2013年5月20日 (月)

大阪弁:しょぉない(仕様がない=仕方がない)

前回のブログに書いた私の睡眠時無呼吸症の治療は、CPAPという呼吸器を装着して眠る。
参考までに、私が使用中の帝人のCPAP治療法のHPには、イラストで装着図や詳しい説明がある。↓
http://www.teijin-pharma.co.jp/zaitakuiryou/cpap/cpap02_02.html

装着を始めた頃は、
「バンドやホースが、なんや体に巻きつくようで、眠りにくいわぁ~」
と感じたが、今や全く苦にならない。
以前に比べると昼間の眠気はかなり改善された。
「ええ調子や」
と喜んでいた。


だが、ここひと月はまた以前のように昼食後の眠気が襲ってくる。

担当の先生は、CPAPの機器に入っているデータチップの解析を月に一度の受診時に見て、
「眠り始めて3時間は深い睡眠状態で……それからは、どうなの?」
解析データを見て尋ねてくれた。
「ウトウト状態で、あんまり眠られへんのです」
と正直に答えた。
「CPAPを付けていても、そこからの空気漏れもないから、装着状態はいいのよ。何か理由があるの?」
優しく問いかけてくれた。
「騒音がひどぉて。マンションのどの部屋から出てる音か特定はちょっと無理やけど、気になる音が続いて」
『ほんまに困ってますねん』と顔に出ていたのだろう。
先生は、「よし! 心得た」とばかりに、
「耳栓をしてごらん。色んなタイプがあるから、自分に合うのを探して試してごらん。イヤンやヘッドホンで音楽を聴く方法もあるけど、CPAPの機器で頭や顔に付けている物が多いから、これ以上何かが付くのは嫌でしょ」
受診しての帰り道、早速、薬局で耳栓を買った。

寝る前は忙しい。
布団を敷く→お風呂に入る→CPAPの機器を取り出し装着準備→耳栓をする→CPAP装着完了→機器のスイッチ オン

「バタバタと忙しけど、安眠のためにはしょぉない(仕様がない=仕方がない)わ」
と呟いて目を閉じる。

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2013年5月10日 (金)

睡眠時無呼吸症候群

『睡眠時無呼吸症候群』
この言葉を耳にした人は多いと思う。

「うち(私)、これやろかぁ??」
ボンヤリ、モヤモヤとした気持ちがわいてきたのは、もうどのくらい前かも思い出せない。

ただ、18年程前には、昼間の耐えられない眠気は、昼食をとると余計に増していた。
それもあって、外で仕事をするときは、昼はコーヒー程度で済ませていた。
食べるのが遅い私には、昼食時の込み合った喫茶店や、ファミレスで食事をするのは、
「うち一人で、長いこと座ってしまうことになる……お店側にとったら、敵わんことやろし」
という気持ちもあった。
「昼食はコーヒー1杯で充分や」と、精神面でもこの方が気楽だった。


ところが、いびきは次第にひどくなっていき、目覚める直前、自分のいびきに気が付くようになった。


東京に来て、〝かかりつけのお医者さん〟になって下さる良心的な先生と巡り合えた。
先生の紹介で『睡眠時無呼吸専門の病院』を紹介してもらい、検査を受けた。
「閉塞性睡眠時無呼吸症候群で、症状は重度寄りの中度」の結果が出て、現在はCPAPを装着して寝ている。

*参考までに、ウィキィペデアの『睡眠時無呼吸症候群』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9D%A1%E7%9C%A0%E6%99%82%E7%84%A1%E5%91%BC%E5%90%B8%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
を読んでみてもらいたい。
「あれ? ひょっとして、僕も(私も)、これ?!」と思い当たる人がいるかもしれない。

『睡眠時無呼吸症』と聞けば、
「痩せなさい。痩せれば治るのよ」の一点張りの人にも出会った。

たしかに症状の軽減や治すためには、痩せる事も大事だ。
しかしながら、私の場合は〝顎が小さい〟事が原因にもなっているので、
「痩せただけでは、うちは、あかんねん。素人考えだけやと、こわいで」
と考える。

もしも、「睡眠時無呼吸かも?」と思う人がいたら、早めに専門医に診て貰うことをお勧めする。

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2013年3月22日 (金)

ビジネスマナー:足らん所をおぎのうて(補って)

大阪から都内に転居して、息子のような年頃の若い起業家たちに出会う機会も増した。

「若いあの子ぉら(=起業家達)、自分の指針をどこに求めて、走る(=勉強するために行動する)のやろか?」
そんな目で彼らを見てみると、

A:利益向上のために、自身と同年代の経営コンサルタントに、スカイプなどのネット通信を使って相談する人。

B:人としての器を磨くために、尊敬する企業経営者の理念を学ぶ場に足を運び、〝今の自分に欲しい物(=指針・支え・言葉など)を得ようとする人。

このように大別できる。

Aは目先だけを見つめ、Bは理想とする経営者としての〝やがての自分〟を見つめている。
どちらも懸命に生きていく姿に変わりはない。

「自分の足らん所をおぎのうて(補って)、どこぞに拠り所(よりどころ=精神的な支え)を求めたいのやろな」
と感じつつ、50半ばの私は傍観者の一人にしか過ぎない。

距離を置き、見ている側の人間だから言えるのだろうが、
「完璧な人間なんていてへん。けどな、自分には何が足らんのかを感じとる力をつけな、あかんわなぁ」
と考える。

若い起業家たちは、この事に気づかず、
「〝常に前を向いて走っているから〟に安心してしもて、自分をトコトン客観視して、企業人の前に人として欠ける所を探る事、これ、せぇへんの、うちから言わしたら〝勿体ないで。そこが肝心やろな〟やわ」
口には出さないけれど、そう思っている。

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2013年3月 4日 (月)

「あほのあほ」・「あほのかしこ」・「かしこのあほ」・「かしこのかしこ」

15年程前だろうか?
ある先生に、
「お前な……」
と切り出された時の事を、度々思い出す。

『先生』と呼ばれるその人は、経営コンサルタントを表看板にしていたが、政界や企業のお偉方、中小企業の経営者やメディア関係と、幅広い人脈を持っていた。

「ええか。よぉ覚えときや。人はな、〝あほのあほ〟・〝あほのかしこ〟・〝かしこのあほ〟・〝かしこのかしこ〟と、こない分けることがでける。フフフ」
と笑って言った。
「ほな、うちは、〝あほのあほ〟ですわ」
と告げると、
「〝あほのあほ〟では、僕とは話が合わん。けど、まぁ、〝かしこのかしこ〟までもいかんなぁ~」
ケラケラと笑っていた。

一息ついて、急に真顔になったかと思うと、
「ビジネスでもなんでもそうや。〝かしこのあほ〟は、どないもならん。お前、なるなよ!」
語尾きつく言われた。


さて、ここで先生の言う分類を大まかに解説すると、

・〝あほのあの〟は、ほんまにあほ。
→しかし、人によっては「愛嬌がある」とも受け取れる言動をする。

・〝あほのかしこ〟は、あほのように見せて、ほんまは賢い。
→愛嬌もあり、機転も利く。人に可愛がって貰える。

・〝かしこのあほ〟は、賢いように見せても、ほんまはあほ。
→愛嬌がない。人に煙たがられていても、気づかない。

・〝かしこのかしこ〟は、ほんまに賢い。
→文句のつけようがない。人から尊敬される。

「〝かしこのあほ〟はな、世の中には、よぉけ(=沢山)いてるやろ。世間から、賢い人やと見て貰いたい、頭のええ人間やと思て貰いたいのやろ。そやけどな、そこにあほが出るのや。フフッ、〝かしこのかしこ〟は、そんなとこ、見せへんがな」


今もって、とても〝かしこのかしこ〟にはなれないが、
「〝かしこのあほ〟になったら、救いようがないわ。何とか、〝あほのかしこ〟の入口のとこまで……いやぁ、これはなぁ、はぁー、えらい難しことや」
と、ずーっと感じている。

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2013年2月22日 (金)

綺麗な大阪弁

月に一度は、主宰する文章教室の授業のため、関西に行く。

都内、千代田区神田に住んで1年半が過ぎた。
順応性がいいのか、幾度も転居をしてきたせいか、
「うちは、一旦住んでたとこ(所)から離れたら、実家も、大阪も、皆々、〝帰る〟とこやのぉて、〝行く〟とこになってしもてから」
自分の持つ習性がおかしくて、クッっと笑ってしまう。


授業の前に立ち寄る場所があったので、大阪駅前でタクシーに乗って、先ずそこに向かった。
車に乗るなり(=乗ってすぐ)、
「運転手さん、ほんそこまでで(=ほんのそこまでの短い距離で)、えらい悪おますけど……場所、ここですねん」
場所を示した地図を渡した。
「あぁ、ここなら、裏から抜けた方が早いですわ(=裏道を通った方が早いですね)」
と行先を確認して、出発した。

「お客さん、えらい綺麗な大阪弁ですな」
発車してすぐ運転手さんは言った。
『うちの話し言葉が、えらい綺麗な大阪弁やなんて……もうこんな喋り方する人は、ほんまにいてへんようになってしもたんや』
と思った。

運転手さんは70歳近く見えた。
『この年代の人ら(=人たち)がのぉなったら、綺麗な大阪弁すらも分かれへんよになるのとちがうやろか?』
そんな思いも浮かんだ。

言葉は生き物だ。
大阪弁も変化し続けている。

大阪弁の死語は増え、
「何いうてんの?」
という顔をされることもあるので、話す相手を見て使う言葉を選んでいる。

『とは言うても、古い大阪弁を使えるお人と話してる時が、一番気ぃよお(=気持ちよく)話せるわ』


「ほんそこまで」と告げた目的地までは、あっという間に着いた。
「おおきに、おおきに。助かりました」
礼を言い、車を降りた。
「ほな、気ぃつけて」
送り出してくれた運転手さんの一言が、嬉しかった。

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2013年2月15日 (金)

ビジネスマナー:時には、かいしょもん(甲斐性者)に成ってみたらどないだす

昨日、出先で昼食をとりに入った店は、リンガーハットだ。
カウンター形式の3人席の一番右端の席に通された。

すでに左側には2人のサラリーマンが座っていた。
一番左側の端席に40代らしき上司、私の隣りには20代後半の部下が座っていた。
注文は済み、若い部下が
「ここの美味しいんですよね」
の一言にワクワク感がにじみ出ていた。

しばらくすると、先に大鉢入りの野菜たっぷりちゃんぽんが運ばれてきた。
上司は「ここ、置いて!」と店の人に指示して、鉢が置かれた瞬間から、一気に食べ始めた。
大鉢入りのちゃんぽんが半分ほどになった頃、小ぶりの鉢に入ったちゃんぽん+ご飯+餃子がついたセットメニューが運ばれてきた。

ここで上司は「あっ」と小さく言った。
部下は「いいです、いいです」と苦笑いの後、すぐに悲しそうな表情に変わった。
「これ、お前のやったんか~。いやー、なぁ~んか、おかしなぁとおもてたんやけどな」
と、半分以上平らげていた上司の箸が止まった。
「い、いえ、ボク、これで(いいので)」
若い部下は、ペコンと頭を下げた。

それからは会話のないまま、上司と部下は食事を終えた。
『さぁて、問題はお勘定の時や。この上司、部下の注文分をペロッと食べといて、自分の分しか払えへんのやろか?』

先にレジに並んだ上司は、案の定、自分の分しか払わない。
部下は、食べたかった大盛りちゃんぽんを食べることなく、やむなく食べたスモールちゃんぽん+白ご飯+餃子3個のランチセットメニュー料金:490円を支払った。

『あ~あ、なんで、〝おい、悪かったな。僕がまちごて君が注文してあったの食べたんや。今日の昼代、僕、払とくわ〟くらい言われへんねんな!
時には〝ここは僕が出すさかい〟と、かいしょもん(甲斐性者=甲斐性のある人・しっかりした人)に成ってみたらどないだす』

ビジネスマナーは社外でも社内でも、しっかりとある。
「僕の食べた分は僕が払うんやよって、君の食べた分は君がはろて(払って)当然やろ」
というようなこの上司の態度が、今回の場合は情けないの一言に尽きる悪い例のビジネスマナーだ。

「かいしょなし(甲斐性無し)の上司と、これから仕事で連れ立った都内回るんやろか」
1000円札を出して490円の食事代を払い、おつりを財布に入れている部下の姿を見て、そんな事を思った。

部下を上手に使うのも扱うのも、上司の仕事。
「察するに、あの上司にビジネスセンスはない!」
出て行った二人の背中を目で追い、そう思った。

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2013年1月23日 (水)

ビジネスマナー:大事なんは、借りる時より返す時

『人に○○を借りる』
とくれば、
○○に入るのは、
時に〝力〟=自分にはない能力
時に〝恩〟=温情をかけてもらう
時に〝時間〟=忙しい相手の貴重な時間を割いてもらう
そして、
時に〝お金〟である。

形のないもの、形のあるものと、借りるものは
「その時によって、ちごてくるわ(違ってくる)」

人は勝手なもので、
「借りるときは、そらもう懸命に言葉や態度で〝窮地を救ってほしい〟〝今さえしのげれば〟の思いを込めて言うのに、返す時は、あの〝窮地を救ってくれて助かった〟の気持ちが、まるで元々なかったかのようになるんが、まぁ~常(つね)やわな」

けれど、ビジネスをしていく上で、借りた○○を返す折の真摯な態度があれば、
「こいつに貸して良かった」
「あの時、微力でも力になっておいて良かった」
と、貸した方は思い、
『おきばりやす(頑張れ)』
口には出さずともエールを送る。


