2012年10月 1日 (月)

縁結び

祖母の所には、見合い話の相談に来る人も多かった。
昭和30年代後半、まだまだ世の中の景気は良かった。
「うちの子ぉ、商売人がええといいますのや」
と言う人がいれば、
「公務員かサラリーマンで、ええ人がいてたら、宜しお願いしときますわ」
と言う人もいた。

祖母は生年月日や干支、本人の気質と希望を考え、
「ほな、この人とどないやろ?」
封書に入った『釣書(つりしょ)』と呼ばれる本人や本人の家族の略歴の書いたものを見ては、また別の釣書を取り出して
「一遍、声、掛けてみよか」
と言っては、取り出した2通の釣書を元の封筒の中にしまった。

祖母の声掛けで気が合い、
「夫婦(めおと)になって、やっていけそう」
と相談に来ていた人の息子さんや娘さんが感じたのなら、祖母は『縁結びのおばあちゃん』である。

54歳の私は、見合い話のお世話はしたことはない。
だが近頃、ビジネスやビジネス以外の場で、男性・女性の関係なく、
「なぁ、一遍、顔、合わせてみぃひん?(=してみない?)」
「おぉて(=会って)みてもええんとちがう?」
知り合いの誰ぞと誰ぞ(=誰かと誰か)を引き合わせる機会が多くなった。

そうして何かが良い方向に進めば、
「そらもう、言うことおまへんわ」
である。

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2012年9月14日 (金)

ほんまの『いとさん』・『とぉさん』

船場生まれで船場育ちの母親を持つ人が、
「ある時、父親が、うちの母親に、『おい、お茶淹れてくれ』とゆうたのや。母親はゆっくりと腰を上げて、『うちが淹れますのやったら、ちょっと時間かかりますけど~』という具合で……。
あれ、きっと父親は、生まれも育ちも船場やなかったよって、カチンときてたと思うな」
と言っていた。

『いとさん(=お嬢さん)』
『とぉさん(=お嬢さん)』・・・大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 によると≪トォサン【嬢さん】(名)いとさん。お嬢さん。イトサンのイが脱落したもの。≫とある)
と呼ばれ、裕福な家庭で育ってきたこの明治生まれの女性は、物腰が兎に角ゆったり。
『いとさん』・『とぉさん』と呼ばれて育ってきたことにプライドがあった。
お茶を淹れるよりも、淹れて貰って〝飲む側〟で育ってきた女性だ。

「お茶一つ淹れるのも、もったいつけて(=尊大ぶる)」と、この家の主である話し手の父親は腹が立ったらしい。

話し手は80歳手前だ。
在りし日の父親と母親のやり取りを、懐かしげに、時に母恋しの表情を見せて話してくれた。
同時に、プライド高い連れ合いを持った父親に、一抹の憐れさを感じていたのも、話の合間に感じ取ることもできた。

そんな話を聞かせて貰う機会が、幸い、私には沢山あった。
話を通じて、ほんまの『いとさん』・『とぉさん』の雰囲気を感じる喜びも生まれた。

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2012年4月11日 (水)

ツケでこぉた花かんざし(ツケ<月末清算>で買った花かんざし)

満開の桜の花を下から見あげて、
「ほんまに、花かんざしみたいや~」
溜息を洩らしながら、見入ってしまう。

小さな頃、花かんざしを数本持っていた。
髪が長く、普段は祖母に三つ編みにして貰っていたが、お正月には、祖母行きつけの〝髪結いさん〟(=美容院)で、『新日本髪』を結い上げて貰っていた。

「今年は、ほんちょっと桃割れみたいに、ゆうて(結って:ゆって)みたけど。おばあちゃん、どないです?」
必ず、髪結いさんは祖母に確認をとって、
「よぉでけたわ。赤い鹿の子も髪の間から見えて、映えるなぁ。よろし、よろしわ」
と祖母は応えた。

