2013年5月20日 (月)

大阪弁:しょぉない(仕様がない=仕方がない)

前回のブログに書いた私の睡眠時無呼吸症の治療は、CPAPという呼吸器を装着して眠る。
参考までに、私が使用中の帝人のCPAP治療法のHPには、イラストで装着図や詳しい説明がある。↓
http://www.teijin-pharma.co.jp/zaitakuiryou/cpap/cpap02_02.html

装着を始めた頃は、
「バンドやホースが、なんや体に巻きつくようで、眠りにくいわぁ~」
と感じたが、今や全く苦にならない。
以前に比べると昼間の眠気はかなり改善された。
「ええ調子や」
と喜んでいた。


だが、ここひと月はまた以前のように昼食後の眠気が襲ってくる。

担当の先生は、CPAPの機器に入っているデータチップの解析を月に一度の受診時に見て、
「眠り始めて3時間は深い睡眠状態で……それからは、どうなの?」
解析データを見て尋ねてくれた。
「ウトウト状態で、あんまり眠られへんのです」
と正直に答えた。
「CPAPを付けていても、そこからの空気漏れもないから、装着状態はいいのよ。何か理由があるの?」
優しく問いかけてくれた。
「騒音がひどぉて。マンションのどの部屋から出てる音か特定はちょっと無理やけど、気になる音が続いて」
『ほんまに困ってますねん』と顔に出ていたのだろう。
先生は、「よし! 心得た」とばかりに、
「耳栓をしてごらん。色んなタイプがあるから、自分に合うのを探して試してごらん。イヤンやヘッドホンで音楽を聴く方法もあるけど、CPAPの機器で頭や顔に付けている物が多いから、これ以上何かが付くのは嫌でしょ」
受診しての帰り道、早速、薬局で耳栓を買った。

寝る前は忙しい。
布団を敷く→お風呂に入る→CPAPの機器を取り出し装着準備→耳栓をする→CPAP装着完了→機器のスイッチ オン

「バタバタと忙しけど、安眠のためにはしょぉない(仕様がない=仕方がない)わ」
と呟いて目を閉じる。

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2013年5月10日 (金)

睡眠時無呼吸症候群

『睡眠時無呼吸症候群』
この言葉を耳にした人は多いと思う。

「うち(私)、これやろかぁ??」
ボンヤリ、モヤモヤとした気持ちがわいてきたのは、もうどのくらい前かも思い出せない。

ただ、18年程前には、昼間の耐えられない眠気は、昼食をとると余計に増していた。
それもあって、外で仕事をするときは、昼はコーヒー程度で済ませていた。
食べるのが遅い私には、昼食時の込み合った喫茶店や、ファミレスで食事をするのは、
「うち一人で、長いこと座ってしまうことになる……お店側にとったら、敵わんことやろし」
という気持ちもあった。
「昼食はコーヒー1杯で充分や」と、精神面でもこの方が気楽だった。


ところが、いびきは次第にひどくなっていき、目覚める直前、自分のいびきに気が付くようになった。


東京に来て、〝かかりつけのお医者さん〟になって下さる良心的な先生と巡り合えた。
先生の紹介で『睡眠時無呼吸専門の病院』を紹介してもらい、検査を受けた。
「閉塞性睡眠時無呼吸症候群で、症状は重度寄りの中度」の結果が出て、現在はCPAPを装着して寝ている。

*参考までに、ウィキィペデアの『睡眠時無呼吸症候群』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E6%99%82%E7%84%A1%E5%91%BC%E5%90%B8%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
を読んでみてもらいたい。
「あれ? ひょっとして、僕も(私も)、これ?!」と思い当たる人がいるかもしれない。

『睡眠時無呼吸症』と聞けば、
「痩せなさい。痩せれば治るのよ」の一点張りの人にも出会った。

たしかに症状の軽減や治すためには、痩せる事も大事だ。
しかしながら、私の場合は〝顎が小さい〟事が原因にもなっているので、
「痩せただけでは、うちは、あかんねん。素人考えだけやと、こわいで」
と考える。

もしも、「睡眠時無呼吸かも?」と思う人がいたら、早めに専門医に診て貰うことをお勧めする。

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2013年3月22日 (金)

