2012年5月12日 (土)

ほんまに、これはけったいな

死にそうになったことは、3度ある。
事故で2回、病気で1回。

とはいえ、お花畑が見えただの、三途の川を渡りそうになっただの、そんな記憶は全くない。

「死んだことなんぞ、一遍もあらへんさかい、向こうの世界があるやら、ないやら、そんなこと、うちには分かれへんけども……。生きていったら、どっちにしたかて、誰もが死んでしまうわけで」
と思い、
「のぉなった人はたんといてる。そやなぁ、死んでから、向こうで会えるもんなら会いたい人かて、仰山いてることはいてんねん」

ここまで考えていたら、人のほかに、可愛がっていたペットの犬・猫・兎の姿が浮かんできた。
それらペットたちの全員に会いたいわけではないが、できるならも一遍抱いて、その毛をなでやりたいペットもいる。

「人もペットもおんなじやわ。のぉなってからでも会いたい人もいてたら、今生限りでよろしわと思う人もいてるもん」

ところが不思議なことに、『会うのは今生限りでよろしわ』と浮かぶ顔は、皆、生きている人たちばかりだ。
「ほんまに、これはけったいな」と笑ってしまう。

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2012年3月20日 (火)

みなまでゆわんかて分かりまっせ(=全て言わずとも分かる)

2軒隣の家の前に、トラ猫が日向ぼっこをしていた。
「ぬくぅて、ここやったら、ええ塩梅やな」
屈(かが)んで声をかけると、慌てて家の中に入ってしまった。

「トラちゃん(勝手にこの時に付けた名前)、あんた、そない怖がらんかて、ええって。うち、なーんにもせぇへんさかい。トラ、ほら、出てきてみ。ここ、ここ、おいで」

すると、トラは出てきて、私と目を合わせた。
「うん? どっか他の猫と、この子、違うねんなぁ。どこやろ?」
顔の様子が……どうも、違う。
「あっ、鼻提灯が出てる!」
響いてくる喉のゴロゴロ音もやけに濁っている。

「まぁ、トラ、あんた、鼻水垂れるわ、息はしにくわで、しんどいやろ。かわいそうに」
トラはすり寄ってきて、
『そうだすねん。この季節、かないまへんわ』
場所は神田だ。
こんな大阪弁で喋ることもないだろうが、トラの気持ちとしてはこんなもんだと解釈した。

「あんな、うちかてアレルギーあんねん。みなまでゆわんかて、よぉ分かる」
背を撫でると、トラの鼻提灯はさらに大きく膨れて、はじけた。

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2011年9月25日 (日)

たよんない(頼りない)気持ちがくすぼって(燻ぼって)

時々、夢を見て目覚めてから
「あれ? うち(私)、こんな脆い(もろい)とこも、あったんやろか」
と思う時がある。

どこかたよんない(頼りない)気持ちがくすぼって(燻ぼって/くすぼる:大阪弁では『くすぶる』が行訛して、『くすぼる』という)いるとき、今は亡き自分の頼りとする人が夢に出てくる。

「こんなんを夢枕に立つとかいうんやろけど……」
目覚めるときの状態は、泣いていることもあれば、ケラケラと不気味なほど笑いながらという時もありで、自分でも「おもろいなぁ~」と思う。

最多出場は、松尾の祖父母。
次が高校生の時に亡くなった同級生の良幸ちゃん。
その次が忠犬エスで、エスが出てくると軽やかな足音が耳の奥に残ったまま目覚める。

大抵、夢の中で話したことは覚えていない。
「向こうに(あの世に)いてんのに、気になって見に来てくれたんやろか?」
と思うだけで、気づかず内に秘めている自分の脆さに気づき
「ホホホ、かいらしとこ、うちにもまだあんねんわ。フフフ」と笑えてしまう。

「有難きかな黄泉の国の縁ある人ら」
と、そんな夢を見るたびに思う。

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2011年8月22日 (月)

初めての一人暮らし

都内で、初めての一人暮らしが始まった。
53歳目前で、やっと叶えられた夢の生活だ。

「何でも一人分でええのや」
スーパーで、パン屋さんで、100円均一のお店で、商品を手にとってはそう思う。

物心ついた頃、最も頼りにしていたのは、忠犬のエスだった。
コリー犬で、非常に母性本能が強かった。
幼い私に対して、「どんな時でも、必ずお守りします!」の姿勢を貫いた。
「エスとなら、だーれもいてへんとこで一緒に暮らしたい。エスさえいてたら、ええねん」
そんなことまで考えたが、多分、この頃から身内から離れて、一人で暮らしたい気持ちがあったように思う。

50年程かかって、やっと実現した。

寂しさも感じず、「今日も一人暮らしや。ホホホ~」と笑って過ごせるのも、
「元気?」と、顔を合わせたときや、メールで問いかけてくれる周囲の方々の気遣いがあっての事。

「おおきに、おおきに。ほんまに有難いこってす」
しみじみと眠る前に感謝している。

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2008年6月30日 (月)

こんじょなし(根性なし)のわんちゃん

朝7時になると、決まって吠え出す大型犬が近所にいる。

過日も、朝7時きっかりに鳴き始めた。
家人が「バカ! 鳴くんじゃない!」と、庭先に出て叱るのも毎朝のことだ。
聞こえてくる言葉は標準語。「あほ」という単語は、今までこの家の叱責言葉になかった。
「バカやて。えらいきついなぁ」と思ってしまう。

