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2010年10月24日 (日)

生き生きしている彼岸の祖父

明治生まれの松尾の祖父:祥平(しょうへい)にとって、女道楽が下火になった頃に生まれた私は、丁度ええ塩梅に溺愛の対象となった。
祖父以外の人が、まだ赤ちゃんの私を抱くのさえ毛嫌いする様に、町内のおばちゃん達は、
松はん(=松尾さん)、自分しか見せへんよな育て方してから。あない育ててしもたら、あそこの孫、この先、どないなんのやろ」と不安を感じるような育て方だったらしい。

それでも私に自我が芽生え、しっかりもん(者)の祖母の教育のお蔭で、10代半ばになると、
「おばちゃんら、あんたとこのお祖父ちゃんの事あったさかい、心配してたんやで」と声を掛けて貰い、そこには『何とかまともに育って良かったなぁ』の気持ちが込められているのを知っていた。

その祖父は、亡くなってからもたまに夢に出てくる。
内容は、
「戒名が、どだい(=全く)気に入らん!」の文句あり、
「墓地は、わしの生まれた吉野にして欲しかった」の注文であり、
「なんぞ旨いもん、食べに行こか?」のお誘いがあったりで、あの世とこの世が繋がっているような感覚を覚える。

これも何か私の中で引っ掛かる事があって、そんな夢を見るのかもしれない。
それでも夢に出てくる祖父は面白い。
毎回、余りに生き生きしているので、「あんな、おじいちゃんは、もうのぉなってから(=死んでから)結構長い事経つねん。なっ、死んでんねんで」と言う時もある。

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