2010年9月 5日 (日)

大阪弁:「マイマイコンコ」&コラボ企画六日目

口に出してみると、「かいらしなぁ(=可愛いな)、この言葉は」と思う大阪弁は仰山ある。
『マイマイコンコ(=クルクル回ること)』もその一つだ。

小さな頃、座敷で両手を広げてクルクル、クルクルと回る遊びをしていた。
「目ぇ回る~」の感覚が可笑しくて、フラフラしながら繰り返していた。

心配性の祖父が「ええ加減にしとけ。マイマイコンコも、そないしてたら、最後にデーンとこけて、頭打つやろ」と注意をした。
祖母の一言はズシンと心に響くが、かまいたがり(=すぐに世話をしたがる人)の祖父の言葉には反抗したくなる。
「マイマイコンコ、マイマイコンコ」と、呪文のように唱えながら回っていたが、そう大して時間もかからず、祖父の見ている前で足がもつれてデーンとこけた。
「ほれ、見てみ」と祖父は言った。

モノづくり企業と主宰する【松尾成美 話すように書く文章教室】の受講生とのコラボ企画:<文創りのエチュード>

六日目は
、〝剃刀ケースを見て、触って、そこから思いを綴ったエッセイ。
掲載作品は、
http://www.hakoya.biz/blog/information/item_653.html
          ↑
『人は見かけが九割』
「何だ、それ?」
この言葉から始まるエッセイ。
読んで下さった方の「そうやね」と頷く姿や、ニマッと笑う姿を、私は勝手に想像している。

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2009年12月 9日 (水)

大阪弁:「おだいっさん(お大師様)」

大阪弁では、「飴ちゃん」や「お芋さん」など、名詞に、『ちゃん』や『お○○さん』を付ける言葉は多い。
どんな単語にも『ちゃん』をつけて通るかと言うと、そうでもない。
「油揚げ」の事は、「あげさん」とも「おあげさん」とも言うが、「あげちゃん」とは言わない。

何に『お』がついて、どんな名詞に『さん』がついて、でもこんな名詞には『ちゃん』はつかないなど、「これはこう」と言えるものはないのだが、「なんとのぉ、雰囲気で使い分けてる」のが実態だ。

それに、「お寺さん」と言えば、「寺」自体を表わすときもあれば、「僧侶」を指しているときもある。
話の内容や、前後の流れから、理解して貰うしかない。

「神様」・「仏様」は「神さん」・「仏さん」と呼び、例えば「不動明王」なら「お不動さん」と言うのが一般的だ。
弘法大師のことは、「おだいっさん(お大師様)」と呼んで、ぐっと身近な存在として捉えている。
そう言えば、35年程前の私が高校生の頃、放課後の教室に数人が残り、トランプをしていた。
一人、高野山から通っていた子がいて、負けそうになると、「僕にはおだいっさん(お大師様)が付いている!」と冗談で言ったのが可笑しかった。

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2008年8月14日 (木)

勧誘電話撃退法:わて、判かれしまへん

何やかや(=何かと)と勧誘の電話がかかってくる。
「はい」と誰もが判る大人の女性の声で出てしまったら、会話中に「はい」と2回ほど繰り返したところで、「えらいすんません。今、ちょっと取り込んでまして(=家の中が騒がしい・用事をしているところ)」と言って、電話を切る。
決して、ブチッとは切らない。
通信販売のオペレーター業務も、名簿を見て先方に掛ける仕事もしたこともある。
掛けてくる相手の気持ちも判る。
二言三言話せば、相手がどんな人かの見当がつく。

たまに、「なんとまぁ、この人」と呆れる相手もいる。
無礼な人には、こちらも対抗策をとる。
1回目の返事が「はい」なら、2回目は「えっ?」「はぁ?」となって、3回目には「すんまへんなぁ~。今、若いもんがいてまへんねん。はぁ、そない説明してもろても、わて、判かれしまへん」と言って電話を切る。

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2008年4月 1日 (火)