返す時の真摯な態度があればこそ、〝信用〟がつき、次の難題に当たって右往左往している時に
「おい、力、貸したろか?」
と、また○〇を貸してくれ、助けてくれる人が現れる〝源〟になる。

どんな時でも、どんな事でも、
「大事なんは、借りる時より返す時でっせ」

こんな事は、ビジネスマナーとしては誰も教えてくれないかもしれない。
けれど、これはビジネスマナー+人としての基本だ。

今年で55歳の私からしてみれば、息子のような年頃の起業家達を見るたびに
「借りる時より返す時の態度で、伸びていく人、消えていく人が決まるいうても、おかしないねんで」
と思っている。

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2013年1月 5日 (土)

ビジネスマナー:専門用語は噛み砕いて伝える

現在は、就職のために動くこと=『就職活動』を『就活』と呼んでも何の抵抗もない。
他に『婚活』もあれば、『終活(しゅうかつ)』という〝人生を終えるにあたっての活動〟の言葉も巷(ちまた)に広がってきた。

「専門用語かいな? それとも造語と考える方がええんやろか?」
と考えている間に、世の流れは速く、
「あれよ、あれよという間(ま)にやがな」
の思いを抱く頃には、一般的に通じる言葉になっている。


ところが、そこまで広がらない言葉もある。
例えば、ビジネスの場においては、話す相手が同じ業界の人か、そうでないかによって、
〝話す言葉を使い分ける〟ことが必要になる。


最近、政治家がよく口にする
「時間軸にそって」
という言い方も、国民一人一人に理解してもらいたいの気持ちがあるのなら、
「時(とき)の経過に従って」
「作業進行の予定と考え合わせながら」
の方が分かりやすい。

出版業界や、放送業界では、
「話のキモとなる部分」
という言い方が、最近はよく使われる。
これも、業界では違和感なく使われているが、一般的には
「話の肝心(かんじん)な所」
「話の重要な所」
の方が分かりやすい。


「時間軸」や「話のキモ」という言葉を使う人に出会う度、
『お宅さん、相手がお宅のいてる世界の人かどうか、分かって喋ってなはんのか?
ここにいてるんは、お宅のいてる世界とは違う人。そんな言葉、普段から殆ど耳にせぇへんと思いまっせ』
と、喋っている人の顔を見る。

『この言葉、つこたら(=使ったら)、えらい(=大変)この世界に通じてる人間に見えるとでも思てなはんのやろなぁ~』
溜息の代わりに下を向き、
『かしこ(=賢い人)と思われたいんやろけども。ほんまのかしこ(=本当に賢い人)は、〝一つの言葉を噛み砕いて、ちゃぁんと分かるように伝える事がでける(=できる)人でっせ』
俯(うつむ)いたまま心の中で言い終えると、顔を上げる。

『後(あと)、どんな言葉、つかわはんのやろ?』
ここまできたら、興味津々(きょうみしんしん)。
まだまだ専門用語や横文字言葉を話の間に挟みながら喋る人の顔を、じーっと見ている。

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2012年12月10日 (月)

ビジネスマナー:後引く第一印象

かれこれ15年程の付き合いになる経営コンサルティング会社の代表は、もう90歳近い。
色んな人に出会い、培った経験から、
「初対面の人でも、その性根を見極める勘は、えらいもん持ってはるわ」
と感心する。


90歳近いとはいえ、若く見える。
背筋も曲がっておらず、声量もあり、
「もうちょっと、ゆっくり動いた方がよろしのに」
と思うほど、動作もキビキビしている。

その方が、私を誰かに紹介してくれる際は、
「こいつな、えらいはんなりして、まぁ、一見おとなしというか、なんちゅうか、〝優しい女らしさ〟を感じさせるやろ? そやけどな、こいつの中身は、その辺の男より、う~んと男やぞ」
と笑いながら、先方に伝える。

私は否定もせず、穏やかな笑みと共に
「どうぞ、今後とも、よろしおたの申します」
と、ゆっくり頭を下げる。

連携プレーと言えなくもないが、こうして初対面の相手は、
『目の前で頭を下げる松尾の優しげな印象と、本当の姿は違うというわけか??』
困惑の表情が残る顔のまま、名刺交換をしてくれる。

就職戦線がスタートした。
ビジネスマナーでは、『好感のもてる第一印象を残すために』をテーマにかかげ、清潔感のある服装から始まって、言葉づかいや所作に渡る諸注意を伝える本や、ネットで配信されているものは多い。

が、年齢を経て、互いの信頼関係があってこそ成立する、誰かを誰かに紹介する時、またされる時の第一印象は、ある種の連携プレーが〝あ・うん〟の呼吸でなされていなければ、上手くいかない。

私の場合、「こいつ、信頼できる」と信用を得た人との〝あ・うん〟の呼吸で、紹介先の方に
『松尾って、一体、どんなやつやろ?』
の疑問を持って貰うことで、他の人とは一味違った〝後引く第一印象〟を残してきたように思う。

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2012年11月29日 (木)

何やって食べてんのや?

ライターや編集者をしている周囲の女性は、大概、
「親は、私が何をしているか、よく分からないようで」
と言う。

それは私も同様で、54歳にもなって尚、
「あいつ、何やってんのや?」
と、うちの父母は思っている。

実家は祖父の代から家具屋だ。
祖父がこの仕事を始めた頃は、家具職人の人たちがいて、製造・販売をしていた。
戦後、職人さんたちの幾人かが戦争で亡くなったのと、大手メーカーの製品を見て、
「これはとても太刀打ちできん。小売りだけにしょ」
となった。

椅子を1脚売れば、売値の何割かが利益として手元に残る。
祖父も父の代の時も、『つけ』=掛け売り(代金は購入時に支払わないで、月末に支払う)が殆どだった。
商品を指して「これにするわ。つけといて」の一言で、購入品だけをお客さんのお宅に配達した。

今のようなクレジットカード払いはなく、『つけ』はごく一般的で、月末に集金に行けば現金が入った。
中には、「いつ、あのつけの分、はろて(支払って)くれるんやろ」と、何年間も未支払いのままの人もいた。
が、多くの人はきちんと支払うべき時に支払ってくれたので、我が家の生活は成り立っていた。

私を含め、フリーのライターや編集者の立場は弱い。
支払日が守られなかったり、原稿料はこちらに落ち度がないのに値切られる等、
「へっ?! そんなんあり??」と驚くようなことは、何度も経験してきた。

そんな世界の話をしても、父母には合点がいかない。
「(お前のやってることは)よぉ分からん」から、
「あいつ、何やって食べてのや?」と不信感を抱かれて、かれこれ20年弱ほど経つだろうか。

時に仕事の内容を懸命に説明もしたが、
「なんや分からん話ばーかりして。そんな話、もうええ!」
父母の態度がそうなって以来、〝認めて貰えぬ情けなさ〟から抜け切れないできた。

父は来年80歳。母は77歳だ。
「よぉ分からん仕事やけど、一人でやってんのやさかい(一人で生活しているのだから)」
今は半ば雲をつかむような感覚で、私の仕事を捉えているようだ。

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2012年11月 5日 (月)

来年どころか来世の事言うたら、鬼が笑いますやろか

家の中でも手を繋ぎ、
「おっぱして(=おんぶしてほしい)」と言わぬ間に、
「ほれ、おっぱしたろか」と屈んで背中を見せた祖父だった。

愚かなほどの盲愛ぶりに、家のもん(=家人)は呆れ果てた。
町内のおっちゃんやおばちゃんからは、
「松はん(まつはん=松尾さん)のおもちゃやがな」の言葉も出た。
が、そんな事は一切気にすることもなく、
「孫の可愛さいうもんは、こりゃもう、特別や」
と言っていた。

祖父は明治33年(1900年)生まれ。
たった一人の実の娘を、7歳で亡くしている。
養子にした私の父と嫁いできた母との間にできた血の繋がりのない孫。
それが私だ。

昭和33年(1958年)生まれの孫の私への愛情のかけ方は、
〝のぉなった(=亡くした)娘の代わり〟というよりは、
〝わし好みの女に育てあげたい〟の感が先行していたように思う。

幸か不幸か、祖父は気の強い女が好きで、
「お蔭で、うち(=私)かて、そないなって」
と苦笑いしてきた。

今は50代半ば。
祖父は、私が25歳の時に彼岸に渡った。
「ほな、あれやわ。おじいちゃんとは、四半世紀(=25年間)ほど離れてるんやわ」
ふと口にした〝離れてるんやわ〟に気付いて、
「〝離れてるんや〟やなんて言うてしもたわ。この分やったら、来世かて、どこぞで生まれて、またおじいちゃんと孫の関係でいくんやろなぁ~」
祖父の顔がチラついて、プッと吹き出してしまった。

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2012年10月30日 (火)

50半ばの交渉術

「世の中、ほんま、理ぃの通らんこと、よぉけあるわ」
そう思う事は度々で、
「一々(いちいち)腹立ててたら、こっちの身ぃが持ちまへんわ」
ここで考える事をやめる。

けれど、仕事の上で、
「そんな言い方は、いくらなんでもないで!」
「お宅、よぉまぁ、そこまで、言わはるわ!!」
「得手勝手(えてかって=わがまま)も、ここまでくるとは。こんな人、そうそういてへんで」
口には出さないが、腹の中ではかなりムカムカすることもある。

いや、『ムカムカ、カリカリしてきた』の過去形が正しい。

「ムカムカしたかて、こんな人相手に……アホらし」
50も半ばになると、ムカムカ状態の時間は短縮され、諦めの境地に入る。

仕事の交渉相手も、年下が多くなった。
意に添わない私の話に、目の前でイライラしながら直情的な攻撃姿勢の先方がいる。
こういう相手は短気で、交渉相手の話を理解しようとしない。
話を聞くのもするのも時間の無駄とばかりに、言いかけた自らの言葉も、
「もういい、いいですよ!」
と切ってしまう。

こんなぞんざいな(=丁寧に対処しない)言動に触れると、年下相手だから言える一言がわいてくる。
『言うたら、もっと怒るやろなぁ~。けど、もうええわ』
となって、
「○○さん、交渉事は、もっと塩梅(あんばい=上手に)運ばな(=進めないと)……」
微笑みも共に加え、静かに告げる。

結果がどうなろうと、こちらの言いたい事を提示して、相手側の具体的な返事を貰うところまでこぎつける。

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2012年10月19日 (金)

後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ

長野県上田市まで行ってきた。

市内にある、池波正太郎真田太平記館で、
〝イベント:竹内志朗の舞台道具帳-剣客商売〟があったからだ。
父のように慕う竹内先生が池波正太郎作品で手掛けた手書きのタイトルや、舞台セットのデザイン画を館内に展示。
必殺シリーズのプロデューサーの仲川利久氏とのサロントークも行われた。

JR上田駅への帰り道、
『酒粕あります』の文字を見つけた。
「粕漬けしょうとおもてたとこやったし、丁度ええわ。こうて(買って)帰ろ!」
買った酒粕は3.7kg入り。

広い間口の店内には、鰹節の匂いも漂う。
「鰹節は、なんとまぁ、これもほしかった焼津産!!」

酒粕と鰹節を迷うことなく買った。
鰹節は軽いが、酒粕はズシンとくる重さだった。

少し歩くと、レトロな建物の飴屋さんがあった。
フラフラと中に引きこまれ、どっしりとしたガラス瓶のラベルに〝滋養豊富〟と書かれた『麦芽水飴』を購入。

手荷物もそこそこあったのに、
「ついつい、食材には手ぇが出て」
思いもかけぬ重さになった荷物を抱いて、新幹線に乗った。

座席につくなり
「後先(あとさき)考えんとアカンわなぁ」
荷物の重さを急に感じ、これからの帰り道を思った。

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2012年10月12日 (金)

大阪弁:すってんてん(=からっぽ)

私は浪費家ではないが、
「これもこうとこか(買っておこうか」
と購買意欲が一番わくのは食材だ。

スーパーに入る前には、必ず財布の中身を確認する。
いつぞや、
「財布パンパンや(膨らんでいる)。結構、うち、今日はお金、持ってるわ」
思い込みは、ろくなことがない。

レジで合計金額を聞き、いざ支払う段になって
『ひ、ひぇ~、レシートばっかり!! 現金が、ナ、イ。そんなアホな!!』
小銭を集めて、とりあえず入り用な卵1パックだけ買い、
「すんません。お金、財布に入ってのぉて……買い込んだ品もん(品物)、全部、お返しします」
脇に汗を垂らしながら、頭を下げた。

恐怖の体験を経て、スーパーに入る前に
〝財布の中身チェック〟行動は身に着いた。

しかし不思議だ。
計算にはとんと疎い(少しも得意でない)私が財布の中身を見て、
「小銭も入れたら、大体3500円ほど」とか「あっ、5000円札入ってたわ」
金額だけ確認してから、買いもん(買い物)はスタート。
レジで支払いを終えると、ほぼ毎回、その時の財布の中身全金を使い果たしている。

「ほしいもん(欲しい物)こうたし(買ったし)、気持ち、ええわ」
スーパーの袋は重く、財布の中身は「すってんてんやわ~」と軽くなるのだが、ウキウキモードで家路を急ぐ。

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2012年10月 4日 (木)

人さんの手ぇ借りて育てる子供かな

今、つくづく思うことがある。
離れて暮らす長女は今年28歳、次女は25歳になる。

長女が小学4年生、次女が小学校に入学する時には、すでに夫と事実離婚の状態で、別居生活を送っていた。

別れた夫は歯科医。
その父親は産婦人科医だった。

医者の家に家具屋の娘が嫁ぎ、そこに生まれた孫を、私の父母は扱いづらいようだった。
〝敷居の高い家の子〟とでもいうのか……。
孫であることに違いはないが、私が祖父母に育てて貰ったような
『全てを大きな懐に包み込む』
という感じは受けなかった。

