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2009年7月

2009年7月30日 (木)

おくりびと:順送り

ここ2ヶ月の間で、幼稚園からの友人のお父様やお母様が相次いで亡くなった。
その度に思う。
「近い将来、うちかて親を見送る日ぃが来るんや」と。

今年で51才。
その親達は、70代半ばから80代になっている。
友人達の親御さんも80才を過ぎていた。
「昔やったら、80まで生きて長生きしたなと言うて貰えるんやけど、今は、確かに長生きしたのは違いないのに、まだまだ生きていられたのにとも思う」
こんな言葉を友人の一人は言っていた。

「順送りや」とうちの父はよく言う。
その順送りが狂うことのないように、一番願っているのは97才の祖母だ。

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2009年7月29日 (水)

大阪弁:「いてこます」・「いてまう」・「いわしたろか」

普段は使わない言葉でも、ちょけて(=ふざけて)言う時がある。

ご飯の用意ができた。
『さぁはよ(=早く)食べて』と作った私は思っている。
「ご飯、でけたさかい、はよ食べて~」と娘に声を掛ける。
「はぁい」と返事があったのに、、なかなか食卓につかない。
「はよ、おいでや~」と私は再度促す。
「うん、はい」の返事がしても、まだ来ない。
そんな時、業を煮やしたように
「コラッ、いつまでもグズグズと! いてこますぞぉぉ」と語尾を引っ張って言う。
あるいは、「いてまうぞ(=やっつけてしまうぞ)」と言うこともある。

ちょけて言っているのは娘も知っているので、「はいはい」で終わる。

さすがに「いわしたろか(=やっつけてやろうか)」は使ったことがない。

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2009年7月27日 (月)

空気の読める人と読めない人

どこにでも空気の読める人と、そうでない人がいる。

一緒の場に座ったら、空気の読める人同士で話していると、必ず、読めない人が話を割って入ってくる。
『またや』と思っても、空気の読める側は口には出さない。
実際、『またや』以外の感情はないのだから。
そして話は、読めない人の先導で「あれれ?」と思う方向に行ってしまう。
座は白けているのに、読めない人のテンションは上がる。
帰り道、「どこにでもいてる。あのお人だけが何も特別ちゅうことやない」と思うのだが、気持ちの良いものではない。

物書きの世界で出遭う空気の読めない人の比率は、高いように思う。
それは、企業や他の世界なら、「そんな塩梅ではやっていかれへんで」ということが、なぜかやっていける世界だからかもしれない。

疲れる人が多い物書きの世界だ。

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2009年7月24日 (金)

仕事への感謝

いつもそうだ。
仕事が忙しくなる時は、重なってしまう。

季節物を取り扱っている業種なら、「この時期は、忙し、忙し」というのもよくある話だ。
「けど、違うクライアントから、仕事内容の異なる話が来て、それが重なるゆうんも、不思議な話」と思っている。
私の場合、「書くのは構成台本だけ」とか「脚本だけ書いてますねん」ということではない。
仕事先は放送媒体や紙媒体の会社など色々で、そこから来る依頼も様々だ。

仕事が重なってしまうと、二通りのやり方をする。
① 集中して、一つずつ片づける。
② 時間のかかる仕事と、半日程度で出来そうな仕事を並行させる。
「大方は、②の方やったわ」と今までのことを振り返った。

そして、今回も②で進めている。
どこにも属さず、一人で物書きだけで食べていくのは大変で、こうして気分転換に別の仕事をさせて貰える有難さを感じている。

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2009年7月22日 (水)

当世大学生事情

大学生を相手に文章の書き方や、テレビやラジオの構成台本の書き方を教えることがある。

色んな学生がいることは、百も承知だ。
大学の環境、そこで学ぶ学生のモチベーションが、授業の雰囲気を左右する。
最初の「お願いします」のご挨拶がきちんと言える学生がいれば、前の椅子に足をかけて殆ど仰向けに寝ているような格好で、「あんさん、そんなかっこで、まぁ、どないすんねんな」と呆れる学生もいる。

