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2008年5月 3日 (土)

『欲』の功罪

『欲』はあって当たり前。全くなくしてしまっては、希望すらも生まれない。
例えば、
「○○のように生きたい」
「●●のような人になりたい」
こんな風に考えるときの『欲』は、生きる指針になる。
私にも「○○のように生きたい」の、“○○”に入る文字を胸に秘めている。

ところが、そうではなく、品物を見たら目の色を変え
「それも、あれも、もろてもええか?」
「あんた、これ要らんの? ほな、おくれ(=頂戴)」
と、世の中には何でも欲しがる人がいる。
大阪弁では『欲どしい』という言葉があるが、「あの人、竈(かまど)の灰まで欲しいのかいな。なんて欲どしい人やろ」と陰で言われることになる。
こういう『欲』は見苦しいかぎりだ。

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