近頃、周囲の若い子たちから
「結婚決まりました。子供も早く欲しいんです。あの、まだ先の話ですけど、子供ができたら、どんな事に注意すればいいですか?」
と尋ねられる機会が増えてきた。

「できるだけ、仰山の手ぇが、子ぉに入る方がええ。ええ人も、あんまりそやない人も、色んな人の手ぇ借りて、子育てしていくのが、一番ええわ」
きっぱりと、即答する。

『うちは、それに失敗した』と思ってる。
人から見ればしっかりした母親と、しっかりした娘二人のように見えただろう。
だが、母と娘二人だけが歩む細い道は、結果的に世間が狭く、物の見方が極端になりがちだ。

自戒を込めて、
「子育ては人さんの手ぇ、たんと借りや。やがて度量の大きな子ぉに育つさかい」
そう思っている。

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2012年10月 1日 (月)

縁結び

祖母の所には、見合い話の相談に来る人も多かった。
昭和30年代後半、まだまだ世の中の景気は良かった。
「うちの子ぉ、商売人がええといいますのや」
と言う人がいれば、
「公務員かサラリーマンで、ええ人がいてたら、宜しお願いしときますわ」
と言う人もいた。

祖母は生年月日や干支、本人の気質と希望を考え、
「ほな、この人とどないやろ?」
封書に入った『釣書(つりしょ)』と呼ばれる本人や本人の家族の略歴の書いたものを見ては、また別の釣書を取り出して
「一遍、声、掛けてみよか」
と言っては、取り出した2通の釣書を元の封筒の中にしまった。

祖母の声掛けで気が合い、
「夫婦(めおと)になって、やっていけそう」
と相談に来ていた人の息子さんや娘さんが感じたのなら、祖母は『縁結びのおばあちゃん』である。

54歳の私は、見合い話のお世話はしたことはない。
だが近頃、ビジネスやビジネス以外の場で、男性・女性の関係なく、
「なぁ、一遍、顔、合わせてみぃひん?(=してみない?)」
「おぉて(=会って)みてもええんとちがう?」
知り合いの誰ぞと誰ぞ(=誰かと誰か)を引き合わせる機会が多くなった。

そうして何かが良い方向に進めば、
「そらもう、言うことおまへんわ」
である。

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2012年9月24日 (月)

『ポジティブ』に要注意!

「僕(私)は、ポジティブだから」
という人がいる。

このタイプの人間は、どんな場面でも一旦はへこんで、反省めいた事を言うが、次の瞬間には、
「何事も、ポジティブに考えないと」笑顔を見せて、再度
「僕(私)は、ポジティブだから」
と締める。

この場合の
『ポジティブ:positive』は、「嫌なことがあっても、常に前向きに考える人」という事になる。

私も40代の前半までは、
「ポジティブ、それはそれでええわ」
と思っていた。

しかし、40も半ばを過ぎた頃から、この言葉を使う人の行動をよく見るか、思い返してみると、
「自分に都合のええよに考えて、人の事はどうでもええねんわ」
と、度々感じるようになった。

長らく感じていた事を、改めて整理すると、
「つまりは、自分が中心で、嫌な事があったら、
・なんでそないなったんやろか?
・自分のどこが悪かったんやろか?
・この先、どんな事に注意したらええんやろか?
ということを、全く考えもせぇへんということやな」
の結論に至った。

50半ばになった今、「ポジティブ」や「超ポジティブ」という言葉を使う人には、
『これは注意せな』
顔の上半分で笑って、口元だけは引き締める。

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2012年9月21日 (金)

マナー:先さんのことを考えて

明治生まれの祖母と一緒に出掛けるときは、
「先さん(さきさん:先様(さきさま)=先方(せんぽう)のことを考えて」
行動することが何よりも優先された。

大阪の親戚の家に行く際は、早めに家を出る。
親戚の主:北川(仮名)のおっちゃんが、いつも頼んでいる酒屋さんに立ち寄り、
「北川はんとこ、今も○○のお酒だすか?」
と尋ね、
「そうだすわ。変わってしまへんな」
の返事を確認してから、
「ほな、1本、届けてといておくんなはるか(=それなら、一升瓶1本を、先方に届けておいてください)」
熨斗(のし)の表書きを伝えて店を出る。

「(約束の時間まで)まだ間(ま)ぁあるさかい」
というので、商店街の喫茶店に入る。
注文は、夏でも冬でも祖母はホットコーヒー、私はクリームソーダと決まっていた。

腕時計を見て、
「さぁ、ぼちぼちと」
席を立ち、会計を済ませて店の外に出る。

約束の時間に先方に着くころには、先触れ(さきぶれ=前触れ)のように、さっき頼んであったお酒も届いていた。
先に届けておくことで、先方のお茶の用意や心の準備もできる。
私たちは喫茶店で休憩をしてから、約束の時間通りに着く。

今、仕事でもプライベートの場面でも、祖母のような気配りをしてくれる人は少ない。
気配りを欠いた人に出会うたびに、祖母のよく口にした
「先さんのことを考えて」
が脳裏に過り、
『まぁ、色んな人がいてるさかい、しゃぁないわ~』
苦笑いしてしまう。

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2012年9月14日 (金)

ほんまの『いとさん』・『とぉさん』

船場生まれで船場育ちの母親を持つ人が、
「ある時、父親が、うちの母親に、『おい、お茶淹れてくれ』とゆうたのや。母親はゆっくりと腰を上げて、『うちが淹れますのやったら、ちょっと時間かかりますけど~』という具合で……。
あれ、きっと父親は、生まれも育ちも船場やなかったよって、カチンときてたと思うな」
と言っていた。

『いとさん(=お嬢さん)』
『とぉさん(=お嬢さん)』・・・大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 によると≪トォサン【嬢さん】(名)いとさん。お嬢さん。イトサンのイが脱落したもの。≫とある)
と呼ばれ、裕福な家庭で育ってきたこの明治生まれの女性は、物腰が兎に角ゆったり。
『いとさん』・『とぉさん』と呼ばれて育ってきたことにプライドがあった。
お茶を淹れるよりも、淹れて貰って〝飲む側〟で育ってきた女性だ。

「お茶一つ淹れるのも、もったいつけて(=尊大ぶる)」と、この家の主である話し手の父親は腹が立ったらしい。

話し手は80歳手前だ。
在りし日の父親と母親のやり取りを、懐かしげに、時に母恋しの表情を見せて話してくれた。
同時に、プライド高い連れ合いを持った父親に、一抹の憐れさを感じていたのも、話の合間に感じ取ることもできた。

そんな話を聞かせて貰う機会が、幸い、私には沢山あった。
話を通じて、ほんまの『いとさん』・『とぉさん』の雰囲気を感じる喜びも生まれた。

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2012年9月 7日 (金)

ビジネスマナー:わが身定規

「お宅の常識、世間では非常識って言いますねん」
そんな呆れる言動を思い起こすのは簡単で、
「掃いて捨てるほどある、ある」
勝手にドンドン蘇ってくる。

突然、見ず知らずの人から私の携帯電話への連絡は、
「この携帯番号に電話したら、すべてが分かるとかで……」
と困惑気味に言うが、その声に全く覚えがない。
「あの~、私、お宅さんと面識おますやろか?」と問うと、
「いいえ、ないです」と明言する。

「ほな、誰が、うちのこの携帯に電話するよに言わはったんで?」
「○○さんです」
「○○さんなら知ってますけど、何をお宅さんに話すのやら、うちには分かりません」
「私も、何を尋ねていいのか分かりません」

どちらも「これ、どないすんねんな??」状態になり、、
「○○さんに、も一遍、松尾に何のための連絡をするのかを尋ねてください。それが分かってから、うちに電話をくれますか?」
で終えた。

何も「電話をしたら分かるから!」とそれだけの指示を出した○○さんに限ったことはなく、相手を慮る(おもんばかる)心を持たず、礼儀や常識に欠ける人は、年齢に関係なく、いつの世にもいるのだろう。
しかしながら、ビジネスが絡んでくると、上記のようなことは困る。

「この伝え方で、人は分かるやろか?」
「この言葉で、僕の(私の)誠意は伝わるやろか?」
それを考えずに行動する人は、大抵、「忙しくて、考える余裕がなくて」と決まり文句のように言う。

「そうですか」と平静を取り繕って答えるが、
『お宅はわが身定規(=自分の尺度でしか物事を判断しない)なお人。自分のことだけしか考えはらへん。もう~堪忍してぇな』
と腹の中では呟いている。

相手を思い、自分の行動を客観的に捉えて行動できない人がウジャウジャといて、近頃呆れ果てている。

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2012年9月 4日 (火)

『腐っても鯛』>『出世魚の鰤』

私は『鯛』のことを、「お鯛さん(おたいさん)」と呼ぶ。

いつぞや、このことに気が付いた娘が、
「鯛だけ、〝お〟もつけ、〝さん〟もつけて。ほな、鰤(ぶり)はどないやねん?」
と問うてきた。
「鰤は、ぶりや」
と答えた。

答えながら、
『えっ? あれまっ! 鰤は出世魚(しゅっせうお)やのに……。なんや、気の毒な』
という気はしていた。

娘は、
「おぶりさんとは、言えへんのやな」
と念を押すので、
『悪いなぁ、鰤。堪忍(かんにん)してや』
そう思ったが、
「鰤はぶり。〝おぶり〟とも〝ぶりさん〟とも〝おぶりさん〟とも、『飴ちゃん』みたいに『ちゃん』つけて〝ぶりちゃん〟や、(古い大阪弁で名前を呼ぶ時に使う)〝おぶりはん〟とも呼べへん」

こう答えた時から、私の中で、『腐っても鯛』は『出世魚の鰤』を打ち負かした。

何でもない事だが、お昼にお弁当を買いに行き、
「今日の魚は鰤の照り焼き」
と説明している売り子さんの声を聞いて、ふと、こんな話を思い出した。

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2012年8月28日 (火)

ビジネスマナー:「こりゃ、どもならん!」編

前々から、ヤフーオークションを利用している。
大阪弁で言う「セコ」・「セコハン」(=中古品<今風にいうならUSED>も、新古品も、新品もある。
運よく、「あぁ、うれし」と思う金額で落札できるときもある。

問題は、その後の『振込案内のメール』だ。
商品を出している人(=出品者)からのメールに、住所・氏名は書いてあっても、電話番号がない事も多い。
もっとひどい場合は、名前(姓)しか連絡してこない人もいる。

この時点で、「こりゃ、どもならんがな! なんぼなんでも、最低限のビジネスマナーというもんがおまっせ」と腹が立つ。

そこで下記のようなメールを先方に送る。

〝この度は、お世話になります。
商品を落札致しましたが、○○様からのご連絡には、電話番号がございません。

ネット取引はお顔の見えない商取引です。
急な連絡が必要な場合もございます。
連絡のつく電話番号を明記してくださいますか?

よろしくお願いします〟

名前(姓)しか表示してこない出品者には
〝この度は、お世話になります。
商品を落札致しましたが、○○様からのご連絡には、お名前の表示しかございません。

このオークションは見ず知らずの者同士が、ネットを通して、信用し、商取引を行うものです。

出品者の住所や電話番号の記載がないのは、当方の不安につながります。

当方の住所・氏名・電話番号は、すでに記しています。
あなた様の住所・氏名(フルネーム)・電話番号をお教えください。 

よろしくお願いします〟


書いている私の心中は
『お宅さんが振込案内をもろた時、思い出してみぃな。
 
・郵便番号
・住所
・会社名
・電話番号
・HPアドレス
・会社のメールアドレス
これだけのもんが書いてあったと思うのやけれど。
今回でいうたら、せめてお宅の電話番号<または、住所・氏名・電話番号>は書いておくべきこと』

カチンと来ている心を抑え、最後に『
よろしくお願いします』と書き、送信する。

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2012年8月24日 (金)

「オトン」・「オカン」も、「オジン」・「オバン」も大嫌いやけれど……

明治生まれの祖父母は、
「オトン」・「オカン」も、「オジン」・「オバン」も、決して誰からも呼ばせなかった。
また、祖父母にそんな呼び方をする人もいなかった。

祖母は、自らのことを「わてはおとんぼ(乙ん坊=末っ子)で」と言い、自分の父親のことは「てておや」と呼び、母親のことは「ははおや」と呼んでいた。

他人に、
「あなたのお母さんは、どう考えているの?」
と問いかけるときは、
「お宅のおかぁはん(=あなたのお母様)は、一体、どないな考えで?」

あるいは、実際、何か言っているだろうと想像できる状況なら、
「おうちのおかぁはん(=あなたのお母様)、どないゆうてなはんのや?」
と、ゆったりと構えて話を続けていた。

「オトン」・「オカン」も、「オジン」・「オバン」も
「品のない呼び方や」と嫌っていた祖母だ。
が、ただ一人、その祖母を「オバン」と呼び、ちょいちょい(=ちょくちょく)祖父母宅に顔を出す祖母の甥:ミスオさんがいた。

「ミスオは苦労してんのや。若い時分に(布の)裁断機で、指、のぉなって(=なくして)」
昭和30年代~40年代にかけて、高度成長期の繊維産業の盛んな土地柄ゆえに、給料の良い所に働き手は動く。
ミスオさんは繊維関係の職工だったが、今思うと、結構、勤め先の工場を変わっていたような気がする。
字が下手で、履歴書を書くことになると、
「オバン、すまんな」
と言って、履歴書を祖母に渡した。
祖母は、時々、今までの職歴をミスオさんに確認しながらきちんと書いた。