名前が判らないので、注意をするときは、「そこの赤い帽子の兄ちゃん!」や、「今、ポッキー食べた子ぉ!!」と遠慮無く大きな声を出す。
褒めるときは褒める。
「よぉ出来たわ」「ええ話やなぁ」と、本当に思っているので口からすんなりと出る。

大学で教えることの楽しみは、「こんな子ぉが一人でも多く社会に出たら、世の中、変るかもしれへん」と期待を抱かせてくれる若者に出会えることだ。
常識のなさや、余りにも自分勝手な態度が重なると、「今までこないして通してきたんやさかい、世の中に出て、要領よぅ生きていく部類に入るかもしれへんけど、うちが雇い主なら絶対雇えへんわ!!」と強く思う。
幸い、「箸にも棒にもかかれへんがな~」と泣きたくなるような大学生は、出会った中では僅かだった。

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2009年7月21日 (火)

ビジネス:企画頓挫する人間関係

時々、『あっ、このお人は、物事の全体像を掴まれへん人やな』と感じる人に出会う。
仕事の関係者でこういう人と巡り合うと、最悪だ。
撤退しかない。

企画書を書いてなんぼの物書き業。
こちらから企画書を持ち込んでいる場合は、「なんとか前に進めへんもんやろか」と、撤退までに試行錯誤を重ね、経過を見ている分、時間がかかる。

全体像を掴めない経営者。
全体像を掴もうとしない担当者。
二人は、「こうなったら、こうなる」や「この案件を進めていくと、近い将来にこんな展望が開ける」の捉え方はせず、目の前にあることしか対応しないから、職場における互いの関係は良好だ。

ところがそんな中に、「こうなったら、こうなると思わしまへんか?」とか、「この企画、何とか前へ進めていきまひょいな。ほなら、きっと近い将来、こんな展望も開けるのちがいまっしゃろか?」の考えを持っている人間が入ると、上手くいかない。

「うちの企画書に惹き付けるもんがなかったんや」と反省しつつ、頓挫したいくつかの企画が頭の隅を過ぎった。

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2009年7月16日 (木)

大阪弁:『おんばひがさ(お乳母日傘)』

育った環境では、例えば、ちょっとした小荷物をえらく重そうに持っていたりすると、茶化すようによく言われた。
「箸より重いもん、もったことない子ぉやよって。フフフフ」
「ほんまになぁ、おんばひがさ(お乳母日傘)で育ったさかい。ハハ」

冗談で言っているのはこちらも判る。
「もぉ!!」とか一言返すと、大概は
「大丈夫かいな。誰ぞに運んでもろたらどないや?」と、茶化した方のおっちゃんやおばちゃんが心配してくれた。
「(一人で)いける、と、思う」と答えると、「気ぃつけて行きや」と必ず最後にこう声をかけてくれた。

『おんばひがさ』とは、ええとこの子(=良家の子)が、手塩にかけられ、随分と甘やかされて育ったことを表わす言葉だ。
けれど、本当に「ええとこの子」でなくても冗談半分で使い、50才を過ぎた今でも小さな頃から可愛がってくれた高齢の人達からは、「おんばひがさで育った子ぉ」と冷やかされる。

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2009年7月13日 (月)

大阪弁:『おしめり(御湿り)』

この所、日本の梅雨も様変わりしてきた。
まるで亜熱帯のスコールだ。
大粒の雨が、一気にザーッと降ってくる。

大阪弁には『おしめり(御湿り)』という言葉があって、「それとは、とんとかけ離れてしもて」と思う。

空梅雨(からつゆ)の折など、「ここらで一遍、雨が欲しいもんや」と人々が感じていると、夕方、少し雨が降る時もある。
そんな時に、「はぁ~、えぇおしめりや」と喜べば、「塩梅よぉ降ってくれたがな」と天に向かって感謝する。
こんな日常があった。