その後、今年用意の花かんざしを前髪部分にそっと挿し入れて、出来上がりだ。

昭和30年代半ば、花かんざしは、年末になると祖父に手を引かれて、町の小さな化粧品や髪飾りなどの小間物を置いている店に買いに行った。
買ってくれることに、正直、喜びはなかった。
というのも、
「ツケ(大阪弁:<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 より抜粋>月末勘定)にしといてんか」
そういうのが分かっていたからだ。

まだまだ幼い子が、ムスッとした大人びた表情で祖父を見て、
「どうせ、ツケなんやろ」
と言ったことを鮮明に覚えている。
『おじいちゃんやのぉて、おばあちゃんが払うんやろ』
と思うと、申し訳なくて、祖父に笑顔は見せられなかった。

しかしだ。
髪結いさんで、花かんざしを挿して貰った瞬間から、嬉しくて、笑顔は一日中持続した。

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2012年4月 6日 (金)

Facebookで桜咲く

Facebookでは、職種や年齢が異なる色んな人と繋がる。
「けど、うちの友達は、やっぱり、ライターや出版関係の人が多いかも」
友達リストを見て、そんなことを思った。

桜が一気に咲いた。
そのせいか、桜に関する思いを短く綴った書き込みに目が行く。

ある人が新古今集から、桜の句をあげれば、
「では、私が思い出すのは」と、別の人は徒然草から出典の一句を出してくる。
こうして桜を詠んだ句を書き込みながら、Facebook上でやり取りが続いていた。

そこに参戦した私。
書き込みは下の文章だ。
『生涯を恋にかけたる桜かな      鈴木真砂女
この句、「さすがやなぁ~。うち、死ぬとき、こない言うたろ」と思てますねん。フフフ☆☆』

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2012年3月23日 (金)

優しいキス

昨夜は27歳のイケメン:キイチと神田で食事をした。
うちの長女のアイの幼馴染で、私にとっては愛しい息子そのものだ。

もう24年も前のこと。
キイチとアイが3歳の時、キイチ一家は仕事の都合で実家のある静岡に帰ることになった。
新大阪の新幹線ホームで、車両のドアを境に、私はアイを抱き上げ、キイチはキイチのママに抱っこされて向き合っていた。
もうすぐドアが閉まる直前、キイチがアイの頬を小さな両手でそっと包み、優しくて切なさが伝わるようなキスをした。
その行為を目の前で見た母親たちは、「へっ?!」と唖然としたまま固まった。

やがて、ドアは静かに閉まり、新幹線は滑るように走り始めた。
抱きかかえたままのアイを見れば、何事もなかったかのように、
「バイバイ」と遠のく新幹線に手を振り続けていた。
一方、キイチはドアが閉まってから、
「アイとは別れたくなかったんだよ~」と京都まで泣き続けたと、後日、キイチのママからの電話で知った。

そんなことがあったキイチは、結婚も考える年齢の立派な青年になった。

家族関係も、家族のそれぞれの性格まで知っているキイチとの話は尽きない。
二人で向き合いながら、色んな話をした。

とろけるような楽しいひと時を過ごすことができたほっこり感は、今朝も続いている。
「あぁ~、しあわせ~」で、今日も一日が始まった。

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2011年11月 8日 (火)

電子書籍 『男と女の胸の内』

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電子書籍で拙著
『男と女の胸の内』の販売が始まった。

綺麗なイラストで、ipadで見た時は
「ほぉ~」と声が出た。

購入先は、電子書籍の販売サイト honto。
 ↓ (下記が販売サイト)
https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do?seriesId=B-MBJ-24101-120083778-001-001


ダウンロードの仕方を詳しく説明したのが
http://www.publabo.co.jp/honto/

電子書籍出版社の(株)パブラボで作ってもらった。


周囲の皆さんの協力と支えがあって、自分の書いたものが形となっていく。
「いま、もう、ほんまのほんまに、おおきに。ありがとうございます」
心から、そう思う。

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2011年10月 3日 (月)