ミスオさんの「オバン」には優しさがこもっていた。
情(じょう)を含んだ「オバン」と言う響きを、祖母はフッと笑って聞いていた。

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2012年8月 7日 (火)

何がどないなるか分からしまへんわ

昭和33年(1958年)生まれの私は、5歳まで同じ年齢か、自分の年齢に近い子供と遊んだことがない。

祖父母の家で、そこに集う明治・大正・昭和初期生まれの人たちの会話の中で育った。
大阪弁を中心に、
「どんな相手で」
「どんな関係で」
敬語の使い方が変わるのかも、自然と身に着いた。
まったりとしているようで、めりはりのあるそんな世界が好きだった。

「大人の世界ばっかりもあかんやろ」
というので、父母は私を3歳になると保育園に入園させた。
ここは子供ばかりの世界。
私が親しんできた大人の節度や秩序ある世界ではなかった。
「ここ、うち、イヤや」
入園後、脱走を続け、通った日は3日間もない。

母は翌年の始業式の翌日、園の門前で
「イヤや~」と泣き叫ぶ私を園内に押し込んで、とにかく4歳の保育園児の形をつけた。
しかし、この日も母が帰ってから、先生方の隙を見て保育園から逃亡。

祖父母はとうの昔に
「この子、(保育園に)通わすのは無理や」と思っていたようだ。
だがその言葉は時期が来るまで言わずにいた。

父母の抱く
「おじいちゃん、おばあちゃん育ちはあかん。ほんまに、もう、こないに手ぇつけられへんよな我がままな子ぉになってしもて。どないぞして、保育園で治してもらわな」
の気持ちを察していたのだろう。

黙って様子を見ていた祖父母だったが、4歳の登園通算3日目に、一旦登園をして脱走する毎度の姿に、不憫さが先に立った祖父が
「もうええがな。こない嫌がるんや。(保育園に)行かんでもええやろ」
の一言で、保育園から解放された。

「ヤッター!」という喜びよりも、
「やれやれ。これで、やっと今まで通り、好きに一人で遊べる」と思った。
やけに大人びた『やれやれ』感に満たされたことを、53歳になったこの年齢でもはっきりと思い出す。

そんなこんながあって、古い大阪弁に満たされた世界で再び好き放題に過ごせたことが、今、こうして大阪弁に特化したブログを綴る源(みなもと)となっている。

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2012年7月21日 (土)

ビジネスマナー:粋やない人、好かん蛸(すいやないひと、すかんたこ)

大阪弁の『粋(すい)』とは、意気(いき)なこと。
「粋な人(すいなひと)」を今風に言うなら、
「センスの良い生き方やその言動に、人が憧れを抱くような人」とでも表現できる。

対極にあるのが『不粋/無粋(ぶすい)・野暮(やぼ)』という言葉だ。
大阪弁なら「もっさり」とも言う。

仕事でお世話になった人と会食をすることは、よくある。
食事は、本人が気づかないまま、その人の本性が出る。
毎回ではないが、私は会食の場を、人を見極める機会だと思って座る時もある。

今の夏の時期とは異なるけれど、ある時の会食で、柚子釜が出された。
柚子釜は、柚子の中身を出し、柚子を器に見立て、中に吟味された食材を入れてある。
食べ終わった途端、私の横に座っていた人は、花板(はないた)さん(=板長)に向かって、
「ほら、綺麗に食べてやったから、後で使えるでしょう? 使うんだろ、これ?」
と言った。
『この店に連れて来たのがまちごてた! あぁ~しもたー!!』
空の柚子釜を片手で振る姿を横目で見ることしかできず、本当に花板さんに申し訳なかった。

『粋やない人、好かん蛸(すいやないひと、すかんたこ)』
食事が終わるまで、何遍繰り返したか分からない。

「もう、ぜーったい、うち、この人とご飯、食べへん!」
と決めて、それ以降、一緒に会食したことはない。

名刺交換や挨拶の仕方、メールの送り方等々のビジネスマナーは〝やいのやいの〟(大阪弁:しつこく要求するさま)と言われる。
人との食事の場では、ビジネスマナーより一歩進んだ『品性』を見られているということを忘れないでほしい。

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2012年7月12日 (木)

素直と片意地

明治生まれの祖母の言う
「人さんのゆうてくれる事は、素直にききや」
片意地通すよな、そんなアホなこと、しぃなや」
その言葉は、今も身の内に残っている。

※片意地
(かたいじ=意固地:いこじ/どんなに間違っていても、意地を張り通すことの意味を持つ)

両親の言う事には、大抵、
「そやけど、お母ちゃん」
「お父ちゃんはそない言うけど」
と素直になれない。

原因は、勝気な父母の気持ちの根底にある、「子ぉに舐められてたまるかい!」であり、
親は親として立てるが、「うちの言うてること、まちごてないもん」の気持ちが私から抜けないからだ。

ところが、亡くなった祖母や、可愛がってくれた町内のおっちゃんやおばちゃん、幼い日に遊んでくれたお姉ちゃんたちからかけられた言葉には、全面降伏並みにどんな時でも
「うん」と心(しん)から答える。

80歳手前になっても変わらない父母の言動に接すると、
「他人さん(たにんさん)とは、うまいこといくのに……」
嘆くでもなく、むしろ諦めに近い感情が50半ばの私にはある。

「おばあちゃん、一番難しのは、親に素直になることやわ」
朝から祖母の顔が浮かんできて、そう呟いた。

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2012年7月 3日 (火)

ほな、いこか(では、出発)

昭和33年(1958年)生まれの私。
3つか4つの頃ともなると、電車を乗り継ぎ、大阪市内の親戚の家に、祖父母と手を繋いでついて行った。

祖母が一人で向かう時は、家を出る前に必ず
「今日はおばあちゃん一人で行くんやさかい、しっかり歩くんやで。ほんで、おばあちゃんから離れたらあかん。ええか?」
と念を押された。

「もしもや、そんなことあってはならんけども、おばあちゃんとはぐれて(逸れて:大阪弁〝見失ってしまう〟しもたら、どないするんや?」
と問われる。
この時にこそあるような真面目な顔をして、
「おまわりさんとこ行く」と答える。

「おまわりさん、ちょうどええ塩梅にいてたらええけど、いてへんかったらどないするのや?」
の問いかけに、
「誰ぞに〝おばあちゃんとはぐれた。うちの名前は松尾成美。家は和歌山県伊都郡高野口町(いとぐん こうやぐちちょう:現 橋本市高野口町)。電話は……」
氏名・住所・電話番号・父の名前を諳んじるのを確認後、
「ほな、いこか(では、出発しましょう)」
祖母は正座していた座布団から腰を浮かせた。

当時の祖母は、身長152cm程で、体重は80kg。足のサイズは21cmという、非常にバランスの悪い体だった。
祖母は幼い孫を見失うまいとし、私は『おばあちゃん、ひっくりかえったら、えらいこっちゃ』と思う気持ちがあった。
互いを思いながら、行き帰り、祖母と手を放すことはなかった。

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2012年6月23日 (土)

「敵か味方か」二者択一論者

知り合った人の中には、
〝自身に対して敵か? 味方か?〟の判断基準しか持たない人が何人もいた。

このタイプの悪い所は、
「自分にとって今は必要と感じてるときは、『あんたは味方』とゆうて甘えもし、すり寄っても来る。けど、もう必要ないわと感じた途端に切って捨て、ほんで後は『敵』としかみぃひん(見ない)」
二者択一で、人間関係を続けていくための〝ほどほどの付き合い〟ができない所だ。

諺(ことわざ)に『昨日の敵は今日の友』があるが、その反対の私の出会った〝敵・味方論者〟は、
『今日の友は、明日の敵。後、ず~っと敵で、時に、〝おっ、今なら利用価値あり〟と見なしたら即行で〝あんたはこっち側の人やんかー〟って、ホンマ、調子よぉ、寄ってくる人』だ。

「この人は、我が身定規(わがみじょうぎ:自分の尺度でしか、物事を考えない)やよって」
そう思って不愉快ながらも、仕事やプライベートで付き合ってみて、
「どないもこないもならんで」と見切りをつけるまで、
「うちは時間がかかってしまう」と情けなくなる。

出会った〝敵・味方論者〟は男女共に、事あるごとに「僕って(私って)、こんな人だから」と開き直る。
「出たがな、出たがな、お決まりの台詞。フ~ッ、こんな人とは、出会えへんだら良かった」
以前は後悔もしたが、今は、
「結果、見えてんのに、またやってもぉた~」
一時(いっとき)「アホらし」と嘆いて、
「ほな、うちは、これから、どないすんねんな」と考えるようになった。

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2012年6月20日 (水)

逆立ちしたかてなられへん

今年100歳の祖母は、益々元気だ。
「元気はええけど、可愛げがのぉて」と75歳の娘である、私の母はこぼす。

たまに母がご機嫌伺いに祖母宅に立ち寄ると、開口一番、
「〇月〇日以来やな。まぁ、永い事、ご機嫌さんで」
前回の訪れた日をしっかり言い、横になっているベッドからヒョイと身を起こす。

おじょぉず(御上手:お世辞)は、一切言わない祖母だ。

『朝は朝星、夜(よ)は夜星』で田畑を耕し、私の曽祖父母が亡くなってからは、都度都度に洋服や着物を新調し、大川橋蔵や好きな俳優の舞台公演を観に行くようになった。
40数年前、短歌を解説するNHKのラジオ放送を聞いて、「これならできる」と、日々の生活の中に短歌を詠む素材を見つけ、今も詠みつづけている。

「我が道をゆく」祖母の姿に、
「やがて、うちかて、あないなるんや」と思いたいが、
「誰もがびっくりするほど目も耳も頭もしっかりしている100歳に、うちは、逆立ちしたかてなられへん」というのが本当の所だ。

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2012年6月19日 (火)

かってもん(勝手者:わがままな人)

「あんなかってもん(勝手者:わがままな人)、知らんで、ほんま」
「たしかにかってもんやなぁ、あの人は。あんな調子やってみぃな。人からあいそ(愛想)つかされてまうがな」
「そんでもかめへんのやろ」
「そこがそれ、かってもんやさかい」

<対訳>
「あのような我がままな人なんて、今まで、本当に出会ったことがない」
「(貴方が言うように)たしかに、あの人は我がままだ。あのまま生きていってごらんなさいな。(結局は)他人から相手にされなくなってしまう」
「それでもいいんでしょうよ」
「そこが、ほら、そういうところが我がままな人だから(仕方がないんじゃないか。+それでもいいと思っているんじゃないか。=半分諦めと呆れている気持ちを混ぜている)」

昭和30年代後半、幼稚園に上がる前のませた私は、祖父母の元に集う明治・大正生まれの人たちが中心に交わす話に、おとなしい顔をして聞き耳を立てていた。


平成24年の今日に至っても、
「どないもこないもならんわ、こーんなかってもん!」
<対訳>
「どうにも仕様がない、これほどの我がままな人!」

仕事をしていると、怒りを通り越して、呆れてしまう人にも出会う。
「お宅の常識が、世間の常識やと思わんといてな!」
きつい一言も言い放ちたいが、
「ゆうたかて、ここまでのかってもんには、通じへんわ」
グッと言いたい気持ちを飲み込めるようになった。

「飲み込んでも、後々(あとあと)まで、心の中でくすぼる(燻ぼる:消えない=すっきりしない)ねんけど……」
一呼吸おいて、
「きつい一言を言うにはパワーがいんねん。はぁ~、しんど。そんな力、どこまでいたかて〝かってもん〟に使うんは、勿体ないわ。フン(≧ヘ≦)」
50半ばになると、こうなることが多くなった。

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2012年6月15日 (金)

傷にしゅむ(沁みる:しみる)

指先のちょっとした切り傷に、今朝気が付いた。
「なんし、ここんとこ、ちょっとの傷でも、化膿しやすいよって、消毒しとこ」
<対訳:何しろ、この頃、ほんの少しの傷でも、化膿をしやすいので、消毒をしておきましょう>

「ほん、ちょこっと切っただけの傷やさかい」
<対訳:ほんの、わずかに切っただけの傷だから>

「こんなもん、どうちゅうことないわ」
<対訳:こんな傷程度、どうということもないわ=特別、問題じゃないわ>

勢いよく霧状になる消毒液を、傷口に吹き付けた。
「ウッ、クッ、しゅ、しゅむ(沁みる:しみる)。ほんま、しゅむ、しゅむ」

フーフーと息を吹きかけたところで、痛みが引くわけでもないのに、分かっていても
「フー、フー」と声にだし、3回ほど繰り返してみた。

痛みは次第に引いてきた。
引いてきたら、
「さっきの痛いのんよりは、きっとまし(増し:良い状態になる)」
そう思われる箇所を、シャツやズボンをまくりあげて(捲り上げる:めくりあげる)探し出した。

傷も治りきったなんでもない箇所に、先ほどの激烈に「しゅむ、しゅむ」と連呼した消毒液を吹き付けた。
「や~ぱり、なんともない」
スーとした心地良さだけが広がっていたのに、例の傷口にまたあの消毒液の滴が垂れて入った。

「しゅむ~、まだしゅむ~」
誰もいない部屋で、自分でも「うるさいやっちゃ」と思った。

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2012年6月 2日 (土)

おぉじょぉしますわ(往生する:困りますの意)

私の場合、日本脚本家連盟にも加入しているので、健康保険は、『文芸美術国民健康保険組合』のものだ。
組合事務所は今住む千代田区内にあり、ネット検索してルート情報を見ると、
「歩いて20分ほどかな? ほな、散歩がてら、歩いてみよ」
ルートマップをプリントアウトし、ポケットに入れた。

