あんた 2
「anta_2.mp3」をダウンロード
「あんた」は、目上には絶対使ってはいけない言葉だ。
目上にこの言葉を使うと、喧嘩を売っているのも同じである。
目上や余り親しくない人に向かって使っていた「お宅さん」という表現は、死語に近くなってしまった。
「あんた」はきつい言葉ではあるが、甘えるように使うのなら良いし、また効果も期待できる。
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「あんた」は、目上には絶対使ってはいけない言葉だ。
目上にこの言葉を使うと、喧嘩を売っているのも同じである。
目上や余り親しくない人に向かって使っていた「お宅さん」という表現は、死語に近くなってしまった。
「あんた」はきつい言葉ではあるが、甘えるように使うのなら良いし、また効果も期待できる。
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45年ほど前、育った町内に、一軒のうどん屋さんがあった。
名前も覚えていないのに、店にあった大きな釜なら直ぐに脳裏に浮かんでくる。
この大釜の湯の中に、瀬戸物の大徳利がいつも入っていた。
大徳利の中身はお出汁。
店では、こうしてお出汁を湯煎で温めていた。
この店の“けつねうどん”は美味しかった。
甘辛く炊いた(=煮た)三角のお揚げさんが一枚入った“けつねうどん”は、早い時間に売り切れた。
そうなると、おばちゃんは「もぉ(もう)、“きざみ”しかないで」とにべも無い。
“きざみうどん”は、味を含ませていないお揚げさんを切った(刻んだ)物が、うどんの上にのっている。
「どないする? きざみでええか?」とおばちゃんは問い直す。
『“けつねうどん”やないといやや』と心では言っているが、口には出せず、「……またにする(今度の機会にする)」と肩を落した。
この日一番の悔しさを味わって、5つのおかっぱ頭の私は、祖父から貰ったうどん代を握りしめて帰った。
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とうとう来てしもた。
ココログフリー アップロード1ファイルあたりの最大容量について
【現状】 40MB
【9/9 メンテナンス以降】 1MB
こんなお知らせがあった。
「1MBでは、毎週日曜日に音声配信してるポッドキャスティング、続けられへんがな」である。
ココログフリー以外の切り替えが9/2にあるのを知って、「えっ? なんやの?!」と驚いた。
「残るココログフリーの発表も、すぐにあるやろ」と腹をくくっていた。
不条理や理不尽や、色んな言葉が浮かんではくるが、「せんない【詮無い】こっちゃ(=仕方がない)」と呟いた。
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「ほんまに武夫はせわしない。ちっとの間ぁもじっとできんのやさかい」
40年ほど前、祖母は、父のことをしばしばこう言った。
「酉年やよって、バタバタしてから」
こうも言った。
すでに祖母はこの世にいないが、諦めを含んだ声が蘇る。
実家は、家具屋。歳末大売り出しを含め、年に何度か売り出しをする。
接客に配達、電話応対など、家族総出でテンテコマイだ。
そんな忙しいときに、悠長な顔でもして台所に座っていると、
「お前、忙しときは忙しよぉにせぇ!!」と怒鳴られた。
大抵は、『やれやれ、ちょっと一服』と思って座った瞬間だった。
事情を知る母は、「あんた、ほんまに間ぁの悪い子ぉやなぁ」と笑った。
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満50歳に、もうすぐなる。
「50の誕生日を迎えるさかい、別にどうちゅうこともないねんけど……」