『男と女の胸の内』 電子書籍化完成間近

最新刊案内のバナーを貼った。

電子書籍出版社 (株)パブラボ

http://www.publabo.co.jp/
 

 ↑
HPにも告知がある。

「こないに綺麗なバナー作ってくれるやなんて、ほんま、うれしわ~(嬉しいわ)」
そりゃもう、ニコニコしてしまう。

お酒の月刊誌『TARU』に2年間連載した24篇に、新たに6篇書き加えた1話完結の30篇の“男と女のショートストーリー”。

「遊び人のおじいちゃんに育ててもろて、良かったわぁ。フフフ」の思いがあって書いた『私的遊び人論』
「女子(おなご)の本音は、到底、男はんには分かれしまへんやろけど……」と思って書いた『女の言葉』
「粋(すい)なお人は、こんなとこにも気ぃつこてはります」と思い出を振り返った『残り香』

などなど、30篇はどれも思い出深い作品だ。

電子書籍として販売が開始すれば、ipadなどでも読んでもらえる。
「フフフ、ホホホ」
  ↓ 
「ドキドキ、ワクワク」
  ↓ 
「うれし(嬉しい)、たのし(楽しい)」
毎日、バナーを見るたびに、気持ちはこの順で動いていく。

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2011年9月 3日 (土)

あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ

「悔いなく生きたい」を、うち(私)のつこてる(使っている)大阪弁で言うたら、
「そやなぁ」と、ほんちょっとのまぁ(間)、考えた。

「あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ」
と、こうなる。

東京での一人暮らしを満喫しながら、何かの拍子に、
『結婚と離婚』を考える。
「結婚しといてよかった」であり、「離婚も経験してよかった」と思う。

「子育ては?」は、「無我夢中やった」というのが本音だ。


9月11日の誕生日を迎えると、満53歳。
「過ごしてきたどんな時も、その時、うちの出せる力をぜーんぶ注いできたんかもしれへん」と感じる。

「あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ」は、大根(おぉね:心・心の芯)には持っているけれど、そう生きてきた53年間を振り返って出る言葉は、
「まっ、ええか~」とお気楽なもんである。

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2011年6月29日 (水)

大阪弁:「なぶる(嬲る)=からかう」

女性に軽口を言うのが趣味だった祖父。
若い頃から、今で言う『ナンパ』の腕を磨いてきたので、年齢をとっても、どんな場所へ出ても女性に声を掛けるのが巧かった。

女性に会えば、先ず、どこか一ヶ所を褒める。
「○○さん、今日の口紅の色、ええなぁ」
「その服、あんたに、よぉ、映るわ」

ねき(側)に孫の私がにいても、そんな事は気にしない。
女性への褒め言葉は、「そんなもん、言うのが当たり前のこっちゃで」である。
その場と時に応じた“女性が言われてクスッと喜ぶ一言”が繰り出された。

<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>には
── ナブル【嬲る】(動) さわる。いじる。もてあそぶ。おもちゃにする。 さらに、からかう。嘲笑する。
とある。

世の中には、品なくなぶる輩はウヨウヨいるが、
「おじいちゃん、なぶるの(この場合は『からかう』の意味)、大したもんやったわ」
と、妙に感心する。

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2011年6月22日 (水)

ドンならんがな(困ったものだ)

自分でも、「ドンならんがな」と思うことがある。
娘達が呆れながら認める〝グランドファザコン(グランドファーザーコンプレックス)〟だ。

育てて貰った松尾の祖父:祥平(しょうへい)にも、母方の祖父:繁市(しげいち)にも、情けないほど強い愛着を持って、
「早(はや)53年も、来てしもたがな~」である。

勝ち気な女性を“コロッといてこます(=難なくものにする)”のが上手だった祥平。
朴訥だから故に女性に人気のあった繁市。
「そやそや、(繁市)おじいちゃんの体の見事な事。そらもう、腹筋は6つに割れてるし、手足も長いし……」
こう喋り出したら止まらない。

「二人とも、死んでるやん」
娘達がこう言っていた時期も疾(と)うに過ぎ去り、
「また始まった。はいはい」
とかわされて、両祖父への熱き思い出語りは強制終了となる。

いつまでも、遊び上手な祥平を思い、美しい体を持っていた繁市に憧れるのは、
「ほんまにドンならんで(=本当に困ったものだ)」
と思っている。

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