帽子を被り、度つきサングラスをかけ、部屋を出発した。
ところが、15分ほど歩いた頃から
「あぁ、やっぱりやわ~。多分、うち、方角、まちごてる(間違ってる)」

病的方向音痴は、こうなるとプリントアウトしたルートマップは全く役に立たない!
「ふーぅ、おぉじょぉしますわ(大阪弁:往生する/〝困ります〟の意味)」

迷う事、30分。
疲れてきた。

ここからは、ヤマト宅配便のお兄さんにプリントアウトした地図を見せ、指示通りに歩いていたつもりが、
「あかん。またちごてる(違っている)みたい」となり、
次に、郵便配達のおじさんに、その次に、エコ配達便のお兄さんに、そして路地を掃いていたご婦人に、尋ね尋ねて歩き回った。
それでも到着できず、最後は佐川急便のお兄さんがビル前まで送ってくれ、やっと目的地に辿り着いた。

「人さんの御厚意あっての、ここまでの道のり。ほんま、忙しとこ、手ぇとめてしもて(忙しい所、手を止めてしまって)、色々とすんませんでした。おおきに、有難うございました」
一人で乗ったエレベーターの中で、自然と手を合わせていた。

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2012年5月29日 (火)

お蔭さんで

「感謝します」
出会った後に、そんな言葉を貰う事がある。
「仕事での〝感謝します〟の言葉や気持ちは、ほとんどの場合、その時だけのもんやないやろか?」
近頃、そう思うことが多い。

私には愛しいご夫妻がいる。
お二人でお茶とお華の教室を開いており、私は12歳から20歳過ぎまで習っていた。
結婚・離婚・転居と、環境も生活場所も、その時々で変わった私だ。
そして今は、関西と関東と遠く離れたが、ずっとお二人は「あの子、どないしてるんや」と気にかけてくれている。

先日行った千代田区内での転居連絡を葉書で出すと、早速、華道担当の奥様:女先生から電話があった。
両先生共に85歳。
大きな手術を経て、女先生の体重は30kg台にまで落ち込み、
「週に1~2回、点滴で栄養補ってるんやけどね、毎日お父さんと色々喋りながら、楽しやってるんやで」との事。
お二人の体を案じ、こうして明るく過ごしてくれることに、私は「有難いなぁ~」と感謝している。

女先生は先生で、
「マンション住まいは慣れてるやろけど、ドア開けるときは、特に気ぃつけるんやで!」
「食べるもんは、しっかり食べてるんかい?」
53歳の教え子の身ぃを、相変わらず心配してくれる。
「うん、お蔭さんで、元気にやってんねん、センセ」
「それなら良かった。そやそや、甘いもんがええかい? 辛いもんがええかい? 何ぞ、贈ったげるわ」
の声に、私の甘えん坊ぶりは変わらずで、
「辛いもん、おかきがええ!」
と即答した。

電話を終えて、長年の両先生とのやり取りを思い返していた。
「感謝とは、決して一過性のもんではのぉて、感謝し、また感謝され、ご互いに思いを通わせ続けることやないやろか……挨拶代わりの〝感謝してます〟の何と薄っぺらいこと」
そんなミエミエの挨拶しかできない人の顔が浮かんできて、苦笑いした。

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2012年5月24日 (木)

朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし)

〝懸命に働きなさい〟ということを、明治生まれの祖母は
「〝朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし)〟とゆうて、朝はおほっさん(お星さま)がまだ空に残ってる時分(じぶん)から、夜は星が空に出るまで、一所懸命働くということや」
と教えてくれた。

昨夜、引っ越したばかりの部屋で横になったら、そのまま午前3時まで寝込んでしまった。

夜星の出る前の夕方、通りを隔てて建っている9階建てのビルの明かりをボケ~っと見ていた。

夜10時を過ぎても、そのビルの1フロアだけ明かりがついていた。
「働きもんの多い会社なんやろか?」
この時すでに、ボケ~度合は夕方よりも増して、眠くなっていた。

「ちょっとの間ぁだけ」のつもりで横になったら、そのまま眠ってしまった。
気づけば、午前3時。
レースのカーテン越しに、目の前のビルの明かりは、例の1フロアだけ点いたままだった。

「朝は朝星 夜は夜星やのぉて、朝は朝星 夜は夜星を過ぎて、また朝星迎えんねんわ。あのフロアでいてる人、いつ寝はんのやろ?(寝るのだろうか?)」
ボケ~度合は極限を超え、布団を敷いた覚えもないほどだったが、朝はきちんと布団の中で目を覚ました。


                                            

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2012年5月22日 (火)

人さんの幸せをねごて(願う)

時期は過ぎたが、毎年の5月5日の子供の日の光景は、40年過ぎてもはっきりと思い出す。

朝一番に、祖母が頼んであった和菓子屋さんから、10個の柏餅を入れて1パックになっている包みが、木製の餅箱で2段分届く。

「今年も仰山やわぁ~」と、先ず思う。
小学5年生くらいだっただろうか?
私と妹は、祖母からの指示にそって、町内に住む、祖父母の知人で、大抵はお孫さんがいるお宅に手分けして届けに向かった。

「ごめんください、松尾です~。あの、これ、おばあちゃんから、みなさんで食べてもろてって」
「あのまぁ、毎年、すまんこって。おばあちゃん、ほんまにこないして、気ぃつこてくれてから。おおきに、おおきに。有難く頂戴しますとゆうといてな」

どこのお宅でも同じような言葉を貰い、すぐに帰宅。
次の配達先を聞くと、私と妹は、小中高時代は自転車で、それ以降は、単車で走り回った。


祖母には『久子』と名付けた娘がいた。
元々虚弱体質で、「小学校に久子をおんぶして行ったこともある」と話す祖母の顔には、『それも嬉しかった』の色が見て取れた。
だが、可愛い盛りの7歳の時に、祖父母はたった一人授かった実子を病で亡くした。

「人さんのお宅の子ぉが、どうぞ、元気に育ってくれるよに(ように)」
そんな願いを込めて、祖母の5月5日があった。


年中行事に込められた祖母の柏餅配りの手伝いは、53歳の私に影響している。
大したことはできないが、それでも何かある度に
「○○さんのことおもたら(思ったら)、こんな時、 どんな事をしたら、ええ方(ほう:方向)にいくのやろか?」
と考える大本(おおもと:根源)になっている。

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2012年5月18日 (金)

こんじょわる(根性悪い)の男

1ルームマンションの部屋全面カーペットからの埃が原因かは定かでないが、
「母方のひいおばあちゃんは喘息持ちで、おとうちゃんかて喘息発作が60過ぎで出て……うちかて、いつかはなるんやろかぁ~なんておもてたら、喘息発作が起こってしもた」
というので、近くのフローリングのマンションに引っ越した。

引っ越しした夜、巡邏のおまわりさんがマンションのエントランスに立っていた。
「あの、なんぞ?」
と尋ねると、
「もしよければ、お住いの方のお名前など、この用紙に書いていただきたいのですが」
とのこと。
「今日、引っ越してきたとこですねん。ちょうど良かった。書かせて貰います。ご苦労様です」

記載途中で、すでにこのマンションの住人の男女が帰ってきた。
コンビニの袋を手に持った30代の男性は、おまわりさんの説明に不機嫌に応対し、
「この夏に出るんですよね。書いても無駄になるんで」
と言って、後ろにきれいな女性を連れて玄関の中に消えていった。

この男性の態度にムカムカした。
『ちょっとそこのこんじょわるの兄ちゃん(根性の悪いお兄さん)、あんたが留守の時に、このきれいな子ぉになんぞあったら、あんたどないするん? 110番せぇへんのんか?!
あんたなぁ、なんぞごとの時のために、こないして、夜、おそうなったかて(遅くなっても)、一人、一人に聞いてくれてるんやないの。
何が〝夏に出るん書いても無駄〟やねん!』
心の中でここまで一気に言ったが、口から出た言葉はおまわりさんに向かって、
「色んな人がいてるさかい、大変ですね」
だった。

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2012年5月12日 (土)

ほんまに、これはけったいな

死にそうになったことは、3度ある。
事故で2回、病気で1回。

とはいえ、お花畑が見えただの、三途の川を渡りそうになっただの、そんな記憶は全くない。

「死んだことなんぞ、一遍もあらへんさかい、向こうの世界があるやら、ないやら、そんなこと、うちには分かれへんけども……。生きていったら、どっちにしたかて、誰もが死んでしまうわけで」
と思い、
「のぉなった人はたんといてる。そやなぁ、死んでから、向こうで会えるもんなら会いたい人かて、仰山いてることはいてんねん」

ここまで考えていたら、人のほかに、可愛がっていたペットの犬・猫・兎の姿が浮かんできた。
それらペットたちの全員に会いたいわけではないが、できるならも一遍抱いて、その毛をなでやりたいペットもいる。

「人もペットもおんなじやわ。のぉなってからでも会いたい人もいてたら、今生限りでよろしわと思う人もいてるもん」

ところが不思議なことに、『会うのは今生限りでよろしわ』と浮かぶ顔は、皆、生きている人たちばかりだ。
「ほんまに、これはけったいな」と笑ってしまう。

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2012年5月 9日 (水)

こましゃくれた子ぉ(=大人びたことをする子)

急に雨が降ってきた。
「天気予報、当たってしもた。近頃の天気予報は、よぉ当たるわ」
感心しながら、狭いベランダへの戸を開けて、雨を見ていた。

雨の匂いがする。
昭和30年代の終わりから40年代にかけて、両脇が田んぼのある道を、この季節に歩くのは嫌いだった。

蛙が車に轢(ひ)かれて、道にへばり付いた格好で死んでいるのを見るのがイヤで、
「とおりたない(通りたくない)」
と思った。

雨は好きだから、濡れるのも構わなかった。
「ペッタンコの蛙の死骸、あったらどないしょ」
の気持ちから、傘を右に左に傾げて、雨に濡れながら気を紛らわし、下を見ないで歩いていた。

「とおりたない道とおって、かよた通学路~♪」
勝手な節をつけて小声で歌うと、「こましゃくれた子ぉやこと(大阪弁:大人びたことをする子)」と、周囲の大人から言われ続けた小学生時分の姿が浮かんできた。

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2012年5月 5日 (土)

しょぉね(性根)の入らん話

議員答弁程、伝わるものがない話し言葉もない。
そのひどさに、
「なんでこないに、こっちに響いてこんのやろ?」
かなり前から呆れる域を超え、憤りになっていた。

「なんでやろ?」
「この疑問を解決する、うちの腑に落ちる言葉はなんやろか?」
ず~っと、嫌な思いしか抱けない国会議員の話しぶりをTVで見かける度に、考えてきた。

過日、瀬戸内寂聴さんが聴衆に話している姿を見て、
「あっ! これや!! ここが違うねん。議員が話す姿勢にチョロチョロ見える〝責任逃れ〟の姿勢がないんやもん」

寂聴さんの話しぶりには、
「一言一句、ここで喋った言葉の責任は私がとります」の気持ちが、こちらに伝わる。
「責任はうちがとるという、しょぉね(性根)<大阪弁:根性、気持ちを込める>入ってるさかいに、心に響くんやわ」
と合点した。
「そやから、〝責任、とりたない〟〝足、すくわれたない〟の臭いがする議員の言葉に、うちはイラッとすんねんな」

全く、しょぉね(性根)の入らん話は聞くに耐えられない。

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2012年5月 2日 (水)

お肌のハリ

母は、昭和11年(1936年)生まれだ。
私が昭和33年(1958年)生まれ。

その母は非常に長い間、
「おかあちゃん、今年でなんぼ(何歳)?」と尋ねるたびに、
「33歳」と言い張っていた。

「そやかて、あんた。おかあちゃん、ハリのある綺麗な肌やと、人からよぉ言われるんや。フフフ」と喜んでいた。
50~60歳の間だったと思うのだが、
「たえちゃん(母の呼び名)のハリのある肌羨ましいわぁ~。皺ひとつないんやさかい。そない今日も友達に言われて喜んでたら、ムクんで顔(の皮膚が)、張ってたんや!」
そんな事を言い出した。

今朝、53歳にして私の顔の肌は皺ひとつない。
そう、母と同じで、ムクんでいたからだ。
手も足も、むくみが来ている。

「体質って遺伝するもんや」
利尿効果のある紅茶やコーヒー、そしてお水を飲み、
「老廃物退散」とトイレで唱えている。

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2012年4月30日 (月)

トホホな思い

「自分のことだけやのぉて、人さんのこと、考えなならんのやで」
<対訳:自分のことだけを考えず、他人のことを考えなさいね>

こう祖母に言って育てられてきた。

私のとった行動が、結果的には人を甘やかすことになり、
「だってあなたには甘えて当然」
の態度をとられるときがある。

「これぐらい、やってくれて当たり前でしょ」から始まり、
「お金を貸して」だの、こちらに甘えてくる内容にもよるが、
「この甘えは、この先、この人にとっては何一つためにならんわ」
と思うとカチンとくる。

祖母の教えである、
「自分のことだけやのぉて、人さんのこと、考えなならんのやで」
の言葉を思い出すとき、
「失敗してしもたぁ~。おばあちゃんの言葉、取り違えもええとこやわ」
そんなトホホな思いを数限りなくしてきた。

「今日もトホホな思い、背負いながら生きていくんやわ」
これが本音だけれど、
「それがうちやわ」
自分で自分を納得させる。

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2012年4月24日 (火)