ところが今の梅雨時の雨は、各地に被害をもたらし、TVで天気予報図を見ては不安になる。

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2009年7月10日 (金)

ビジネスマナー:出会いに感謝

新しい仕事で出会う相手の第一印象は尾を引く。

私の場合、
① 年齢や性別に関係なく、相手に「可愛い」と感じるものがあれば、良い関係を築いていける。
② 「なんやこぉ、冷たいというか……」の印象を持っても、偶にはこの先、「意外に優しとこもあるわ」と変化する時もあって、そうなると良好な関係に至る。
③ 出会ってすぐに「この人、サド的なニオイを感じる」と思った時は要注意。言動にソツがないのに、この印象が拭いきれない時は、どんなに折り合いをつけようとしても、関係は成り立たない。

上記の3パターンに分かれる。

これからも、「さて、今度会う人は、①かな? ②かな? ③やったらイヤヤな」と漠然と思いながら、初対面の場に臨むだろう。

新しい出会いがあった夜、目を閉じる前には、「どんな結果になったかて、基本は“人との出会いに感謝すること”やわ」と呟き、「おおきに、ありがとうございました」と口に出すようにしている。

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2009年7月 7日 (火)

問答無用

仕事では、「こないなるやろな」と想像して起こす行動がある。
それも「ええ結果にはなれへんわ」と思いながら。

先方の出版社からの"書く条件"に、「それはあんまりやろ」と納得できない点があった。
私は、日本脚本家連盟にも加入しているので、著作権やそれらに付随することについて、この機関の著作権部に相談している。
そこでの意見も踏まえ、「一度、お話しできませんでしょうか?」と伝えた。

結果、話し合いの場は持たれず、この出版社での仕事はなくなった。
代表取締役名で届いた短い文面に目を落して、「案の定、問答無用やな」と思った。

『問答無用』の態度は、この業界ではよくあることで驚いてもいない。
何しろ、文句を言わないライターはいくらでもいる。
「けどな、やっぱり、これ、おかしやろ? と思いながら書くことは、うちはよぉせん。それでは不満が募るだけやもん」
たとえ不満があっても、この先の展望が望めるのなら、私は書く。
「今回は、全くそれがない」と判断した。
想定内の『問答無用』を受け入れ、「これはここまで!」と頭を切り換える。

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2009年7月 6日 (月)

大阪弁:『虫抑え(むしおさえ)』

何でもないときに出る一言に、「おっ?!」と驚いたり、「そやそや、この言葉」と懐かしさが込み上げてきたりする。

97歳の紀北地域(和歌山県北部)に住む祖母は、古い大阪弁を日常的に使う。
紀北地域は大阪に隣接し、昔から人の行き来が盛んだ。
そのせいで、高齢の祖母の話す言葉に、「これは残しとこ(=残しておこう)」と思うものが沢山出てくる。

例えば、祖母の小腹が空いている時に、タイミング良くお茶菓子を持って行くと、「丁度ええわ。ちょっと虫抑え(むしおさえ)に、よばれよか」と言う。
このように、“空腹を少し満たす”の意味で使う『虫抑え』という言葉は、愛嬌のある大阪弁の一つで、「何とか、残しておきたいなぁ」と思う。

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2009年7月 5日 (日)

とと様の名ぁとかか様の名ぁ

もう46年前も前の話だ。
1963年(昭和38年)に起こった吉展(よしのぶ)ちゃん事件から、「誘拐も他人事(ひとごと)やない」と祖母は思ったようで、「これ、忘れたらあかんで」と、氏名・住所・父母の名前・電話番号を、5歳の私に繰り返し教えた。
「外でなんぞあったら、覚えたこと、ちゃぁんと誰ぞに言うのやで」と、迷子や誘拐を想定して注意も受けた。

