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2012年10月

2012年10月30日 (火)

50半ばの交渉術

「世の中、ほんま、理ぃの通らんこと、よぉけあるわ」
そう思う事は度々で、
「一々(いちいち)腹立ててたら、こっちの身ぃが持ちまへんわ」
ここで考える事をやめる。

けれど、仕事の上で、
「そんな言い方は、いくらなんでもないで!」
「お宅、よぉまぁ、そこまで、言わはるわ!!」
「得手勝手(えてかって=わがまま)も、ここまでくるとは。こんな人、そうそういてへんで」
口には出さないが、腹の中ではかなりムカムカすることもある。

いや、『ムカムカ、カリカリしてきた』の過去形が正しい。

「ムカムカしたかて、こんな人相手に……アホらし」
50も半ばになると、ムカムカ状態の時間は短縮され、諦めの境地に入る。

仕事の交渉相手も、年下が多くなった。
意に添わない私の話に、目の前でイライラしながら直情的な攻撃姿勢の先方がいる。
こういう相手は短気で、交渉相手の話を理解しようとしない。
話を聞くのもするのも時間の無駄とばかりに、言いかけた自らの言葉も、
「もういい、いいですよ!」
と切ってしまう。

こんなぞんざいな(=丁寧に対処しない)言動に触れると、年下相手だから言える一言がわいてくる。
『言うたら、もっと怒るやろなぁ~。けど、もうええわ』
となって、
「○○さん、交渉事は、もっと塩梅(あんばい=上手に)運ばな(=進めないと)……」
微笑みも共に加え、静かに告げる。

結果がどうなろうと、こちらの言いたい事を提示して、相手側の具体的な返事を貰うところまでこぎつける。

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2012年10月19日 (金)

後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ

長野県上田市まで行ってきた。

市内にある、池波正太郎真田太平記館で、
〝イベント:竹内志朗の舞台道具帳-剣客商売〟があったからだ。
父のように慕う竹内先生が池波正太郎作品で手掛けた手書きのタイトルや、舞台セットのデザイン画を館内に展示。
必殺シリーズのプロデューサーの仲川利久氏とのサロントークも行われた。

JR上田駅への帰り道、
『酒粕あります』の文字を見つけた。
「粕漬けしょうとおもてたとこやったし、丁度ええわ。こうて(買って)帰ろ!」
買った酒粕は3.7kg入り。

広い間口の店内には、鰹節の匂いも漂う。
「鰹節は、なんとまぁ、これもほしかった焼津産!!」

酒粕と鰹節を迷うことなく買った。
鰹節は軽いが、酒粕はズシンとくる重さだった。

少し歩くと、レトロな建物の飴屋さんがあった。
フラフラと中に引きこまれ、どっしりとしたガラス瓶のラベルに〝滋養豊富〟と書かれた『麦芽水飴』を購入。

手荷物もそこそこあったのに、
「ついつい、食材には手ぇが出て」
思いもかけぬ重さになった荷物を抱いて、新幹線に乗った。

座席につくなり
「後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ」
荷物の重さを急に感じ、これからの帰り道を思った。

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2012年10月12日 (金)

大阪弁:すってんてん(=からっぽ)

私は浪費家ではないが、
「これもこうとこか(買っておこうか」
と購買意欲が一番わくのは食材だ。

スーパーに入る前には、必ず財布の中身を確認する。
いつぞや、
「財布パンパンや(膨らんでいる)。結構、うち、今日はお金、持ってるわ」
思い込みは、ろくなことがない。

レジで合計金額を聞き、いざ支払う段になって
『ひ、ひぇ~、レシートばっかり!! 現金が、ナ、イ。そんなアホな!!』
小銭を集めて、とりあえず入り用な卵1パックだけ買い、
「すんません。お金、財布に入ってのぉて……買い込んだ品もん(品物)、全部、お返しします」
脇に汗を垂らしながら、頭を下げた。

恐怖の体験を経て、スーパーに入る前に
〝財布の中身チェック〟行動は身に着いた。

しかし不思議だ。
計算にはとんと疎い(少しも得意でない)私が財布の中身を見て、
「小銭も入れたら、大体3500円ほど」とか「あっ、5000円札入ってたわ」
金額だけ確認してから、買いもん(買い物)はスタート。
レジで支払いを終えると、ほぼ毎回、その時の財布の中身全金を使い果たしている。

「ほしいもん(欲しい物)こうたし(買ったし)、気持ち、ええわ」
スーパーの袋は重く、財布の中身は「すってんてんやわ~」と軽くなるのだが、ウキウキモードで家路を急ぐ。

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2012年10月 4日 (木)

人さんの手ぇ借りて育てる子供かな

今、つくづく思うことがある。
離れて暮らす長女は今年28歳、次女は25歳になる。

長女が小学4年生、次女が小学校に入学する時には、すでに夫と事実離婚の状態で、別居生活を送っていた。

別れた夫は歯科医。
その父親は産婦人科医だった。

医者の家に家具屋の娘が嫁ぎ、そこに生まれた孫を、私の父母は扱いづらいようだった。
〝敷居の高い家の子〟とでもいうのか……。
孫であることに違いはないが、私が祖父母に育てて貰ったような
『全てを大きな懐に包み込む』
という感じは受けなかった。

近頃、周囲の若い子たちから
「結婚決まりました。子供も早く欲しいんです。あの、まだ先の話ですけど、子供ができたら、どんな事に注意すればいいですか?」
と尋ねられる機会が増えてきた。

「できるだけ、仰山の手ぇが、子ぉに入る方がええ。ええ人も、あんまりそやない人も、色んな人の手ぇ借りて、子育てしていくのが、一番ええわ」
きっぱりと、即答する。

『うちは、それに失敗した』と思ってる。
人から見ればしっかりした母親と、しっかりした娘二人のように見えただろう。
だが、母と娘二人だけが歩む細い道は、結果的に世間が狭く、物の見方が極端になりがちだ。

自戒を込めて、
「子育ては人さんの手ぇ、たんと借りや。やがて度量の大きな子ぉに育つさかい」
そう思っている。

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2012年10月 1日 (月)

縁結び

祖母の所には、見合い話の相談に来る人も多かった。
昭和30年代後半、まだまだ世の中の景気は良かった。
「うちの子ぉ、商売人がええといいますのや」
と言う人がいれば、
「公務員かサラリーマンで、ええ人がいてたら、宜しお願いしときますわ」
と言う人もいた。

祖母は生年月日や干支、本人の気質と希望を考え、
「ほな、この人とどないやろ?」
封書に入った『釣書(つりしょ)』と呼ばれる本人や本人の家族の略歴の書いたものを見ては、また別の釣書を取り出して
「一遍、声、掛けてみよか」
と言っては、取り出した2通の釣書を元の封筒の中にしまった。

祖母の声掛けで気が合い、
「夫婦(めおと)になって、やっていけそう」
と相談に来ていた人の息子さんや娘さんが感じたのなら、祖母は『縁結びのおばあちゃん』である。

54歳の私は、見合い話のお世話はしたことはない。
だが近頃、ビジネスやビジネス以外の場で、男性・女性の関係なく、
「なぁ、一遍、顔、合わせてみぃひん?(=してみない?)」
「おぉて(=会って)みてもええんとちがう?」
知り合いの誰ぞと誰ぞ(=誰かと誰か)を引き合わせる機会が多くなった。

そうして何かが良い方向に進めば、
「そらもう、言うことおまへんわ」
である。

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