テレビのない生活

今住んでいるワンルームマンションには、テレビがない。
今年のお正月、父がそれを聞いて、
「何! テレビも買われへんのか?!」
53歳で初の一人暮らしを始めた娘を心配しての言葉と分かっているけれど、
「テレビも買われへんのか、お前は!!」
語気荒く言われると、叱られているようだ。

見かねた妹が、
「違うって。姉ちゃん、テレビ、買われへんのやのぉて、置きたないねんて」
と言葉を添えてくれた。

しかし、父の耳にはもう入らない。
何しろ、思い込みが激しい性格だ。
「テレビも買われへんとは、お前、なんでや?!」
今度は問い詰め口調に変わった。

「そやから、トッチャン(実妹をずっとこう呼んでいる)が言うてくれたよに、テレビ、部屋に置きたないねん」
と答えたが、無駄だ。
「お前、テレビくらい……どないかせぇ!」
心配から怒りに変化した父の心を落ち着かせるため、
「はぁい」
と返事をした。

『お父ちゃん、うち、もう今年で54になるねん』
心配は有難かったが、複雑な思いも同時に抱いた。

4月もあっという間に終わろうとしている。
テレビは今もって買っていない。

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2012年4月18日 (水)

「落とし所」に「話の肝」

「話が見えない」
どのくらい前から使い出したのか思い出せないが、はじめてこの言い方を聞いたとき、
『そんな表現、けったい(大阪弁:おかしい)やろ。よぉまぁ、そんなこと、言わはるわ』
内心、ムカムカしていた。

それも言うなら、
「話の内容の先が分かりません」
「話の結論が想像つきません」
ということで、
「なんで、そない言われへんのやろ?」
むかつき度は増し、果ては
「話が見えないと言うたら、なんや、かしこ(賢い・頭が良い)そうに見て貰えるとでも思てなはんのやろか。アホラシ(馬鹿馬鹿しい)」
とまで思った。

近頃は、横文字表現を除けば、
「落としどころ」
「話の肝」や「肝となる所」
「背骨となるのは○○なわけで」
パッと思いつくのは、こんな言葉の使い方だ。

「落としどころ」→「話がまとまる所・内容・合意点」
「話の肝」や「肝となる所」→「話の最も重要な部分」
「背骨となるのは○○なわけで」→「話のきちんと1本筋の通っていることは、○○ということで」

わざと業界人ぽく見せたい意識が奥底に潜んでいて使っている人もいる。
この言葉しか知らないから、誰に対しても同じ言葉を使う人もいる。

「どっちにしたかて、うちはこんな言葉をしたり顔で言う人はかなわん! あぁ~、イヤヤ、イヤヤ」
と思ってしまう。

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2012年4月17日 (火)

ほんま、ええ場所やねん

現在、都内 神田のワンルームマンションで一人で住んでいる。
快適な暮らし、だった。
ところが、元々部屋中一杯に敷き詰めてあったカーペットの埃のせいか、女、53歳の体調変化の時期にぶち当たっていたのか、理由は定かではないが、喘息発作を起こすようになった。

「よぉ考えてみたら、うちは父方・母方共に、喘息もちの人がいたわ」
気になって、妹に電話で話すと、
「姉ちゃん、ほれ、去年、うち、ものすご喘息出て、ほんで治療してたの、言うてへんかったった?」
と言われ、
「……聞いたよな、聞かんかったよな」
と曖昧な返事をしてしまった。


関西に月に一度、主宰する文章教室の授業をするために帰る。

毎月第2の日曜日の早朝に神田を出て、午前6時台の新幹線に乗車。
東京→新大阪→梅田→兵庫県:西宮北口教室(授業)→奈良県:学園前教室→大阪(泊)
翌月曜日の朝、宿泊先の地、大阪を出発。
京都府:丸太町教室(授業)→大阪府:大阪市京橋教室(授業)→新大阪→東京着。
山手線なら東京駅から一駅乗車ですむ神田。そこで降りて、自宅に戻る。

この日程があるので、東京駅に近い神田は
「ほんま、ええ場所やねん」
ということで、〝喘息の改善になれば〟で、現在の住居の近所でフローリングのマンションを探した。

「喘息発作がおこるやなんてなぁ~」
老いとまではいかないが、加齢による体の変化は日々感じるようになった。

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2012年4月11日 (水)

ツケでこぉた花かんざし(ツケ<月末清算>で買った花かんざし)

満開の桜の花を下から見あげて、
「ほんまに、花かんざしみたいや~」
溜息を洩らしながら、見入ってしまう。

小さな頃、花かんざしを数本持っていた。
髪が長く、普段は祖母に三つ編みにして貰っていたが、お正月には、祖母行きつけの〝髪結いさん〟(=美容院)で、『新日本髪』を結い上げて貰っていた。

「今年は、ほんちょっと桃割れみたいに、ゆうて(結って:ゆって)みたけど。おばあちゃん、どないです?」
必ず、髪結いさんは祖母に確認をとって、
「よぉでけたわ。赤い鹿の子も髪の間から見えて、映えるなぁ。よろし、よろしわ」
と祖母は応えた。

その後、今年用意の花かんざしを前髪部分にそっと挿し入れて、出来上がりだ。

昭和30年代半ば、花かんざしは、年末になると祖父に手を引かれて、町の小さな化粧品や髪飾りなどの小間物を置いている店に買いに行った。
買ってくれることに、正直、喜びはなかった。
というのも、
「ツケ(大阪弁:<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 より抜粋>月末勘定)にしといてんか」
そういうのが分かっていたからだ。

まだまだ幼い子が、ムスッとした大人びた表情で祖父を見て、
「どうせ、ツケなんやろ」
と言ったことを鮮明に覚えている。
『おじいちゃんやのぉて、おばあちゃんが払うんやろ』
と思うと、申し訳なくて、祖父に笑顔は見せられなかった。

しかしだ。
髪結いさんで、花かんざしを挿して貰った瞬間から、嬉しくて、笑顔は一日中持続した。

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2012年4月 6日 (金)

Facebookで桜咲く

Facebookでは、職種や年齢が異なる色んな人と繋がる。
「けど、うちの友達は、やっぱり、ライターや出版関係の人が多いかも」
友達リストを見て、そんなことを思った。

桜が一気に咲いた。
そのせいか、桜に関する思いを短く綴った書き込みに目が行く。

ある人が新古今集から、桜の句をあげれば、
「では、私が思い出すのは」と、別の人は徒然草から出典の一句を出してくる。
こうして桜を詠んだ句を書き込みながら、Facebook上でやり取りが続いていた。

そこに参戦した私。
書き込みは下の文章だ。
『生涯を恋にかけたる桜かな      鈴木真砂女
この句、「さすがやなぁ~。うち、死ぬとき、こない言うたろ」と思てますねん。フフフ☆☆』

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2012年4月 4日 (水)

どないも、こないも

脱水機が故障した。
今のワンルームマンションは狭くて、洗濯機を置く場所すらない。
それを承知で、都内に不慣れで、病的方向音痴の私が
「ここが、一番、ええのとちがうやろか」
と思って借りた部屋だ。

洗濯は一日の始まりか、一日の終わりの、
「うちには、のぉては困る(なくては困る)」行為だ。

洗濯機は設置不能でも、
「脱水が……手ぇでは絞りきられへん」
それで、小型脱水機をネットで探して買った。

毎日、よく働いてくれた。
しかし、今朝、突然動かなくなった。
「あんた、ここがこんじょ(根性)の見せどころやで!」
「今までよぉ働いてくれたのは、うちが知ってる。けど、も一遍、お気張りやすな!!」
声を掛け、なだめもし、すかしもしたが、動かない。

保証書を探して、メーカーに電話をした。
朝から今日の開始行為につまずき、
「どないも、こないもなりまへん(どうにも、こうにもならない)」
事情を説明する声が、自分でも『ほんま、情けない声やわ』と思った。

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2012年3月27日 (火)

タラタラ続く文句垂れは、あきまへん

顔を洗いながら、
「出ぉてかなわんと思う人は……」と、ふと思い、
「文句垂れ(もんくたれ:文句ばかり言う人)で、それもタラタラ、タラタラ、いつ終わんねんと思う人」
鏡に向かって言ってから、
「機嫌よぉ起きたのに、なんで、こんなこと、考えたんやろ?」

そう思ってここ数日の行動を振り返った。
キーワードは、〝タラタラ文句〟で引っ掛かってくる人だ。

「思い出しましたがな。フフフ」
たまたま入った喫茶店で隣の席に座った女性が、友人と思しき人に喋っていた。
その中年女性は不満げな様子ではあったが、大して表情も変えず、口調も変わらず、聞かされている女性の方も「ふん、ふん」と単調な相槌を打っていた。

『明るい話でないことだけはたしかやわ。なんのことやら、こっちにはトンと分れへんけど、あの調子やったら、タラタラと文句ばーかり続くのやろなぁ~』
そんな印象だけ持って、私は早々にその店を出た。

大阪弁のタラタラは、<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>によると、
『タラタラ【滴滴・垂垂】(副) たらたらと水のしたたるように、物事をつづけざまにする意にいう。』
とある。

パッキンが緩んでなかなか水の滴が止まらない洗面所の蛇口を閉めながら、
「タラタラやなんて、ほんまに大阪弁は、うまいことでけてるわ」と感心した。

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2012年3月23日 (金)

優しいキス

昨夜は27歳のイケメン:キイチと神田で食事をした。
うちの長女のアイの幼馴染で、私にとっては愛しい息子そのものだ。

もう24年も前のこと。
キイチとアイが3歳の時、キイチ一家は仕事の都合で実家のある静岡に帰ることになった。
新大阪の新幹線ホームで、車両のドアを境に、私はアイを抱き上げ、キイチはキイチのママに抱っこされて向き合っていた。
もうすぐドアが閉まる直前、キイチがアイの頬を小さな両手でそっと包み、優しくて切なさが伝わるようなキスをした。
その行為を目の前で見た母親たちは、「へっ?!」と唖然としたまま固まった。

やがて、ドアは静かに閉まり、新幹線は滑るように走り始めた。
抱きかかえたままのアイを見れば、何事もなかったかのように、
「バイバイ」と遠のく新幹線に手を振り続けていた。
一方、キイチはドアが閉まってから、
「アイとは別れたくなかったんだよ~」と京都まで泣き続けたと、後日、キイチのママからの電話で知った。

そんなことがあったキイチは、結婚も考える年齢の立派な青年になった。

家族関係も、家族のそれぞれの性格まで知っているキイチとの話は尽きない。
二人で向き合いながら、色んな話をした。

とろけるような楽しいひと時を過ごすことができたほっこり感は、今朝も続いている。
「あぁ~、しあわせ~」で、今日も一日が始まった。

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2012年3月20日 (火)

みなまでゆわんかて分かりまっせ(=全て言わずとも分かる)

2軒隣の家の前に、トラ猫が日向ぼっこをしていた。
「ぬくぅて、ここやったら、ええ塩梅やな」
屈(かが)んで声をかけると、慌てて家の中に入ってしまった。

「トラちゃん(勝手にこの時に付けた名前)、あんた、そない怖がらんかて、ええって。うち、なーんにもせぇへんさかい。トラ、ほら、出てきてみ。ここ、ここ、おいで」

すると、トラは出てきて、私と目を合わせた。
「うん? どっか他の猫と、この子、違うねんなぁ。どこやろ?」
顔の様子が……どうも、違う。
「あっ、鼻提灯が出てる!」
響いてくる喉のゴロゴロ音もやけに濁っている。

「まぁ、トラ、あんた、鼻水垂れるわ、息はしにくわで、しんどいやろ。かわいそうに」
トラはすり寄ってきて、
『そうだすねん。この季節、かないまへんわ』
場所は神田だ。
こんな大阪弁で喋ることもないだろうが、トラの気持ちとしてはこんなもんだと解釈した。

「あんな、うちかてアレルギーあんねん。みなまでゆわんかて、よぉ分かる」
背を撫でると、トラの鼻提灯はさらに大きく膨れて、はじけた。

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2012年3月10日 (土)

三途の川は飛んで来い

3つか4つの頃に、母方の曾祖母が亡くなった。
今、息を引き取ったばかりだという曾祖母の布団の横に、母が泣いて座り、幼い私がそのねきに(大阪弁:そば)に正座していた。
その光景は実にはっきりと覚えている。

そうして自宅で息を引き取る姿、いや、実際には息を引き取った後の姿を見た。
曾祖母の死は、非常に自然な形だと、小さくても受け入れることができた。

「こんな小さかったら、死ぬって、どんなことかわからんやろ」という人もいるが、
「この目の前で寝てるよなひぃおばあちゃんは、もう動けへん人になってしもたんや。お喋りもせぇへんねんわ」
そんな思いで、横たわる曾祖母を見て、すぐねきで泣いている母を感じていた。

生の延長に死があると思ったのは、もっと先のことだが、原体験はこの時点だ。

私は今年で54歳になる。
そこそこ生きてきたし、満足感もある。
「このまま生きて、その先に、ふ~っと知らん間ぁに、死んでいくのやろなぁ」
そんなことも考えないでもない。

体調不良の時に、ほん、たまーに、彼岸にいる私を溺愛していた祖父が、
「おい、三途の川なんぞ、渡らんでもええ。ビューンと飛んで来い。おじいちゃんが待ってたるさかいに」の声と、
「何いうてはんのや、この人は。成美、あんたは、まだまぁ、こっちにこんかてええのやで。ほんまにもう、おじいちゃん、ええ加減にしぃ!」
の祖母の声が耳の奥で聞こえるときがあって、一人、ケラケラと笑ってしまう。

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2012年3月 6日 (火)