私は、この犬が可愛い。
「あんまりかしこない(賢くない)ねんなぁ。けど、叱られたら、クフンと一声出して鳴き止むのが、いじらしいのやもの」
そんな事を一人部屋で言っていたが、今日のわんちゃんは「鳴き止みなさい!」と叱られながら、まだ大声で吠えていた。
すると、「いい加減にしなさい! ワンワン、ワワワン!!」と、今度は飼い主が吠えた。
途端にいつもの「クフン」の声も漏らさず、ピタッと鳴き止んだ。

「こんじょなし(根性なし=意気地なし)」と、思わず呟いてしまった。

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2008年6月10日 (火)

朝の一時(ひととき)

朝6時、大阪市内でも数種類の鳥の声が聞こえる。
ピーッ、ピーッ、チュンチュン、チーッチチチと、心地よい音量で鳴き声が交錯する。
「かいらし声(可愛い声)で鳴くもんやなぁ」と、毎朝聴き惚れている。

7時なると、決まって吠え出す近所の大型犬も、6時台は静かにしている。
6時から7時にかけての1時間が、一日の内で最も心安らかに過ごせる。

思い起こせば、育った町内では、朝、おばちゃん達がそれぞれの家の前を箒(ほうき)で掃く音が聞こえた。
そこに、「おはようさん」「おはようございます」と、挨拶を交わす声が混じる。
「行ってきます」「気ぃつけて行くのやで」と、送り出す声も混じる。
やがて、ちり取りでゴミを集める音がして、おばちゃん達は家の中に入っていった。

思い出す顔の半分ほどは、すでに彼岸に旅立った。

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2008年6月 1日 (日)

心の準備

6/29の深夜、14年も共に過ごしたミニ兎が、老衰のため逝った。
ここ3日間は、ゲージの中でじっとしている姿から、私も娘達も口には出さなかったが、『そろそろかもしれへん』と思っていた。

29日は午後からゲージの中で体を横たえ、殆ど動かなくなった。
そこから出して、ペットシートを広げた所に寝かせた。
娘がバスタオルを円座状ににして、楽な姿勢が維持できるようにした。
それから3時間。
大きく息を吸う音が2回聞こえた。
そばに寄ると、息を引き取っていた。

一旦は泣いた娘達も、見送った後は、「心の準備ができる老衰って、ええもんやな」とすっきりした顔を見せた。

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2008年4月 5日 (土)

老いを看取る

ペットの老いを看取るのは、悲しいことではあるが、仕方がない。
人間にも、動物にも、植物にも、皆、平等に死はやってくる。

我が家のミニ兎も、14年目を迎え、すでに最晩年に入っている。
白内障が進み、最初は片方だけだったが、今は両方の目が白濁している。
食欲はあるが、加減して与えないと、お腹を壊す。

艶のある真っ黒だった毛並みは、グレーに変わり、やがて茶色も混じって色が褪せたような体毛になった。
足腰が弱って、調子の悪い日は、一旦横になってしまうと、自分で起きあがることができない。
こんな時は、時間を見て、体位交換をしている。

それでも、毎日何度も娘達の声に反応し、「ここにいてまっせ」とゲージから顔を出す。
「今日は調子どない? うん? あかんか?」などと、娘達も褪せた色の体を撫でている。
このミニ兎がいて良かったと感じる。
「最後まで、そばについててあげるさかい」と思っている。

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2008年3月 1日 (土)

あたんする(仕返しする)ミニ兎

ペットのミニ兎が、余り構って貰えないと、寂しさから悪戯をする。
大事にしている本を囓ったり、ヘッドホンのコードを噛み切ったり、ほんの一瞬の出来事だが、確実に私や娘達が困ることをする。

『今、これしたら、あんたら困るやろ。やったるわ。かもてくれへんさかい、こんな事すんのや』で、ガブッと一囓りだ。
言葉は話さないが、心の声は聞こえてくる。

こういう行動を表す大阪弁に、『あたんする』という言葉がある。
意味は、<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>にもあるように、『復讐する・仕返しする』ということだ。

切られたヘッドホンのコードをミニ兎に見せて、「なんで、こんな事するの! あたんしてから、ほんまに。あかんで!!」と叱る。
叱りはするが、『かもてもらわなんだら、こないなんねんなぁ。しゃぁないなぁ~』と思う。

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2008年1月 5日 (土)

喚くおっちゃん:TSUTAYAにて

TSUTAYAのカウンターで、小型犬を抱いたおっちゃんが喚いていた。
どうやら未返却の商品があるようだ。
「おまえら、明日、俺んとこ、とんに来い(取りに来い)!」と、道理の通らないこと言い捨てて、商品ラックの間を大股で往復。
その後、「おい、判ったか!」と、再度大声を発して店の外へ出て行った。

「訳の判らんことゆう人は、どこにでも居てる」と小声で呟いて、数あるDVDを観ていた。
「もしも……」と、声が出てしまい、慌てて口を押さえた。
『もしも、あのおっちゃんが喚いている時、スッと横に立って、“Happy New Year!”と全然日本語が判れへんふりして喋りかけたらどうやろ? ほんで、抱いてるワンちゃんにいきなり頬摺りして、キスでもしたら、おっちゃん、喚くの止めたやろか……』と、その光景を想像した。
「あかんわ。どっから見ても、うち、丸丸(=まるきり)日本人やもん」と、この想像物語は却下した。
『それとも静かにそばに寄って行って、“あんた、場所、考えんかいな。みっともない。ええ加減にしぃや!”と、これはどこぞの組の姐さん風に言わんと効果ないわ』
想像ばかりが先行して、結局、この時は何も借りずに帰った。

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