ビジネスマナー:足らん所をおぎのうて(補って)

大阪から都内に転居して、息子のような年頃の若い起業家たちに出会う機会も増した。

「若いあの子ぉら(=起業家達)、自分の指針をどこに求めて、走る(=勉強するために行動する)のやろか?」
そんな目で彼らを見てみると、

A:利益向上のために、自身と同年代の経営コンサルタントに、スカイプなどのネット通信を使って相談する人。

B:人としての器を磨くために、尊敬する企業経営者の理念を学ぶ場に足を運び、〝今の自分に欲しい物(=指針・支え・言葉など)を得ようとする人。

このように大別できる。

Aは目先だけを見つめ、Bは理想とする経営者としての〝やがての自分〟を見つめている。
どちらも懸命に生きていく姿に変わりはない。

「自分の足らん所をおぎのうて(補って)、どこぞに拠り所(よりどころ=精神的な支え)を求めたいのやろな」
と感じつつ、50半ばの私は傍観者の一人にしか過ぎない。

距離を置き、見ている側の人間だから言えるのだろうが、
「完璧な人間なんていてへん。けどな、自分には何が足らんのかを感じとる力をつけな、あかんわなぁ」
と考える。

若い起業家たちは、この事に気づかず、
「〝常に前を向いて走っているから〟に安心してしもて、自分をトコトン客観視して、企業人の前に人として欠ける所を探る事、これ、せぇへんの、うちから言わしたら〝勿体ないで。そこが肝心やろな〟やわ」
口には出さないけれど、そう思っている。

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2013年3月 4日 (月)

「あほのあほ」・「あほのかしこ」・「かしこのあほ」・「かしこのかしこ」

15年程前だろうか?
ある先生に、
「お前な……」
と切り出された時の事を、度々思い出す。

『先生』と呼ばれるその人は、経営コンサルタントを表看板にしていたが、政界や企業のお偉方、中小企業の経営者やメディア関係と、幅広い人脈を持っていた。

「ええか。よぉ覚えときや。人はな、〝あほのあほ〟・〝あほのかしこ〟・〝かしこのあほ〟・〝かしこのかしこ〟と、こない分けることがでける。フフフ」
と笑って言った。
「ほな、うちは、〝あほのあほ〟ですわ」
と告げると、
「〝あほのあほ〟では、僕とは話が合わん。けど、まぁ、〝かしこのかしこ〟までもいかんなぁ~」
ケラケラと笑っていた。

一息ついて、急に真顔になったかと思うと、
「ビジネスでもなんでもそうや。〝かしこのあほ〟は、どないもならん。お前、なるなよ!」
語尾きつく言われた。


さて、ここで先生の言う分類を大まかに解説すると、

・〝あほのあの〟は、ほんまにあほ。
→しかし、人によっては「愛嬌がある」とも受け取れる言動をする。

・〝あほのかしこ〟は、あほのように見せて、ほんまは賢い。
→愛嬌もあり、機転も利く。人に可愛がって貰える。

・〝かしこのあほ〟は、賢いように見せても、ほんまはあほ。
→愛嬌がない。人に煙たがられていても、気づかない。

・〝かしこのかしこ〟は、ほんまに賢い。
→文句のつけようがない。人から尊敬される。

「〝かしこのあほ〟はな、世の中には、よぉけ(=沢山)いてるやろ。世間から、賢い人やと見て貰いたい、頭のええ人間やと思て貰いたいのやろ。そやけどな、そこにあほが出るのや。フフッ、〝かしこのかしこ〟は、そんなとこ、見せへんがな」


今もって、とても〝かしこのかしこ〟にはなれないが、
「〝かしこのあほ〟になったら、救いようがないわ。何とか、〝あほのかしこ〟の入口のとこまで……いやぁ、これはなぁ、はぁー、えらい難しことや」
と、ずーっと感じている。

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2013年2月22日 (金)

綺麗な大阪弁

月に一度は、主宰する文章教室の授業のため、関西に行く。

都内、千代田区神田に住んで1年半が過ぎた。
順応性がいいのか、幾度も転居をしてきたせいか、
「うちは、一旦住んでたとこ(所)から離れたら、実家も、大阪も、皆々、〝帰る〟とこやのぉて、〝行く〟とこになってしもてから」
自分の持つ習性がおかしくて、クッっと笑ってしまう。