そうは言いながら、この頃、疲労度合いがきつい。
体が疲れるというより、精神面かもしれない。
驚くほど安い原稿料にも「仕事があるのは有難い」と感謝し、理不尽な人に出会えば「しゃぁないわ」と諦めもしてきた。
「この先も、変わらんままや」とヒシヒシと感じる。
このヒシヒシ感が、ジンワリ心を浸食していた。
50の誕生日前に、気づけば心はドップリ疲労色に染まっていた。
急ぎの仕事がある。
「これ片付けたら、何か自分のためだけにご褒美を」と考えるが、せいぜいギネスの黒缶ビールをいつもの“1本だけ買う”から、“2本買う”ことくらいしか浮かばない。
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仕事で京都に行ったついでに、昼食を外で済ませた。
直ぐそばのテーブルに、8名の一団が座っていた。
食事も終わり、お茶を飲みながら雑談が続いていた。
年齢は70代半ば。男性4人と女性4名だった。
皆、同級生のようで、昔話に花が咲くという様子だった。
話はやがて北京オリンピックに移り、そこから「今の若い人は」という話題に集中した。
「今の若い人、上司と飲みに行ったりせぇへんて」
「そうらしいな」
「うちのお父さん、昔、えらなった時に(偉くなった時に)、これから金貯まらんぞってゆうたわ」
「下のもん、連れて飲み食いさせなあかんさかいやろ」
「わしもそうやった」
「うちのお父さんかて、おんなじようなことゆうたわ」
「ところが、今は違うねんて」
「誘ても嫌われるらしいで」
見えない耳はダンボのようになり、テンポよく進む話を聞きながら、食事を終えた。
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『てて(手)噛む鰯』の話を、昨日のブログに書いた。
一晩経って、あの後の話が蘇った。
「鰯の骨なんぞが、喉に刺さるとは情けない」と、父は呆れた。
「どないしても取れなんだ骨、取れて良かった」と、祖母は喜んだ。
「ほんで、喉、どないや?」と、祖父は心配した。
母は、「この子ぉは鰯の骨。この前、○○さんとこの奥さん、鯛の骨が喉に刺さって、病院で取ってもろたらしいわ。うちは鰯やろ。負けたわぁ~」と、少し残念そうに言った。
『鯛でも鰯でもええねん。魚の骨には、よぉよぉ(=よくよく)気ぃつけなあかんわ』と、以来、魚を食べるときはやけに慎重になった私だ。
あれから35年。
明治生まれの祖父母は亡くなり、父も母もとぉに70を越え、私は今年で50になる。
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新鮮な鰯を見つけると、つい「てて(手)噛む鰯(いわし)や」と言ってしまう。
祖母も母も、よく使った言葉だ。
小さな頃、魚は、祖母に実ぃしてもろて(=骨から外して貰って)食べていた。
鰯も、そうして食べていた。
やがて自分でちゃんとできるようになった。
ところが、いつまでも小さな鰯の骨まで除いて食べることに、父が怒った。
「そんなもん、骨ごと食べんかい!(食べろ!)」
食べてはみたが、小骨が喉に刺さった。
何としてもその骨は取れず、翌日、耳鼻咽喉科で取って貰った。
一晩続いた不快感と、取れた瞬間の有難さは忘れない。
たしか、中学2.3年の頃だったように思う。
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幾つかの文章教室で教えているが、受講生の中には、習い事の講師をしている人もいる。
ワイン講座のセミナーを開いている人・香道の先生・書道の先生などなど、多岐にわたる。
一つ、この中の人との会話で印象深い話がある。
初対面の折、「松尾先生は、何か習っていらっしゃいますか?」と質問を受けた。