そんな時、必ず出てくるのが人形浄瑠璃の「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」の台詞、「あーいー、とと様の名はあわのじゅうろべぇー、かか様の名はおゆみともうしますぅー」だった。
「なっ、あの話でも、そないゆうて、お父ちゃんの名ぁ、お母ちゃんの名ぁをゆうのやさかい、成美かてでけるやろ」と言った。
「うん」と頷いた。
「ほな、覚えたかどうか、一遍、ここでゆうてみ」と祖母が言うので、
「あい、あ~いー、とと様の名はたけお、はは様の名はたえこともうしますぅ~」と調子よく謡うと、側にいた祖父は吹き出した。
祖母は正座の膝も崩さず、真顔で、「所(ところ:住所)からゆうてみ」とやり直しを命じた。
今度は節も付けず、ちゃんと、きちんと言った。
「よろし」と祖母は安堵した表情になった。

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2009年7月 3日 (金)

世話やき道

『世話やき』という大阪弁がある。
「ほんまに、うちはそうや。せんかてええがなとか、ここまですんのも、なんかなぁと思うのに、つい、ええいもぉ、乗りかかった船やと思て、やってしまう」
こんな事はしょっちゅうだ。

さて、事が済んでの話だ。
「塩梅いったら、良かったと胸のつかえが下りて、スッとすんねん。けど、そうはいかん事かてあって、そんな折は、骨折り損のくたびれ儲けとはこう言うこっちゃなと、ドッと疲れしまう。ほんで、自分がアホちゃうかと情けのぉなってしまう」
これもしょちゅうだ。

今も「世話やきやわ」と思いながら、誰かを誰かに紹介したり、「お宅さん、気ぃついてはらへんようやけど」と一言物申すような事もありで、過去の事柄の成り行きを考えると、内心は複雑だ。
けれど、「でけたら、皆がええよになったらええねん」と思っているので、世話やきは、時々溜息を漏らしながらも今日も明日も続いていく。

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2009年7月 2日 (木)

青の時間と茜色の時間

近頃は、何時に寝ても、午前4時半頃に目が覚める。
と言っても、困っているわけではない。

この時間帯に目が覚めると、夜が明ける前の外の色の変化を楽しめる。
「大好きな青の時間や」と蒲団の中から腕を出せば、ほの白く肌が光る。
目がまだボーッとしているせいで、プルプルの二の腕なども白さが増したように感じ、"ちょうどええ塩梅"に見える。

夕方は、茜色の時間。
夕陽を見ると、「なんで、切のぉなるんやろ?」と思うが、理由(わけ)もなく胸がキュンとしてしまう。

青に始まり、昼は白、夕方は茜で、やがて暗闇が来る。
だが、大阪市内では真っ暗闇の場所は殆どない。
漆黒の闇の中にポツンと居る経験は、まだしたことがない。

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2009年7月 1日 (水)

大阪弁:「相惚れ」・「逢い戻り」

今日から七月。
文月(ふみづき)とも言うこの月は、愛逢月(めであいづき)の異名も持つ。

大阪弁で“愛”に関連する言葉は色々あるが、「こんな粋(いき)な言葉やのに、今はのぉなって(=なくなって)しもた」というのを、調べてみた。

<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>にある、『相惚れ(あいぼれ)』は、『相思相愛』のこと。祖母が使っていたので記憶にある。
しかし、"『逢い戻り(あいもどり)』 一度別れた男女が再びもとの仲に戻ること"は、「もとの鞘(さや)におさまるちゅうことやな」と判ったが、この言葉は知らなかった。

調べていると、時間の経つのも忘れてしまう。
「へぇ~」と驚き、「なるほどなぁ」と頷き、「うまいこと言うわ」と合点する。
辞書で調べることは、小さい頃からの一人遊びと同じと気付くと、「人って、変れへんもんやなぁ」と、誰もいない部屋で笑ってしまった。

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