授業の前に立ち寄る場所があったので、大阪駅前でタクシーに乗って、先ずそこに向かった。
車に乗るなり(=乗ってすぐ)、
「運転手さん、ほんそこまでで(=ほんのそこまでの短い距離で)、えらい悪おますけど……場所、ここですねん」
場所を示した地図を渡した。
「あぁ、ここなら、裏から抜けた方が早いですわ(=裏道を通った方が早いですね)」
と行先を確認して、出発した。

「お客さん、えらい綺麗な大阪弁ですな」
発車してすぐ運転手さんは言った。
『うちの話し言葉が、えらい綺麗な大阪弁やなんて……もうこんな喋り方する人は、ほんまにいてへんようになってしもたんや』
と思った。

運転手さんは70歳近く見えた。
『この年代の人ら(=人たち)がのぉなったら、綺麗な大阪弁すらも分かれへんよになるのとちがうやろか?』
そんな思いも浮かんだ。

言葉は生き物だ。
大阪弁も変化し続けている。

大阪弁の死語は増え、
「何いうてんの?」
という顔をされることもあるので、話す相手を見て使う言葉を選んでいる。

『とは言うても、古い大阪弁を使えるお人と話してる時が、一番気ぃよお(=気持ちよく)話せるわ』


「ほんそこまで」と告げた目的地までは、あっという間に着いた。
「おおきに、おおきに。助かりました」
礼を言い、車を降りた。
「ほな、気ぃつけて」
送り出してくれた運転手さんの一言が、嬉しかった。

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2013年2月15日 (金)

ビジネスマナー:時には、かいしょもん(甲斐性者)に成ってみたらどないだす

昨日、出先で昼食をとりに入った店は、リンガーハットだ。
カウンター形式の3人席の一番右端の席に通された。

すでに左側には2人のサラリーマンが座っていた。
一番左側の端席に40代らしき上司、私の隣りには20代後半の部下が座っていた。
注文は済み、若い部下が
「ここの美味しいんですよね」
の一言にワクワク感がにじみ出ていた。

しばらくすると、先に大鉢入りの野菜たっぷりちゃんぽんが運ばれてきた。
上司は「ここ、置いて!」と店の人に指示して、鉢が置かれた瞬間から、一気に食べ始めた。
大鉢入りのちゃんぽんが半分ほどになった頃、小ぶりの鉢に入ったちゃんぽん+ご飯+餃子がついたセットメニューが運ばれてきた。

ここで上司は「あっ」と小さく言った。
部下は「いいです、いいです」と苦笑いの後、すぐに悲しそうな表情に変わった。
「これ、お前のやったんか~。いやー、なぁ~んか、おかしなぁとおもてたんやけどな」
と、半分以上平らげていた上司の箸が止まった。
「い、いえ、ボク、これで(いいので)」
若い部下は、ペコンと頭を下げた。

それからは会話のないまま、上司と部下は食事を終えた。
『さぁて、問題はお勘定の時や。この上司、部下の注文分をペロッと食べといて、自分の分しか払えへんのやろか?』

先にレジに並んだ上司は、案の定、自分の分しか払わない。
部下は、食べたかった大盛りちゃんぽんを食べることなく、やむなく食べたスモールちゃんぽん+白ご飯+餃子3個のランチセットメニュー料金:490円を支払った。

『あ~あ、なんで、〝おい、悪かったな。僕がまちごて君が注文してあったの食べたんや。今日の昼代、僕、払とくわ〟くらい言われへんねんな!
時には〝ここは僕が出すさかい〟と、かいしょもん(甲斐性者=甲斐性のある人・しっかりした人)に成ってみたらどないだす』

ビジネスマナーは社外でも社内でも、しっかりとある。
「僕の食べた分は僕が払うんやよって、君の食べた分は君がはろて(払って)当然やろ」
というようなこの上司の態度が、今回の場合は情けないの一言に尽きる悪い例のビジネスマナーだ。

「かいしょなし(甲斐性無し)の上司と、これから仕事で連れ立った都内回るんやろか」
1000円札を出して490円の食事代を払い、おつりを財布に入れている部下の姿を見て、そんな事を思った。