けちくさいことしぃなや(=ケチケチしないでね)

昨夏、都内で初の一人暮らしを始めるまで、一体、何度転居したのだろうか?
結婚してるときに5回。
離婚して3回。
そして、一人暮らしの今で1回。

「ほぉ~、9回目がこのワンルームマンションやわ」

その間に、私がほしかったのは、自分専用の文机だけだった。
本は、段ボールに入れてでもどうにか収納がつくが、
「気持ちよぉ書ける場所だけはほしい」とだけ思ってきた。

結婚している間は、夫主体の生活で、専用文机の夢は叶えられなかった。
離婚してから、転居のたびに大きさや形が変わり、使う文机の形態は変わったが、夢は叶った。

9回の転居を経た娘に、母は毎回言う言葉がある。
「あんた、鏡台ないやないの。ほんまに、もう、家具屋の娘やのに、けちくさいことしぃなや」

母は嫁入り道具の鏡台を大事に使い、その三面鏡の前で、朝の化粧をし、夜にはきちんと化粧を落として休む。
鏡台の前から一日が始まり、三面鏡の鏡を閉じて一日が終わる。
その母からしてみれば、転居を繰り返すたび、
「あんた、鏡台は?」と私に問い
「えっ? いらんもん」と答えられ、
そこを押して何とか、
「そやけど、姿見くらいはいるで。せめて出かけるときには、全身見てから出ていかな」
というので、壁掛け用の姿見だけは、どこの家にも吊るしてあった。

「家具屋の子ぉが、けちくさいことしぃなや」
と言われ続けてきたが、
「これから先も、うち、鏡台も三面鏡も、ドレッサーも使えへんやろなぁ」
母には悪いが、今朝も小さな手鏡でリップだけを塗ってそう思った。

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2012年3月 4日 (日)

ほな、また明日

小さな頃、ただただ心地よい時間と空間を与えてくれた人がいた。
9歳年上のカヨチャンだ。

大人ばかりの世界で暮らしていた私は、実母が案じるほど、子どもと遊べない子どもだった。
ただ9歳も年齢が離れてしまうと、まるで大人と子どものような関係が成立したので、私にとってはカヨチャンは、大の苦手の子どもではなかった。
当時、遊び相手のいない3歳の私は、カヨチャンが学校から帰っくるのをひたすら待っていた。

カヨチャンの他に、その頃の町内にはエミチャンや、エミチャンのお兄ちゃんのタケッチャンもいたが、私はとにかくカヨチャンを頼りにし、甘えていた。

「テーチャン(私の小さな頃の愛称)」と声をかけてくれ、
ほんの少しだけ首をかしげて私の顔を覗き込み、
「今日は何して遊びたい?」
「喉、乾いてない?」
そう尋ねて貰えるのが嬉しかった。

嬉しいのにニコリともせず、オカッパ頭の私は右上にあるカヨチャンの顔を、ほんの少しだけ仰ぎ見て、
「あんなぁ~」と話し始める。
ただただ心地よい空間と時間がそこにあった。

それは、3歳の頃から50歳を過ぎても変わらない光景だった。

カヨチャンが突然亡くなって1年4ヶ月が過ぎた。
ようやっと「お墓参りに行ってみよ」と気持ちの整理がつき、昨日、初めてお参りしてきた。

帰り際、「カヨチャン、バイバイ」と言った時の気持ちは、幼い日の夕方、町内で遊んで別れる時に
「ほな、テーチャン、また明日」とカヨチャンが言い、
「うん……カヨチャン、バイバイ」と手を振って別れた気持ちと同じだった。

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2012年3月 1日 (木)

せんないこととは分かっていても

「今後の仕事の広がりを望むのなら、facebookを使った方がいい」
「twitterもした方がいい」
「facebookもtwitterも、どちらを先に始めてもいいけれど、どちらもした方がいい」

私の周囲でもこんな意見を聞き、
『どこか本意ではないんやけど……』
の思いが消えないままで、facebookだけは今も、ほん、たま~に書いている。

知り合いの誰かが書いた『○○駅前で、ラーメンなう』
そんな文字を見て、
「へぇ~」で終わるときもあれば、
「まぁ、えらい今日は遠い所で仕事してるんやわ」と思うこともある。

プライベートな情報と、会社で行っている新企画案内の情報を、どんな割合で入れていくかも考えて行っている人も多く、その事実に
「えらい、賢い人やこと」
と素直に尊敬もする。

けれど、私は少なくても
『○○でラーメンなう』は書かない。
私の基準では、それはあまりにも私的過ぎる情報だからだ。
ただし、『○○でラーメンなう。トッピングにダチョウの煮卵』とか、「えっ! そんなんありなん?!」と驚くような事実があると、写真付きで載せると思う。

せんないこと(大阪弁:仕方がない)とは分かっていても、
ひっきりなしにiphoneなどで、今、身の回りに起こった〝あまりにも私的過ぎる情報〟を文字入力している人の姿を見ると、
「うちにとっては、せちからい(世智辛い:世渡りがしにくい)ことになったわ」と思う。

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2012年2月16日 (木)

おおきに、おおきに、ありがとうございます

人は、「病気になって、健康の有難味を知る」と言う。

いつもは当たり前だと思っていたことが、何かが起こって、当たり前のことが、いつものように当たり前にできなくなって、はじめて、
「なんと恵まれていたんやろ」と気づくということだろう。

昨夏、都内に転居してきてから、長らく暮らした大阪での生活を思うと、
「あぁ、うちは、なんと人に恵まれ、可愛がってもろてきたんやろ」と気づく。

どんなときも、誰かが
「あいつ、みといたらなあかんがな」
「時々は、気ぃつけといたらなな」
「なんし(=何しろ)、あいつ、天然やさかい」
そんな気遣いをして貰っていたのだと感じる。

今も気遣ってくれる友人・知人がいて、有難いと思う気持ちに変わりはない。
こちらに来て気持ちが萎えた時、体力が落ちた時、優しくして貰うと、つい、
「そないいうたら、大阪では○○さんが」と浮かび、
「そやそや、◆◆さんも。あっ、そうや△△さんも……」と脳裏に顔がよぎる。

「人さんに助けてもろて、今のうちがあるのやわ」
大阪でも東京でも、周囲の方々の気遣いや助けがあって、日々を過ごしている。
気持ちの上では、毎日、
「おおきに、おおきに、ありがとうございます」と手を合わせている。

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2012年2月 4日 (土)

まんまんちゃん、アン(=神様、仏様、どうぞお願いします)

風邪をこじらせて声が出なくなった。
内科の先生から「話してはダメ。会話禁止ね」
おしゃべりな私に、『会話禁止令』が出た。

自宅で養生していれば、何しろ勝手気ままな一人暮らしだ。
歌でも歌わない限り、声を出す必要がない。

ところが、仕事の話で出かける必要が出た。
マスクをし、筆談用のメモ用紙を持って行った。
声が出ないことは先にメールで伝えてあったので、先方も筆談用の紙を持ってきてくれた。

私の紙はA4を4分割にした小さなもの。
先方はA4。
私が常に用いるのはA4用紙なので、自然と手は馴染みのある先方のA4紙に向かった。

仕事の話にいきなり入るんだと思い込んでいた先方を前に、私が書いたのは
『おはようございます』だった。
即、「そんなこと、書かなくていいんですよ!!」と叱られた。

こんなときには、いきなり子ども返りが起こるのか、今叱った先方を前に
『まんまんちゃん、アン。(大阪弁の小児語:神様、仏様、どうかお願いしますの意)どうか、これ以上、叱られへんよに。あんばいいきますように』
と祈った。

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2012年1月28日 (土)

ごてくさ言うてんと、風邪に葛湯

風邪をひいた。
つらいピークは過ぎたようだ。
こうしてPCも弄ることができる。

小さな頃、風邪をひくと、
「これがええわ」
祖父の指令の元、葛湯を飲むように言われた。

甘い葛湯は苦手だった。
「さっ、冷めらんうちに」
祖母も勧める。

口をつけないでいると
「ごてくさいうてんと、さっさと食べてしまいや!」
(ぐずぐずしていないで、早く食べてしまいなさい!)
大抵叱り調子でこういうのは、母だった。

あの頃からは、もう50年程も経った。
今朝、
「ほぉ~、葛湯も美味しいもんやわ」
風邪退散と念じながら、葛湯を飲んだ。

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2012年1月27日 (金)

欲どしいこと(=欲が深いこと)

明治生まれの祖母からは
「欲どしいこというたらあかんのやで」
そう言って育てられた。

「くれくれ坊主にやりともないやろな」
「頂戴、頂戴とばかりいう人に、なにかあげようとは思わないでしょ」という意味で、この言葉もよく使っていた。

そんな言葉をかけられて育ってきたが、私は決して無欲ではない。
欲をお金の場合でいうと、入用(いりよう)な基準は、
「だれぞに、ご飯、食べに行けへんかと誘われて、うん、行く、行くと言われへんのはイヤやわ」

かといって、「それも贅沢な話かもしれへんな」とも思う。

たまたまそんなことを考えていたら
「今度、食事行かない?」
友人からメールが入った。

返信はもちろん
「うん、行く、行くヽ(´▽`)/」だ。

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2012年1月26日 (木)

新刊案内 :ナラティブカンパニー トップたちの決断

お寒うございます。

お知らせを一つ。

ライターとして参加した ビジネス ノンフィクション
「ナラティブカンパニー  トップたちの決断」 刊行ですねん!

http://www.publabo.co.jp/narrative/
(ナラティブカンパニー  トップたちの決断公式HP)

企業トップたちの山あり谷ありの生きてきた道。

それを探るために、
「今日はよろしおたの申します」から始まる取材。

すっと相手さんに添っていけるときもあれば、『ほん、ちょっと、ガードが固いよな』とおもたお人もいてはった……。
今、そんなことを思い出してます。

知らんお人と出おて、お話、聞かせてもろて、そんな機会に恵まれて、うちは有難いことやとおもてます。
「これからも書くこと、続けていきたいもんやわ」
そんな気持ちもじんわりと湧いてきます。

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2012年1月23日 (月)

あむない(危ない)雪道

都内は雪が積もっている。

階下の軒を見れば、きれいな白い雪がフワ~ッと積もって
「練乳かけて、口に入れてみたいほどや」
と思う。

しかし一歩外に出ると、
「えっ!」
「ちょっと、これはないわ」
足元をとられ、さっきまであんなに愛しく感じていた雪だったのに
「まるで凶器や」
感情は一変する。

一歩踏み出すごとに
「あむない(大阪弁:危ないの段訛)」
二歩目で
「あっ、あむない!」
二歩進んだ足元が揃うと
「フ~、あむなかった」
一息つく。

こんな調子だから、横断歩道を渡れば、途中で赤に変わる。
「えらいすんません」
頭をもっと下げたいが、バランスを崩すのが怖くてペコンとお辞儀もできない。
「あむない、あむない」
繰り返し出てくるのはこの言葉だけとなる。

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2012年1月 2日 (月)

伯父と判子(はんこ)

年が明けて、鏡を見たら、
「えっ?」
と声をあげた。

「かーさんそっくり」
「判子、判子!」(全く同じの意味)
が次の声だ。

「へぇ~」
「加齢による変化?? ……うーん、こないなってくんねんなぁ」
「ほぉぉぉ~~」
やたらと子音や間延びした音が出てくる。

「ほんまにびっくりしてしもた」である。
特に目が似ている。
「おしいな。かーさんの目ぇは、ちょびっと緑がかってんねんけど。うちのは茶色やさかい。どうせなら、緑がかってる方がええのに」

「かーさん」とは、伯父(母の兄)のことだ。
薫(かおる)という名前で、町内では「かーさん」と呼ばれている。
普段は「薫のおっちゃん」や「おっちゃん」と呼ぶけれど、何かのときにひょいと出てくるのは「かーさん」の方だ。

背はあまり高くないが、農業で鍛えた体は贅肉がない。
どうみても80歳手前には見えないほど、若々しい。
そんなかーさんには実子がなく、私の襟足が自分と一緒だと、親戚の集まる酒宴で酔いが回ると、やたらと私の襟足を触る癖がある。

新年早々、「もしもかーさんがのうなって(亡くなって)しもても、うち、鏡見たら、かーさんに会えるわ」と思った。

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2011年12月30日 (金)

辰のお飾りに手を合わせ

2011123015460001_4年末年始、一人都内のワンルームマンションで、仕事をしながら過ごす。


「本当に病室みたい」
部屋に来た人のほとんどが感じることらしい。

「そうかなぁ? うちにとってはええ塩梅の部屋なんやけど」
と思っている。



「人が休んでいるときに仕事とは気の毒に」
不憫に思ってくれた人から、松・葉牡丹・干支の辰まで飾られたお花が届いた。

「お花はいつもろたかて、嬉しい♪♪♪」
早速、病室と呼ばれる部屋の窓側に飾った。

来年は辰年。
「仕事、伸びていきますように」
辰のお飾りに手を合わせた。

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2011年12月23日 (金)

あんた、ほんまに、気ぃつけや

「あんた、ほんまに、気ぃつけや」
こういわれても、中身にどんな意味が含まれているのかは、話の前後で全く変わってくる。

『その一言が、癇に障る』
『一言多い』
このタイプは、周囲にもいるし、「うちもそうやわ(=私もそうだわ)」と思う。

年上の人が、このタイプに“諭す”または“注意を与える”ために、
「あんた、ほんまに、気ぃつけや」
と言うときがある。

『体調を気遣う』
『環境を心配する』
このときも
「あんた、ほんまに、気ぃつけや」
と使って、年上の人や友人が、話し相手に注意を促すときもある。

今朝、大阪の友人と電話で話をしていた。
彼女の締めの言葉は、遠く離れて暮らす私の体調を心配してくれ、
「あんた、ほんまに、気ぃつけや」

「おおきに、ありがと。うん、そないするわ」
そう言って電話を切った。

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2011年12月10日 (土)

晦日のおそば

生まれてから嫁ぐまで、年末年始のタイムスケジュールがきっちり決まっていた実家で暮らした。

31日の夜、紅白歌合戦の最中に、年越しそばが出される。
その直前まで、お節料理の味見をしているので、
『おなか一杯やねんけど……』と思いながら、
「食べや」と祖母から勧められると、
「うん。いただきます」と言って食べていた。

食べ終われば
「ごちそうさま」
「よろしおあがり」
いつもの言葉が交わされた。
そして祖父が
「年越しすんだな」と言えば、
『今年が終わったんや~』と思っていた。


年末年始、私は都内のワンルームマンションで一人過ごす。
「今年、晦日のおそば、どこで食べよ(どこで食べようか)?」
おせちも作らないので、味見でお腹が膨れることもない。
おそばはお腹が空いた状態で、好きな時に、好きなお店で食べることもできる。

けれど、出不精だから、
「通り向こうのコンビニで買ってくる、どん兵衛かな」とも思う。

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2011年12月 4日 (日)

あんた、どないしてたん?