「はい、俳句を。師と仰ぐ人がいて、その方について教えてもろてます」と答えた。
質問をした彼女は、ニコッと笑って、「それじゃ、ここに習いに来ますわ」と言った。
習う方と教える方の両方の気持ちがわかる事と、常に向上心があるかないかという事を、彼女は「何か習っていらっしゃいますか?」の一言で確認した。
「それじゃ、ここに習いに来ますわ」に、『成る程、巧い確かめ方やこと』と感心した。
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「あんた(=あなた)」という言葉は、今の大阪弁では非常にポピュラーな言葉であるが、きつい言葉である。
その“きつい”という感覚が、現在は消えているように思う。
以前は、「あんさん」「あんたさん」「お宅さん」とも使っていた。
このように、「貴方」や「貴方の所」をさす言葉は、一昔前までは沢山あった。
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45年ほど前の話だ。
「糊(のり)は、仲間で使いなさい」
私が幼稚園の頃は、4人で1つの糊を使うように、先生が指示した。
“田”の字の形に座った真ん中に、黄色い糊の瓶が置かれた。
大阪弁の『仲間』は、一緒に物を使う時に用いる言葉だ。
今でも、あの糊の瓶を思い出す。
スティク糊を見てもあまり愛着を感じないのに、文具売り場で黄色い糊の瓶を見つける度、微笑んでしまう。
「仲間でつこてた(使っていた)あの子も、この子も、みな、もう50や」
この頃は、そんな事もついでに呟いている。
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大阪弁の『よける』は、『避ける』の意味で使う。
今でも生活の中で、よく使っている言葉だ。
例えば、
「机の上にあるもん、ちょっとよけて(除いて)」
「そこ、よけて(避けて)掃いて」
こんな風に使う。
元々、車を運転するのは嫌いだ。
20年前、そんな私が、必要に迫られて高速道路を走行しなくてはならなくなった。
前の車に近づく度、「よけて(移動して)~、よけて~」と叫んだ。
後ろからクラクションを鳴らされると、「よけられへんねん!」と怒りながら焦った。
今は、完全なペーパードライバーだ。
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「うち(家)の中のことは、外行て、そないそない、あけすけにゆうもんやないで。あたかっこの悪い」
45年前、大人顔負けに喋る5才児の私に、祖母はこう注意した。
大阪弁の『あけすけ』は、「何もかも、包み隠さず」の意味がある。
『あたかっこ(格好)の悪い』の“あた”は、接頭語で「非常に」や「とんでもなく」の意味が含まれている。
道を歩いていたら、後方で、大きな声で喋る女性の声に振り返った。
携帯電話で話している内容は、筒抜け(=すぐに知れてしまう状態)だ。どうやら身内の問題で揉めているようだ。
女性のテンションは留まる所をしらない。
騒音のような声から逃げるように、足を速めた。
「やれやれ」と思ったら、急に上に書いた祖母の言葉が浮かんできた。
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立派な桃を貰った。
見場良く、味良く、「ゆうことない!」と絶賛してよばれた(=いただいた)。
そんな美味しい桃を食べながら、「ハネの桃でも、味のえぇ(=良い)のがある」と独り言を言っていた。
『ハネ』は、規格外品を指す大阪弁。
少し傷があったり、形が歪んでいたりするものだ。
明治生まれの祖父母は、この言葉を日常的に使っていた。
70過ぎの母は、今でも時々使う。
だが、周囲では殆ど使っていない。
今ならB級品とでも言うのだろうか?