嘘ついたら 針千本飲ぉ~ます♪

朝方、夢の中で「嘘ついたら 針千本飲ぉ~ます♪」という歌が聞こえた。
その後、『嘘ついたら、針千本、飲ぉます』と、文字に変換されていく映像が頭の中に広がった。
このあたりから、かなり意識がしっかりしてきた。

目覚めて、今日が4月1日、エイプリルフールだと気が付いた。
「なんでこんな夢見たんやろ?」と思ったが、昔聞いたこの歌と今日の日が、意識の下で繋がっていたのかもしれない。

この歌は、幼い頃の遊び仲間の中で覚えたのではない。
5歳まで同じ年頃の子達と遊んだことがなかったので、祖母や周囲の大人達に教えて貰った。
「嘘、ついたらあかん。なぁっ、“嘘つきは泥棒の始まり”とゆうのやで」と、祖母は正座の足を崩さず話した。
その続きに「嘘ついたら 針千本飲ぉ~ます♪」と歌っていた。

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2007年8月 9日 (木)

あいそ(愛想)なしの食卓:外孫とおじいちゃん編

外で昼食をとった。
初めて入ったおそばやさんで、斜め前に座ろうとする14.5才の男の子とおじいちゃんの光景が気になった。
「そっち、座り。おじいちゃんはこっちに座る」と言って、汗を拭いながら腰を下ろした。
席に着いたものの、男の子は、一向に向き合って座る祖父の顔を見ようとしない。
おじいちゃんは「学校は?」とか、孫の住む町内の知り得る限りの情報を持ち出して話しかけていた。
「阿波踊りは?」と問いかけたので、『この男の子は外孫で、徳島からやってきたんや」と気がついた。
男の子の脇には大振りの鞄があり、中から新品のゲームCDを何枚も出しては眺め、また中にしまった。

おじいちゃんはグラスビールを注文し、男の子にはウーロン茶を勧めた。
「さっ、暑いとこ、ご苦労さんやった」とおじいちゃんが乾杯とグラスを孫に寄せてきたので、男の子は「あっ、どうも」とでもいう風にぎこちない仕草で、グラスを合わせた。
食べている間も、全く会話は弾まない。
男の子は早く食べ終えて、真新しいゲームをしたくて堪らないようだった。
食事の間も、鞄の中ばかり気にしている。

帰宅後、このおじいちゃんは家人に何と話すのだろう。
「孫を連れて、先ず○○で買い物したやろ、その次に○○に回って、ほんで、昼にそばやに入って……」と嬉々として喋るのだろうか?
私には切ない光景だった。

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2007年5月 7日 (月)

駄菓子屋と当てもん

昭和30年代半ば、駄菓子屋さんは町内に何軒かあった。
ところが、5歳まで同じ年頃の子と遊んだことがない私には、一緒に行く子もいなかった。
“憧れの聖地”のように、『いつか行ってみたい場所』のNo.1に長い間輝いていた。

小学校に入る前、祖父に頼み込んで、連れて行って貰った。
「お菓子なら、うちにあるがな」と少々不機嫌だったのを、「行きたいもん。行ったことないねんもん」と祖父より不機嫌な調子で言ったので、「しゃぁないな。そない行きたいんか」と呆れた顔をした。
駄菓子屋さんまでは、いつものように手を繋いでいたが、店の前で手をふりほどいて私一人が中に入った。
当てもん(当て物)が柱からぶら下がっていた。「あぁ~、これや~、当てもんや~」と心がフワフワと飛んでいくようだ。
背後から祖父の声がした。
駄菓子屋のおばちゃんに「なんぞ、この子ぉにええようなもん、入れたってんか」と告げたので、おばちゃんは、手際よく、水飴やラムネ、ガムなどを紙袋に入れてくれた。
「さっ、いのか(帰ろうか)」と手を引かれ、店を出た。
当てもんは一つも引けず、駄菓子をあれこれ選ぶこともできなかった。
帰って部屋でラムネを舐めながら、悔しくて泣きそうになった。

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