。

話し手は80歳手前だ。
在りし日の父親と母親のやり取りを、懐かしげに、時に母恋しの表情を見せて話してくれた。
同時に、プライド高い連れ合いを持った父親に、一抹の憐れさを感じていたのも、話の合間に感じ取ることもできた。

そんな話を聞かせて貰う機会が、幸い、私には沢山あった。
話を通じて、ほんまの『いとさん』・『とぉさん』の雰囲気を感じる喜びも生まれた。

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2012年8月28日 (火)

ビジネスマナー:「こりゃ、どもならん!」編

前々から、ヤフーオークションを利用している。
大阪弁で言う「セコ」・「セコハン」(=中古品<今風にいうならUSED>も、新古品も、新品もある。
運よく、「あぁ、うれし」と思う金額で落札できるときもある。

問題は、その後の『振込案内のメール』だ。
商品を出している人(=出品者)からのメールに、住所・氏名は書いてあっても、電話番号がない事も多い。
もっとひどい場合は、名前(姓)しか連絡してこない人もいる。

この時点で、「こりゃ、どもならんがな! なんぼなんでも、最低限のビジネスマナーというもんがおまっせ」と腹が立つ。

そこで下記のようなメールを先方に送る。

〝この度は、お世話になります。
商品を落札致しましたが、○○様からのご連絡には、電話番号がございません。

ネット取引はお顔の見えない商取引です。
急な連絡が必要な場合もございます。
連絡のつく電話番号を明記してくださいますか?

よろしくお願いします〟

名前(姓)しか表示してこない出品者には
〝この度は、お世話になります。
商品を落札致しましたが、○○様からのご連絡には、お名前の表示しかございません。

このオークションは見ず知らずの者同士が、ネットを通して、信用し、商取引を行うものです。

出品者の住所や電話番号の記載がないのは、当方の不安につながります。

当方の住所・氏名・電話番号は、すでに記しています。
あなた様の住所・氏名(フルネーム)・電話番号をお教えください。 

よろしくお願いします〟


書いている私の心中は
『お宅さんが振込案内をもろた時、思い出してみぃな。
 
・郵便番号
・住所
・会社名
・電話番号
・HPアドレス
・会社のメールアドレス
これだけのもんが書いてあったと思うのやけれど。
今回でいうたら、せめてお宅の電話番号<または、住所・氏名・電話番号>は書いておくべきこと』

カチンと来ている心を抑え、最後に『
よろしくお願いします』と書き、送信する。

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2012年4月18日 (水)

「落とし所」に「話の肝」

「話が見えない」
どのくらい前から使い出したのか思い出せないが、はじめてこの言い方を聞いたとき、
『そんな表現、けったい(大阪弁:おかしい)やろ。よぉまぁ、そんなこと、言わはるわ』
内心、ムカムカしていた。

それも言うなら、
「話の内容の先が分かりません」
「話の結論が想像つきません」
ということで、
「なんで、そない言われへんのやろ?」
むかつき度は増し、果ては
「話が見えないと言うたら、なんや、かしこ(賢い・頭が良い)そうに見て貰えるとでも思てなはんのやろか。アホラシ(馬鹿馬鹿しい)」
とまで思った。

近頃は、横文字表現を除けば、
「落としどころ」
「話の肝」や「肝となる所」
「背骨となるのは○○なわけで」
パッと思いつくのは、こんな言葉の使い方だ。

「落としどころ」→「話がまとまる所・内容・合意点」
「話の肝」や「肝となる所」→「話の最も重要な部分」
「背骨となるのは○○なわけで」→「話のきちんと1本筋の通っていることは、○○ということで」

わざと業界人ぽく見せたい意識が奥底に潜んでいて使っている人もいる。
この言葉しか知らないから、誰に対しても同じ言葉を使う人もいる。

「どっちにしたかて、うちはこんな言葉をしたり顔で言う人はかなわん! あぁ~、イヤヤ、イヤヤ」
と思ってしまう。

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2012年4月11日 (水)

ツケでこぉた花かんざし(ツケ<月末清算>で買った花かんざし)

満開の桜の花を下から見あげて、
「ほんまに、花かんざしみたいや~」
溜息を洩らしながら、見入ってしまう。

小さな頃、花かんざしを数本持っていた。
髪が長く、普段は祖母に三つ編みにして貰っていたが、お正月には、祖母行きつけの〝髪結いさん〟(=美容院)で、『新日本髪』を結い上げて貰っていた。

「今年は、ほんちょっと桃割れみたいに、ゆうて(結って:ゆって)みたけど。おばあちゃん、どないです?」
必ず、髪結いさんは祖母に確認をとって、
「よぉでけたわ。赤い鹿の子も髪の間から見えて、映えるなぁ。よろし、よろしわ」
と祖母は応えた。

その後、今年用意の花かんざしを前髪部分にそっと挿し入れて、出来上がりだ。

昭和30年代半ば、花かんざしは、年末になると祖父に手を引かれて、町の小さな化粧品や髪飾りなどの小間物を置いている店に買いに行った。
買ってくれることに、正直、喜びはなかった。
というのも、
「ツケ(大阪弁:<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 より抜粋>月末勘定)にしといてんか」
そういうのが分かっていたからだ。

まだまだ幼い子が、ムスッとした大人びた表情で祖父を見て、
「どうせ、ツケなんやろ」
と言ったことを鮮明に覚えている。
『おじいちゃんやのぉて、おばあちゃんが払うんやろ』
と思うと、申し訳なくて、祖父に笑顔は見せられなかった。

しかしだ。
髪結いさんで、花かんざしを挿して貰った瞬間から、嬉しくて、笑顔は一日中持続した。

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