部下を上手に使うのも扱うのも、上司の仕事。
「察するに、あの上司にビジネスセンスはない!」
出て行った二人の背中を目で追い、そう思った。

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2013年1月23日 (水)

ビジネスマナー:大事なんは、借りる時より返す時

『人に○○を借りる』
とくれば、
○○に入るのは、
時に〝力〟=自分にはない能力
時に〝恩〟=温情をかけてもらう
時に〝時間〟=忙しい相手の貴重な時間を割いてもらう
そして、
時に〝お金〟である。

形のないもの、形のあるものと、借りるものは
「その時によって、ちごてくるわ(違ってくる)」

人は勝手なもので、
「借りるときは、そらもう懸命に言葉や態度で〝窮地を救ってほしい〟〝今さえしのげれば〟の思いを込めて言うのに、返す時は、あの〝窮地を救ってくれて助かった〟の気持ちが、まるで元々なかったかのようになるんが、まぁ~常(つね)やわな」

けれど、ビジネスをしていく上で、借りた○○を返す折の真摯な態度があれば、
「こいつに貸して良かった」
「あの時、微力でも力になっておいて良かった」
と、貸した方は思い、
『おきばりやす(頑張れ)』
口には出さずともエールを送る。


返す時の真摯な態度があればこそ、〝信用〟がつき、次の難題に当たって右往左往している時に
「おい、力、貸したろか?」
と、また○〇を貸してくれ、助けてくれる人が現れる〝源〟になる。

どんな時でも、どんな事でも、
「大事なんは、借りる時より返す時でっせ」

こんな事は、ビジネスマナーとしては誰も教えてくれないかもしれない。
けれど、これはビジネスマナー+人としての基本だ。

今年で55歳の私からしてみれば、息子のような年頃の起業家達を見るたびに
「借りる時より返す時の態度で、伸びていく人、消えていく人が決まるいうても、おかしないねんで」
と思っている。

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2013年1月 5日 (土)

ビジネスマナー:専門用語は噛み砕いて伝える

現在は、就職のために動くこと=『就職活動』を『就活』と呼んでも何の抵抗もない。
他に『婚活』もあれば、『終活(しゅうかつ)』という〝人生を終えるにあたっての活動〟の言葉も巷(ちまた)に広がってきた。

「専門用語かいな? それとも造語と考える方がええんやろか?」
と考えている間に、世の流れは速く、
「あれよ、あれよという間(ま)にやがな」
の思いを抱く頃には、一般的に通じる言葉になっている。


ところが、そこまで広がらない言葉もある。
例えば、ビジネスの場においては、話す相手が同じ業界の人か、そうでないかによって、
〝話す言葉を使い分ける〟ことが必要になる。


最近、政治家がよく口にする
「時間軸にそって」
という言い方も、国民一人一人に理解してもらいたいの気持ちがあるのなら、
「時(とき)の経過に従って」
「作業進行の予定と考え合わせながら」
の方が分かりやすい。

出版業界や、放送業界では、
「話のキモとなる部分」
という言い方が、最近はよく使われる。
これも、業界では違和感なく使われているが、一般的には
「話の肝心(かんじん)な所」
「話の重要な所」
の方が分かりやすい。


「時間軸」や「話のキモ」という言葉を使う人に出会う度、
『お宅さん、相手がお宅のいてる世界の人かどうか、分かって喋ってなはんのか?
ここにいてるんは、お宅のいてる世界とは違う人。そんな言葉、普段から殆ど耳にせぇへんと思いまっせ』
と、喋っている人の顔を見る。

『この言葉、つこたら(=使ったら)、えらい(=大変)この世界に通じてる人間に見えるとでも思てなはんのやろなぁ~』
溜息の代わりに下を向き、
『かしこ(=賢い人)と思われたいんやろけども。ほんまのかしこ(=本当に賢い人)は、〝一つの言葉を噛み砕いて、ちゃぁんと分かるように伝える事がでける(=できる)人でっせ』
俯(うつむ)いたまま心の中で言い終えると、顔を上げる。

『後(あと)、どんな言葉、つかわはんのやろ?』
ここまできたら、興味津々(きょうみしんしん)。
まだまだ専門用語や横文字言葉を話の間に挟みながら喋る人の顔を、じーっと見ている。