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「こちらを立てるとあちらが立たず、あちらを立てるとこちらが立たず」
そんな時も、たまにある。
「○○さんの顔立てさしてもろて」と、事が穏便に行くときもある。
反対に、「○○さん、へんねし起こしてしもて」と、後々難儀をすることもある。
大阪弁の『へんねし』とは、臍を曲げるに近い言葉だ。
『へんねし』を起こす人は、プライドが高いと感じる。
「俺を(私を)見くびりくさって」
口には出さないけれど、そう思っている人が多い。
一旦『へんねし』を引き起こすと、そういう人のご機嫌は中々直らない。
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テレビで、北京五輪の水泳競技を見ていた。
番組の途中から見たので、「このよう喋る解説者誰やろ?」と、ずっと気になっていた。
彼は、選手達の今までに至ることや、今後の水泳界のことも喋っていた。
「日本水泳界をよく知ってはる人なんや」程度の予測はついた。
しかし、彼の解説は、私には全く大根(おぉね=心)に響いてこない。
何を言っても、耳に入ってきているのに、意識が動かないのである。
いつぞや、仕事である大学の卒業式の現場にいて、これと同じ感覚を抱いた。
壇上で祝辞を述べる人達の言葉が、聞こえているのに心に迫るものがない。
色々な所で、人の話を聞く機会に恵まれた。
言葉を操れる人は、喋ることに酔っては駄目だ。
「ちゃぁんと、聞いてるもんの心に届く“誠意”がのぉては、あかんのとちがうやろか」と思う。
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親戚の一人が、少し前に亡くなった。
70代半ばだっただろうか。
「まぁ珍しわ。あの人のこと、ええ人やったなという人間が、一人も居てない葬礼(そぉれん=葬式)も」
これが参列した人達の正直な感想だ。
葬儀中も、葬儀が終わっても、それからしばらくしても、この人の善い話は皆無だ。
葬儀は亡くなった人を見送る儀式だと考えるが、そこで交わされる言葉や話こそ、その人の一生の評価だと、私は思っている。
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「あんじょぉ」は、目上にも目下にも、また神さん、仏さんにも使える言葉だ。
元々の大阪弁である「あんじょぉ」は、念押しも含めた言葉だった。
それが、今一般的に使われる「あんじょう」と最後の音を伸ばすと、念を押された感がなくなり、相手への伝わり方が変わってしまう。
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階段からの落下事故で、脳挫傷、外傷性くも膜下出血で入院したのが8年ほど前。
以来、左耳の聴力がかなり低下したが、「別に、どうちゅうこともない」で、特に困っていない。
あの事故から変化したのは、味覚だ。
事故前は、お刺身やお寿司は大好物だったのに、生ものが食べたくない。
けれど、かつおのたたきのように、炙ってあると「美味しいわぁ」と喜んで食べている。
お寿司も、近頃は“炙り○○”が多くなり、これも満面の笑顔で食べている。
もう一つ、字が下手糞(へたくそ)になった。
殊に『な』や『よ』などの丸くなる箇所のある文字が、今までと異なる形になる。
丸くなる部分が、ややひしゃげてしまい「今一つの字ぃやこと」と情けない。
「なんでやろ??」と思う。
身に起った脳の損傷で、理由は判らないが、「へぇ~」と思うことはいくつかある。
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何気なく使う一言に、自分でも「あれ?」と思う事がある。
「はんじく卵が好きや♪ はんじく、はんじく♪」と、リズムをとりながら、台所で茹でた卵の殻を剥いていた。
「あれ? うち(私)、はんじくってゆうてるわ」
少し揺れていた体は、ここで停まった。
大阪弁では「半熟(はんじゅく)」のことを「はんじく」と言う。
今は殆どの人が「はんじゅく」と発音している。
20代の二人の娘も「はんじく」とは言わない。
ちなみに、「にぬき(煮抜き)」と言うと、ゆで卵でも「固ゆで卵」のことをさす。
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何やかや(=何かと)と勧誘の電話がかかってくる。
「はい」と誰もが判る大人の女性の声で出てしまったら、会話中に「はい」と2回ほど繰り返したところで、「えらいすんません。今、ちょっと取り込んでまして(=家の中が騒がしい・用事をしているところ)」と言って、電話を切る。
決して、ブチッとは切らない。
通信販売のオペレーター業務も、名簿を見て先方に掛ける仕事もしたこともある。
掛けてくる相手の気持ちも判る。
二言三言話せば、相手がどんな人かの見当がつく。
たまに、「なんとまぁ、この人」と呆れる相手もいる。
無礼な人には、こちらも対抗策をとる。
1回目の返事が「はい」なら、2回目は「えっ?」「はぁ?」となって、3回目には「すんまへんなぁ~。今、若いもんがいてまへんねん。はぁ、そない説明してもろても、わて、判かれしまへん」と言って電話を切る。
