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2012年3月10日 (土)

三途の川は飛んで来い

3つか4つの頃に、母方の曾祖母が亡くなった。
今、息を引き取ったばかりだという曾祖母の布団の横に、母が泣いて座り、幼い私がそのねきに(大阪弁:そば)に正座していた。
その光景は実にはっきりと覚えている。

そうして自宅で息を引き取る姿、いや、実際には息を引き取った後の姿を見た。
曾祖母の死は、非常に自然な形だと、小さくても受け入れることができた。

「こんな小さかったら、死ぬって、どんなことかわからんやろ」という人もいるが、
「この目の前で寝てるよなひぃおばあちゃんは、もう動けへん人になってしもたんや。お喋りもせぇへんねんわ」
そんな思いで、横たわる曾祖母を見て、すぐねきで泣いている母を感じていた。

生の延長に死があると思ったのは、もっと先のことだが、原体験はこの時点だ。

私は今年で54歳になる。
そこそこ生きてきたし、満足感もある。
「このまま生きて、その先に、ふ~っと知らん間ぁに、死んでいくのやろなぁ」
そんなことも考えないでもない。

体調不良の時に、ほん、たまーに、彼岸にいる私を溺愛していた祖父が、
「おい、三途の川なんぞ、渡らんでもええ。ビューンと飛んで来い。おじいちゃんが待ってたるさかいに」の声と、
「何いうてはんのや、この人は。成美、あんたは、まだまぁ、こっちにこんかてええのやで。ほんまにもう、おじいちゃん、ええ加減にしぃ!」
の祖母の声が耳の奥で聞こえるときがあって、一人、ケラケラと笑ってしまう。

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