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2012年9月

2012年9月24日 (月)

『ポジティブ』に要注意!

「僕(私)は、ポジティブだから」
という人がいる。

このタイプの人間は、どんな場面でも一旦はへこんで、反省めいた事を言うが、次の瞬間には、
「何事も、ポジティブに考えないと」笑顔を見せて、再度
「僕(私)は、ポジティブだから」
と締める。

この場合の
『ポジティブ:positive』は、「嫌なことがあっても、常に前向きに考える人」という事になる。

私も40代の前半までは、
「ポジティブ、それはそれでええわ」
と思っていた。

しかし、40も半ばを過ぎた頃から、この言葉を使う人の行動をよく見るか、思い返してみると、
「自分に都合のええよに考えて、人の事はどうでもええねんわ」
と、度々感じるようになった。

長らく感じていた事を、改めて整理すると、
「つまりは、自分が中心で、嫌な事があったら、
・なんでそないなったんやろか?
・自分のどこが悪かったんやろか?
・この先、どんな事に注意したらええんやろか?
ということを、全く考えもせぇへんということやな」
の結論に至った。

50半ばになった今、「ポジティブ」や「超ポジティブ」という言葉を使う人には、
『これは注意せな』
顔の上半分で笑って、口元だけは引き締める。

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2012年9月21日 (金)

マナー:先さんのことを考えて

明治生まれの祖母と一緒に出掛けるときは、
「先さん(さきさん:先様(さきさま)=先方(せんぽう)のことを考えて」
行動することが何よりも優先された。

大阪の親戚の家に行く際は、早めに家を出る。
親戚の主:北川(仮名)のおっちゃんが、いつも頼んでいる酒屋さんに立ち寄り、
「北川はんとこ、今も○○のお酒だすか?」
と尋ね、
「そうだすわ。変わってしまへんな」
の返事を確認してから、
「ほな、1本、届けてといておくんなはるか(=それなら、一升瓶1本を、先方に届けておいてください)」
熨斗(のし)の表書きを伝えて店を出る。

「(約束の時間まで)まだ間(ま)ぁあるさかい」
というので、商店街の喫茶店に入る。
注文は、夏でも冬でも祖母はホットコーヒー、私はクリームソーダと決まっていた。

腕時計を見て、
「さぁ、ぼちぼちと」
席を立ち、会計を済ませて店の外に出る。

約束の時間に先方に着くころには、先触れ(さきぶれ=前触れ)のように、さっき頼んであったお酒も届いていた。
先に届けておくことで、先方のお茶の用意や心の準備もできる。
私たちは喫茶店で休憩をしてから、約束の時間通りに着く。

今、仕事でもプライベートの場面でも、祖母のような気配りをしてくれる人は少ない。
気配りを欠いた人に出会うたびに、祖母のよく口にした
「先さんのことを考えて」
が脳裏に過り、
『まぁ、色んな人がいてるさかい、しゃぁないわ~』
苦笑いしてしまう。

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2012年9月14日 (金)

ほんまの『いとさん』・『とぉさん』

船場生まれで船場育ちの母親を持つ人が、
「ある時、父親が、うちの母親に、『おい、お茶淹れてくれ』とゆうたのや。母親はゆっくりと腰を上げて、『うちが淹れますのやったら、ちょっと時間かかりますけど~』という具合で……。
あれ、きっと父親は、生まれも育ちも船場やなかったよって、カチンときてたと思うな」
と言っていた。

『いとさん(=お嬢さん)』
『とぉさん(=お嬢さん)』・・・大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 によると≪トォサン【嬢さん】(名)いとさん。お嬢さん。イトサンのイが脱落したもの。≫とある)
と呼ばれ、裕福な家庭で育ってきたこの明治生まれの女性は、物腰が兎に角ゆったり。
『いとさん』・『とぉさん』と呼ばれて育ってきたことにプライドがあった。
お茶を淹れるよりも、淹れて貰って〝飲む側〟で育ってきた女性だ。