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仕事で、「もういやや!!」となるのは、大抵、「人としてどないやねん?」と怒りを感じたときである。
支払いにやたらと時間がかかる人。
スタッフをまとめる立場にありながら、話も交わすことができない人。
重要な連絡だから、電話が欲しいと何度伝えても糠に釘の人。
などなど、数え上げたらきりがない。
「なんで、こないに、うちの周りに多いのやろ?」
大手企業に勤める友人に、この話をしたら、簡単明瞭な答えが返ってきた。
「そういう人は、企業ではいなくなるのよ。あなたの業界だから、生き残っているのかも」
常識ある行動の出来ない人が、私のいる世界に多くいると考えた方が、「あぁ、そうかもしれへんわ」と諦めもつく。
好きなことをしてお金を貰えることは、本当に有難い。
しかしながら、とにもかくにも、組織に属さない物書きの立場は弱く、哀しいものである。
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近頃、手を繋いで歩く高齢者をよく見掛ける。
一昔前より、うんと多い。
互いの体を気遣って、手を携えている高齢のカップルは、見ていて幸せになる。
「えぇなぁ」と本当に思う。
時々、漏れ聞こえる会話の内容から、ご夫婦ではないと知る高齢のカップルもいる。
手の先がはにかみながら、少し触れたりするのを見ると、これも「ええなぁ」と思う。
人の流れの激しい所で、御主人のベルトを後ろからしっかり握っている奥さんを見掛けた。
皺深い二人のその姿に、『手ぇ繋いだらええのに』と一瞬思った。
が、二人の「手ぇ繋ぐやなんて、今更」と心の中で言っているようにも聞こえて、「これも、またええなぁ」と思った。
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マンションのエレベーターに乗ると、「今まで嗅いだことない、えらいきつい匂いやこと」と感じることが、ここ数日の間に何遍か(幾度か)あった。
ユニセックス用のコロンだったので、エレベター内に漂っていた香だけでは、使用者が男か女か判断がつかなかった。
昨夜、マンションの玄関で、偶然「今晩は」とご挨拶をした相手が、同じ匂いを発していた。
「今晩は」と頭を下げた相手は、赤いTシャツを来た男性だった。
年齢は、20代とも30代ともとれる。
顔まで見ている余裕がないほど、例のコロンの匂いはきつかった。
『むせ返るような匂いも、敵わんなぁ』と、しばらく息を止めた。
香のエチケットは、“ほどらい(程らい=よい加減・適量)”を考えてもらいたい。
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「あんじょぉ」とは、「うまいことやってや」とか、「頼んどくで」とか、「そこんとこ、よしなに」と、そんな気持ちが全部含まれた大阪弁だ。
ところが、この発音が変わってきている。
「あんじょう」と伸ばす人が、驚くほど多い。
ちょっとマニアックな説明になるかもしれないが、「まぁ、一遍聞ぃておくなはれな」と願う。
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仕事や人間関係で上手くいかないときは、ドーンと気分が落ち込む。
2日前に、仕事の担当者からの1本の電話で、「ええっ!? そんな、あんまりやわ……このままでは、ドツボに落ちてしまう」と思っていた。
回避策に、妹と友人に電話で愚痴を聞いて貰った。
しかし、今回の気の滅入りようは、まさに“イケイケドンドン逆バージョン”だ。
大阪弁の『イケイケドンドン』は、勢いよく、前進あるのみの様を表す。
それが逆に働いて、ドンドン沈んでいく。
情けない。
「しぁないわ。その内、ましになる、ましになる」と自分に言い含める。
そして、「うつ病経験したもんは、こんな時、強いもんや。ハハハ」と自画自賛している。
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買い物をするとき、ヤフーオークションを利用する場合もある。
その際、出品者からの連絡に、振込先は記載されているが、住所表記のない人がいる。
こういう人には、「お宅さん、商いの常識、非常識ってもんがおまっせ」と、PCの前で憤慨する。
「顔の見えん取引やさかい、リスクは覚悟の上や。けど、自分の連絡先も書かんと、振込してやはないやろ」
住所・連絡先電話番号の提示を求めて、相手に返信する。
この度の相手には、再度、こちらに送られたきたメールを見て、見えない“商取引の基礎のない人”のシールをペタンと貼った。
私なら、〒・住所・氏名(読み方)・固定電話の番号を記載する。
返信にあったのは、氏名は姓だけ、電話番号は携帯だけだった。
これでは、取引相手として私の信用は得られない。
個人で出品していても、商いの常識は心得ておくべきだ。
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「悪さばっかりしてたら、テンすんで!」
こんな風に、叱られた記憶はないだろうか?
