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2012年3月 4日 (日)

ほな、また明日

小さな頃、ただただ心地よい時間と空間を与えてくれた人がいた。
9歳年上のカヨチャンだ。

大人ばかりの世界で暮らしていた私は、実母が案じるほど、子どもと遊べない子どもだった。
ただ9歳も年齢が離れてしまうと、まるで大人と子どものような関係が成立したので、私にとってはカヨチャンは、大の苦手の子どもではなかった。
当時、遊び相手のいない3歳の私は、カヨチャンが学校から帰っくるのをひたすら待っていた。

カヨチャンの他に、その頃の町内にはエミチャンや、エミチャンのお兄ちゃんのタケッチャンもいたが、私はとにかくカヨチャンを頼りにし、甘えていた。

「テーチャン(私の小さな頃の愛称)」と声をかけてくれ、
ほんの少しだけ首をかしげて私の顔を覗き込み、
「今日は何して遊びたい?」
「喉、乾いてない?」
そう尋ねて貰えるのが嬉しかった。

嬉しいのにニコリともせず、オカッパ頭の私は右上にあるカヨチャンの顔を、ほんの少しだけ仰ぎ見て、
「あんなぁ~」と話し始める。
ただただ心地よい空間と時間がそこにあった。

それは、3歳の頃から50歳を過ぎても変わらない光景だった。

カヨチャンが突然亡くなって1年4ヶ月が過ぎた。
ようやっと「お墓参りに行ってみよ」と気持ちの整理がつき、昨日、初めてお参りしてきた。

帰り際、「カヨチャン、バイバイ」と言った時の気持ちは、幼い日の夕方、町内で遊んで別れる時に
「ほな、テーチャン、また明日」とカヨチャンが言い、
「うん……カヨチャン、バイバイ」と手を振って別れた気持ちと同じだった。

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