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2012年11月

2012年11月29日 (木)

何やって食べてんのや?

ライターや編集者をしている周囲の女性は、大概、
「親は、私が何をしているか、よく分からないようで」
と言う。

それは私も同様で、54歳にもなって尚、
「あいつ、何やってんのや?」
と、うちの父母は思っている。

実家は祖父の代から家具屋だ。
祖父がこの仕事を始めた頃は、家具職人の人たちがいて、製造・販売をしていた。
戦後、職人さんたちの幾人かが戦争で亡くなったのと、大手メーカーの製品を見て、
「これはとても太刀打ちできん。小売りだけにしょ」
となった。

椅子を1脚売れば、売値の何割かが利益として手元に残る。
祖父も父の代の時も、『つけ』=掛け売り(代金は購入時に支払わないで、月末に支払う)が殆どだった。
商品を指して「これにするわ。つけといて」の一言で、購入品だけをお客さんのお宅に配達した。

今のようなクレジットカード払いはなく、『つけ』はごく一般的で、月末に集金に行けば現金が入った。
中には、「いつ、あのつけの分、はろて(支払って)くれるんやろ」と、何年間も未支払いのままの人もいた。
が、多くの人はきちんと支払うべき時に支払ってくれたので、我が家の生活は成り立っていた。

私を含め、フリーのライターや編集者の立場は弱い。
支払日が守られなかったり、原稿料はこちらに落ち度がないのに値切られる等、
「へっ?! そんなんあり??」と驚くようなことは、何度も経験してきた。

そんな世界の話をしても、父母には合点がいかない。
「(お前のやってることは)よぉ分からん」から、
「あいつ、何やって食べてのや?」と不信感を抱かれて、かれこれ20年弱ほど経つだろうか。

時に仕事の内容を懸命に説明もしたが、
「なんや分からん話ばーかりして。そんな話、もうええ!」
父母の態度がそうなって以来、〝認めて貰えぬ情けなさ〟から抜け切れないできた。

父は来年80歳。母は77歳だ。
「よぉ分からん仕事やけど、一人でやってんのやさかい(一人で生活しているのだから)」
今は半ば雲をつかむような感覚で、私の仕事を捉えているようだ。

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2012年11月 5日 (月)

来年どころか来世の事言うたら、鬼が笑いますやろか

家の中でも手を繋ぎ、
「おっぱして(=おんぶしてほしい)」と言わぬ間に、
「ほれ、おっぱしたろか」と屈んで背中を見せた祖父だった。

愚かなほどの盲愛ぶりに、家のもん(=家人)は呆れ果てた。
町内のおっちゃんやおばちゃんからは、
「松はん(まつはん=松尾さん)のおもちゃやがな」の言葉も出た。
が、そんな事は一切気にすることもなく、
「孫の可愛さいうもんは、こりゃもう、特別や」
と言っていた。

祖父は明治33年(1900年)生まれ。
たった一人の実の娘を、7歳で亡くしている。
養子にした私の父と嫁いできた母との間にできた血の繋がりのない孫。
それが私だ。

昭和33年(1958年)生まれの孫の私への愛情のかけ方は、
〝のぉなった(=亡くした)娘の代わり〟というよりは、
〝わし好みの女に育てあげたい〟の感が先行していたように思う。

幸か不幸か、祖父は気の強い女が好きで、
「お蔭で、うち(=私)かて、そないなって」
と苦笑いしてきた。

今は50代半ば。
祖父は、私が25歳の時に彼岸に渡った。
「ほな、あれやわ。おじいちゃんとは、四半世紀(=25年間)ほど離れてるんやわ」
ふと口にした〝離れてるんやわ〟に気付いて、
「〝離れてるんや〟やなんて言うてしもたわ。この分やったら、来世かて、どこぞで生まれて、またおじいちゃんと孫の関係でいくんやろなぁ~」
祖父の顔がチラついて、プッと吹き出してしまった。

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