『テンする』は大阪弁の幼児語だ。
軽く叩く時もあれば、ピシッと叩く時も使う。
例えば、「おつむテンテン」と使えば、おちょけて(=ふざけて)頭を軽く叩いている。
つまみ食いなどしようとした時は、「これ、テン!!」と言って、ピシッと手の甲を叩かれる。
「“テン”って、どこからきたんやろ?」と思った。
大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫には、
<テン【点】(名) 人の欠点をさぐり出すこと。非難。>
とあった。
小さな頃よく耳にしたこの言葉は、ここから来ているように思う。
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ビジネスマナーで、「あともうちょっと、受け取る方の気持ち、判れへんもんやろか」と落胆することはよくある。
例えば、封筒の差し出し人の記載。
いくつか営業所がある会社からの封筒なら、株式会社○○と書かれてある下か横に、営業所名がずらりと並ぶ。
差し出した●●営業所に印を付けるなり、アンダーラインを入れるなりしてくれたら、どこから来たのか一目瞭然だ。
そして、係:◇◇なり、担当:▲▲なりと記載があると、こちらから連絡をするときにスムーズな動きがとれる。
大学からの封筒も同じだ。
近頃は大学の校舎もいくつかあって、“□□キャンパス”と並ぶ封書が届く。
「せめて、印の一つも打たれへんもんかいな」と、中身を取り出すまで、どこのキャンパスから届いたのか判らないことで腹も立つ。
「こんなことぐらいで、なんで腹立つのやろ?」と思うが、結局、相手のことを思う気遣いのなさに嫌気がさすのだ。
毎回こういう配慮の欠けた封書は、大抵、担当者が変わっても同じ状態で届く。
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相づちは、会話を続ける上で重要だ。
「ここ、こういう具合なんですけど」と説明をして、
「成る程、成る程」と、軽い調子で返答されたとしよう。
『いや、ほんまにには、この人、判ってはらへんわ』と私は思う。
「うん、そぅ、そぅ、そぅ、そう」と、首を縦に振りながら、リズミカルに愛想良く返答をされた場合は、
『あかんわ。こっから先も信用できん(全く信用できない)』と思う。
「へぇ~、そうだっかぁー」と返答されたなら、
「ちょっと待ってぇな。うちはお宅(貴方)に話してんねん。『そうだっかぁー』やなんて、お宅と違う人に話してるよな返事やないの。かなわんな』と思う。
相づちの仕方一つで、向き合っている話し相手の印象が、コロッと変わる。
相手の話をじっくり聴くのが常の姿だった祖母なら、「気ぃつけとかなんだら、あかんで」と言うかも知れない。
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大阪弁の「こさす(来さす)」という言葉は、「来るように言いつける」の意味がある。
「なぁ、松尾。一遍、はやっさん、来さしてんか」と、会長は告げた。
<対訳>
「ねぇ、松尾。一度、林さんに来るように言っておいてくれ」と、会長は告げた。
このように、「来さす」は命令で使う。
人間関係を説明すると、
・会長は、松尾や林さんより、うんと上の立場だ。
・林さんは、松尾より立場が上か、年長者だ。
・松尾と林さんは、知り合いの仲である。
このように整理することができる。
現在の大阪では、「来さす」を使わないのだろうか?