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2012年12月10日 (月)

ビジネスマナー:後引く第一印象

かれこれ15年程の付き合いになる経営コンサルティング会社の代表は、もう90歳近い。
色んな人に出会い、培った経験から、
「初対面の人でも、その性根を見極める勘は、えらいもん持ってはるわ」
と感心する。


90歳近いとはいえ、若く見える。
背筋も曲がっておらず、声量もあり、
「もうちょっと、ゆっくり動いた方がよろしのに」
と思うほど、動作もキビキビしている。

その方が、私を誰かに紹介してくれる際は、
「こいつな、えらいはんなりして、まぁ、一見おとなしというか、なんちゅうか、〝優しい女らしさ〟を感じさせるやろ? そやけどな、こいつの中身は、その辺の男より、う~んと男やぞ」
と笑いながら、先方に伝える。

私は否定もせず、穏やかな笑みと共に
「どうぞ、今後とも、よろしおたの申します」
と、ゆっくり頭を下げる。

連携プレーと言えなくもないが、こうして初対面の相手は、
『目の前で頭を下げる松尾の優しげな印象と、本当の姿は違うというわけか??』
困惑の表情が残る顔のまま、名刺交換をしてくれる。

就職戦線がスタートした。
ビジネスマナーでは、『好感のもてる第一印象を残すために』をテーマにかかげ、清潔感のある服装から始まって、言葉づかいや所作に渡る諸注意を伝える本や、ネットで配信されているものは多い。

が、年齢を経て、互いの信頼関係があってこそ成立する、誰かを誰かに紹介する時、またされる時の第一印象は、ある種の連携プレーが〝あ・うん〟の呼吸でなされていなければ、上手くいかない。

私の場合、「こいつ、信頼できる」と信用を得た人との〝あ・うん〟の呼吸で、紹介先の方に
『松尾って、一体、どんなやつやろ?』
の疑問を持って貰うことで、他の人とは一味違った〝後引く第一印象〟を残してきたように思う。

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2012年11月29日 (木)

何やって食べてんのや?

ライターや編集者をしている周囲の女性は、大概、
「親は、私が何をしているか、よく分からないようで」
と言う。

それは私も同様で、54歳にもなって尚、
「あいつ、何やってんのや?」
と、うちの父母は思っている。

実家は祖父の代から家具屋だ。
祖父がこの仕事を始めた頃は、家具職人の人たちがいて、製造・販売をしていた。
戦後、職人さんたちの幾人かが戦争で亡くなったのと、大手メーカーの製品を見て、
「これはとても太刀打ちできん。小売りだけにしょ」
となった。

椅子を1脚売れば、売値の何割かが利益として手元に残る。
祖父も父の代の時も、『つけ』=掛け売り(代金は購入時に支払わないで、月末に支払う)が殆どだった。
商品を指して「これにするわ。つけといて」の一言で、購入品だけをお客さんのお宅に配達した。

今のようなクレジットカード払いはなく、『つけ』はごく一般的で、月末に集金に行けば現金が入った。
中には、「いつ、あのつけの分、はろて(支払って)くれるんやろ」と、何年間も未支払いのままの人もいた。
が、多くの人はきちんと支払うべき時に支払ってくれたので、我が家の生活は成り立っていた。

私を含め、フリーのライターや編集者の立場は弱い。
支払日が守られなかったり、原稿料はこちらに落ち度がないのに値切られる等、
「へっ?! そんなんあり??」と驚くようなことは、何度も経験してきた。

そんな世界の話をしても、父母には合点がいかない。
「(お前のやってることは)よぉ分からん」から、
「あいつ、何やって食べてのや?」と不信感を抱かれて、かれこれ20年弱ほど経つだろうか。

時に仕事の内容を懸命に説明もしたが、
「なんや分からん話ばーかりして。そんな話、もうええ!」
父母の態度がそうなって以来、〝認めて貰えぬ情けなさ〟から抜け切れないできた。

父は来年80歳。母は77歳だ。
「よぉ分からん仕事やけど、一人でやってんのやさかい(一人で生活しているのだから)」
今は半ば雲をつかむような感覚で、私の仕事を捉えているようだ。

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