「お茶一つ淹れるのも、もったいつけて(=尊大ぶる)」と、この家の主である話し手の父親は腹が立ったらしい。

話し手は80歳手前だ。
在りし日の父親と母親のやり取りを、懐かしげに、時に母恋しの表情を見せて話してくれた。
同時に、プライド高い連れ合いを持った父親に、一抹の憐れさを感じていたのも、話の合間に感じ取ることもできた。

そんな話を聞かせて貰う機会が、幸い、私には沢山あった。
話を通じて、ほんまの『いとさん』・『とぉさん』の雰囲気を感じる喜びも生まれた。

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2012年9月 7日 (金)

ビジネスマナー:わが身定規

「お宅の常識、世間では非常識って言いますねん」
そんな呆れる言動を思い起こすのは簡単で、
「掃いて捨てるほどある、ある」
勝手にドンドン蘇ってくる。

突然、見ず知らずの人から私の携帯電話への連絡は、
「この携帯番号に電話したら、すべてが分かるとかで……」
と困惑気味に言うが、その声に全く覚えがない。
「あの~、私、お宅さんと面識おますやろか?」と問うと、
「いいえ、ないです」と明言する。

「ほな、誰が、うちのこの携帯に電話するよに言わはったんで?」
「○○さんです」
「○○さんなら知ってますけど、何をお宅さんに話すのやら、うちには分かりません」
「私も、何を尋ねていいのか分かりません」

どちらも「これ、どないすんねんな??」状態になり、、
「○○さんに、も一遍、松尾に何のための連絡をするのかを尋ねてください。それが分かってから、うちに電話をくれますか?」
で終えた。

何も「電話をしたら分かるから!」とそれだけの指示を出した○○さんに限ったことはなく、相手を慮る(おもんばかる)心を持たず、礼儀や常識に欠ける人は、年齢に関係なく、いつの世にもいるのだろう。
しかしながら、ビジネスが絡んでくると、上記のようなことは困る。

「この伝え方で、人は分かるやろか?」
「この言葉で、僕の(私の)誠意は伝わるやろか?」
それを考えずに行動する人は、大抵、「忙しくて、考える余裕がなくて」と決まり文句のように言う。

「そうですか」と平静を取り繕って答えるが、
『お宅はわが身定規(=自分の尺度でしか物事を判断しない)なお人。自分のことだけしか考えはらへん。もう~堪忍してぇな』
と腹の中では呟いている。

相手を思い、自分の行動を客観的に捉えて行動できない人がウジャウジャといて、近頃呆れ果てている。

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2012年9月 4日 (火)

『腐っても鯛』>『出世魚の鰤』

私は『鯛』のことを、「お鯛さん(おたいさん)」と呼ぶ。

いつぞや、このことに気が付いた娘が、
「鯛だけ、〝お〟もつけ、〝さん〟もつけて。ほな、鰤(ぶり)はどないやねん?」
と問うてきた。
「鰤は、ぶりや」
と答えた。

答えながら、
『えっ? あれまっ! 鰤は出世魚(しゅっせうお)やのに……。なんや、気の毒な』
という気はしていた。

娘は、
「おぶりさんとは、言えへんのやな」
と念を押すので、
『悪いなぁ、鰤。堪忍(かんにん)してや』
そう思ったが、
「鰤はぶり。〝おぶり〟とも〝ぶりさん〟とも〝おぶりさん〟とも、『飴ちゃん』みたいに『ちゃん』つけて〝ぶりちゃん〟や、(古い大阪弁で名前を呼ぶ時に使う)〝おぶりはん〟とも呼べへん」

こう答えた時から、私の中で、『腐っても鯛』は『出世魚の鰤』を打ち負かした。

何でもない事だが、お昼にお弁当を買いに行き、
「今日の魚は鰤の照り焼き」
と説明している売り子さんの声を聞いて、ふと、こんな話を思い出した。

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