「来るように言うといてんか」
思い返してみて、この表現が多いように感じる。
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祖母のことを、祖父は持ち上げるのが巧かった。
何か買ってくると、「おばあちゃんは、えぇもん買いやさかい(よい物を買う人)」と言った。
大阪ことば事典<牧村史陽 編;講談社学術文庫>によると
『エェモンカイ【好い物買い】よいものばかり買いたがる人』の記載がある。
そうすると、今風に言えば、祖父の言葉も「ブランドもんばかり買いたがる」とも受け取れる。
しかし、そうではない。
「おばあちゃんは、選別眼がある」と称えているわけで、言葉をかけられた祖母も、悪い気はしていなかった。
当時、私は10歳前後だったろうか。
大人ばかりの世界で育ったせいもあって、かなりませ(=早熟)ていた。
祖父母の様子を見ながら、「夫婦というのは、褒めなあかんのや」と思った。
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「osakaben_no_kiki_no_hanashi_2.mp3」をダウンロード
歌謡曲で歌う大阪弁は、概ね正しい大阪弁だ。
だが、芝居の台詞となると、「あれれ?」と感じる大阪弁が使われている。
そして、それは修正がきかないまま、上演されてしまう。
悲しいことだが、この状態がずっと続いている。
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小さな子は、いるだけで、周囲を和ませてくれる。
「○○ちゃん」と名を呼ばれて反応するときの可愛さと言ったら、“天使の笑顔”そのものだ。
ところが、「笑顔はわしだけに。他のもんには見せたらあかん」という人もいる。
祖父がそうだった。
この祖父は、大変なやきもち焼きだった。
まだ喋れない私が「成美ちゃん」と声を掛けられて、祖父以外の人に手を差し出すのが嫌だった。
それで、声を掛けられたら横をプイと向くように訓練された。
記憶はないが、大きくなってからも、町内のおばちゃん達に「松はん(松尾さん)、難儀な人やったなぁ。ちっちゃいあんたに、横プイと向くよなこと躾てからに」と言われた。
「あんなことしてたら、この子ぉ、どないなるんやろと、おばちゃんら、思てたんやで」と笑いながら教えてくれた。
『どないなるんやろ』と心配を掛けた子は、結婚と離婚を経て、すっかり逞しいおばちゃんになった。
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『広場』
小学生の頃、先生はこの漢字を黒板に書いて、「はい、この漢字は“ひろば”」と読みあげた。
同時に、振り仮名を漢字の横に書いた。
振り仮名の“ひろば”は、すんなり頭に入った。
ところが発音となると、大阪弁の「ひろっぱ」と言いそうになった。
特別困ったわけではないけれど、「つい出てしまうねんなぁ」の思いを抱いたのは、この頃からだった。
それから、振り仮名と発音と、常(つね=日常)からつこてる(使っている)言葉の使い分けを、自然と身につけていった。
お蔭で、今の仕事の基礎ができたと思っている。
「おおきに、おおきに、おばあちゃん、おじいちゃん」
言葉遣いを教えてくれた祖父母に、今も深く感謝している。
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じゃんけんをするときの手を思い浮かべてもらいたい。
大阪弁の『はり倒す』は、手をパーにして、相手の顔を張る。
『一発かます』は、手をグーにして、相手の顔か体を殴る。
こんな風に解説することができる。
ただし、「はり倒したろか!」と言っても、実際行動に出るのではなく、恫喝か威嚇めいた言葉で使う。
同様に、「一発かますぞ、こぉら」と、やや巻き舌気味に言っても、殴りかかってくることは余りない。
有難いことに、「はり倒したろか!」も「一発かますぞ、こぉら」も、面と向かって言われたことはない。
もしも言われたら、そんな時は“窮鼠猫を噛む”ではないか、「やれるもんなら、やってみぃ!!」と言い返すかもしれない。
『50女のパワー全開は、ちょっとこわおまっせ(=ちょっと怖いわよ)』と思っている。
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