「ごめん。おばちゃんを町で見かけたら、隠れてしまうねん」
幼馴染は、こう言う。

70代半ばの母のパワーは、毎日全開だ。
幼馴染を見つけたら、彼女の近況を探らずにはいられないのだろう。
「まぁ、あんた、どないしてたん?」から始まって、
その他、諸々と『お尋ね』は広がっていく。
「ほんで、息子の○○ちゃんは?」
「たしか、あんたとこ、◆◆さんとことは、遠縁やったわな?」
親戚縁者の話にまで突っ込んでいく。

母の周囲のおばちゃん達の多くは、このタイプだ。

「堪忍な」と謝ると、
「ええねんけど、ちょっとしんどいときは、隠れる。フフフ。何もおばちゃんだけ違うし」
二人同時に、町内のおばちゃんたちの顔を浮かべているのがわかる。
「まぁな」
にんまりして、
「なぁ、同級生で言うたら、□□ちゃん、ほれ」
「あぁ、あの子、(こんなタイプに)なりそやな」
この先も〝突っ込み型情報収集大好きおばちゃん〟の存在は消えることはない。

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2011年12月 2日 (金)

知らない言葉

「フィックスしたら連絡します」

「今回はクリスマスまでに彼女をつくるというタスクを自身に課したわけで」

「とにかくコンセンサスとってよ」

etc……

毎日、わからない言葉の中で仕事をしている。

上から順に、私のわかる言葉に直すと、
「決定したら連絡します」
「今回はクリスマスまでに彼女をつくるという仕事(作業かな? 『すること』でも通じるかも)を自身に課したわけで」
「とにかく意見が一致するように話し合ってくれよ」

周囲は30代の男性ばかり。
彼らの言葉はビジネス用語なのか、この年代が使う出版業界の業界用語なのか、それすらも「うちにはわかれへん(=私にはわからない)」である。

友人のライター仲間の多くは40代の女性だ。
彼女たちに、
「なぁ、なぁ、こんな言葉、知ってる?」
と問い合わせた。
「知らんわ~。それ、おもろいから、書き出してメールで送ってきて」
ケラケラ笑う友人もいれば、「へぇ~」と驚く友人もいた。
ただ共通しているのは、言葉の収集癖で、
「できたら、毎日、送ってきてな」
だった。

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2011年11月29日 (火)

壁にぶち当たったとき

壁にぶち当たったとき、
「あかんなぁ~、ほんまに、温室育ちはろくなことないわ」
自分で自分に嘆いてしまう。

言いながらも、最悪の沈滞時期を抜ければ、意識のどこかに
「なんとかなるし」
の思いもわいてくる。

negativeとpositeiveの間を行ったり来たりしているのかというと、
「そうでもないねん」
と思う。

最初negative、それからしばらくnegative、もっとドンドンnegative、negative
まだ気持ちは明るくなれず、negativeの状態が続く。
フッと
「あれ? あれれ?」
気の持ちようの変化を感じると、
「おっ、なんとかなるかも」
と思う。
少し経てば

「なんとかなるって」
になって、
「苦にしたかてしょぉないわ」
となる。
ここまで来たら、
「えらい、えらい」
自分を褒めてやることにしている。

「まだ、その褒めてやる所まで行ってへん」
今は気分改善される前で、
「すっきりすまるで、もうちょっとや。いや~、まだ間ぁがあるのかも……」
間=期間を推し量ることができないのが残念だ。

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2011年11月20日 (日)

気ぃが若い

「病室みたい」
と言われた拙宅は、千代田区のワンルームマンション。
この部屋で過ごして3か月が経つ。

しばらく前に、レースのカーテンを一枚加えたので、
「女子学生ぽい部屋になった」
来訪者からは、そんな声があがる。

「きっと、うちが(私が)、毎日、機嫌よう暮らしていけるのも、人生初の一人暮らしで女子学生並みに、気ぃだけ若(わこ)なってるさかいかもしれへんわ(気持ちだけ若くなっているからかもしれないわ)」と思う。

寒くなってきた。
100才間近の祖母が縫ってくれた綿入り袢纏(はんてん)をチェストから取り出し、
「気ぃが若いのんと、防寒はまた別もんで」
と思う。

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2011年11月10日 (木)

そんなアホな

急ぎの仕事があった。
企画書を書いたり、資料を作成したりと、「今日中に欲しい」と要求のあったものを先に片づけた。
やれやれと思ったときは、午後10時を過ぎていた。

それから遅いお夕飯にし、
「気持ちを入れ替えて、さぁ!」と思ったが、眠気が襲ってきた。
「あかん、あかん」と頭を横に振ったが、やはり眠気は飛んで行かない。
「お風呂に入ろ」
入ったら、湯船で眠ってしまった。
「あかん、あかん!」
ぬるくなったお湯から出て、目覚まし時計を午前3時に設定した。
「今、午前1時半やさかい、1時間半ほど寝て、ほんで、サッと起きよ」

気づいたら、完全に夜が明けていた。
目覚まし時計のスイッチは〝on〟から〝off〟に切り替わっていた。

「そんなアホな」
切り替えた記憶はない。
全く、ない。

「き、きょう中に、どこまでできるやろ」
こなす仕事量の重さだけがドーンと肩に乗ってきた。

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2011年11月 8日 (火)

電子書籍 『男と女の胸の内』

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電子書籍で拙著
『男と女の胸の内』の販売が始まった。

綺麗なイラストで、ipadで見た時は
「ほぉ~」と声が出た。

購入先は、電子書籍の販売サイト honto。
 ↓ (下記が販売サイト)
https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do?seriesId=B-MBJ-24101-120083778-001-001


ダウンロードの仕方を詳しく説明したのが
http://www.publabo.co.jp/honto/

電子書籍出版社の(株)パブラボで作ってもらった。


周囲の皆さんの協力と支えがあって、自分の書いたものが形となっていく。
「いま、もう、ほんまのほんまに、おおきに。ありがとうございます」
心から、そう思う。

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2011年11月 6日 (日)

遠慮してもらわんかて、よろしのに

土曜日に内科を受診した。
大阪で診てもらっていた内科の先生から紹介状を携えて、初対面の先生と向き合って座った。

私よりも若い男性の先生だ。
するとこの先生、
「失礼ですけど、53歳で」
年齢の前に〝失礼ですけど〟の前置きの言葉をつけて話し始めた。

〝失礼ですけど〟の言葉は、儀礼的に気遣ってくれているのだろうけれど、
「53は、53ですわ。そんな、センセ、遠慮してもらわんかて、よろしのに」
と思った。

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2011年11月 5日 (土)

大阪文化vs東京文化

大阪のおばちゃんは、
「我が、我が」
としゃしゃり出てくる。

「あんたとこ、そんな具合なら」
と相手の家の話に関心を寄せている風に見えて、いつの間にやら、
「まぇね、あんた、うっとこはな」
と、話は急に自分の家か、自身の話となる。

そんな情景は、商店街のあちこちで日常的に見受けられるもので、何一つ特別なことではない。

けれど、都内で仕事をするようになり、毎日幾度も注意されるのが、
「ほら、出た! また自分の話に持ち込んだ!」
「まったく、我がの人ですよね」
若い人たちに言われて、
「あっ……」
と気づく。

自分の小ネタを入れて話す大阪の人間と、自分のことは見せずに話す東京の人間の、
「これも文化の違いとちがうやろか?」
この頃は、そう思うときもある。

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2011年10月31日 (月)

facebook始めました

「ねぇ、facebook していたっけ?」
昨年あたりから、こう尋ねられることが多くなっていた。

今年になると、
「松尾さん、facebook 始めたら?」
に変化した。

そんなこともあって、
「ほな、なーんにもわかれへんけど、やってみよか~」
で始めた。

facebook の友達検索で『松尾成美(まつお なるみ)』を入力すると、同姓同名の方が何人か出てくる。
〝勤務先:ライター〟としてあるので、
「それが、うち(私)」だ。

今日のブログタイトルを
『facebook始めました』
と書いた途端、
「“冷やし中華はじめました”とか、“土瓶蒸しはじめました”みたいで……」
と思った。

続く言葉は
「季節もんか!」
一人で突っ込みを入れていた。

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2011年10月 3日 (月)

『男と女の胸の内』 電子書籍化完成間近

最新刊案内のバナーを貼った。

電子書籍出版社 (株)パブラボ

http://www.publabo.co.jp/
 

 ↑
HPにも告知がある。

「こないに綺麗なバナー作ってくれるやなんて、ほんま、うれしわ~(嬉しいわ)」
そりゃもう、ニコニコしてしまう。

お酒の月刊誌『TARU』に2年間連載した24篇に、新たに6篇書き加えた1話完結の30篇の“男と女のショートストーリー”。

「遊び人のおじいちゃんに育ててもろて、良かったわぁ。フフフ」の思いがあって書いた『私的遊び人論』
「女子(おなご)の本音は、到底、男はんには分かれしまへんやろけど……」と思って書いた『女の言葉』
「粋(すい)なお人は、こんなとこにも気ぃつこてはります」と思い出を振り返った『残り香』

などなど、30篇はどれも思い出深い作品だ。

電子書籍として販売が開始すれば、ipadなどでも読んでもらえる。
「フフフ、ホホホ」
  ↓ 
「ドキドキ、ワクワク」
  ↓ 
「うれし(嬉しい)、たのし(楽しい)」
毎日、バナーを見るたびに、気持ちはこの順で動いていく。

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2011年9月25日 (日)

たよんない(頼りない)気持ちがくすぼって(燻ぼって)

時々、夢を見て目覚めてから
「あれ? うち(私)、こんな脆い(もろい)とこも、あったんやろか」
と思う時がある。

どこかたよんない(頼りない)気持ちがくすぼって(燻ぼって/くすぼる:大阪弁では『くすぶる』が行訛して、『くすぼる』という)いるとき、今は亡き自分の頼りとする人が夢に出てくる。

「こんなんを夢枕に立つとかいうんやろけど……」
目覚めるときの状態は、泣いていることもあれば、ケラケラと不気味なほど笑いながらという時もありで、自分でも「おもろいなぁ~」と思う。

最多出場は、松尾の祖父母。
次が高校生の時に亡くなった同級生の良幸ちゃん。
その次が忠犬エスで、エスが出てくると軽やかな足音が耳の奥に残ったまま目覚める。

大抵、夢の中で話したことは覚えていない。
「向こうに(あの世に)いてんのに、気になって見に来てくれたんやろか?」
と思うだけで、気づかず内に秘めている自分の脆さに気づき
「ホホホ、かいらしとこ、うちにもまだあんねんわ。フフフ」と笑えてしまう。

「有難きかな黄泉の国の縁ある人ら」
と、そんな夢を見るたびに思う。

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2011年9月18日 (日)

ワクワク、ドキドキ

「どうして東京へ?」
「東京で仕事ですか? 今までずっと大阪で(仕事を)していたんでしょ。なぜ、今?」
大阪から東京に仕事の場と住まいも移して、こんな質問は何度か受けてきた。

通り一遍の、誰もが納得できる答えなら、
「都内の方が仕事が多いですから」
あいそ(愛想)笑いも手慣れたもので、こう返答する。

「そうですよね~」
「あぁ、やっぱり」
皆々、頷いてくれ、それ以上は根掘り葉掘りと聞いてこない。

答えた事に嘘はない。
でも、もう一つ、私には大きな理由がある。
「ワクワク、ドキドキする事がたまたま都内にあり、ワクワク、ドキドキさせてくれそうな人もいたから」

“ワクワク、ドキドキ”は、私の生きていく中での重要順位ランキングで、常にトップに輝く。
仕事でも、人との関係でも、物との出会いでも、
「なんやこぉ、“ワクワク、ドキドキ”すんの、なんでやろ~」
と思った時には、すでにその仕事、人、物にはまっている。

53歳の今も損得勘定のできない、尽くしタイプの私。
「お金で得るもんがのぉても、ワクワク、ドキドキでけたら、それはそんでええのとちゃうやろか」
都内に来てからも心のどこかで思っている。

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2011年9月14日 (水)

お嫁さんに向いてへんかったんやわ

「料理もうまいし、あいそ(愛想)もええ。あんた嫁にもろたら、相手は得(とく)するで」
町内のおっちゃんやおばちゃんのおじょうず口(お世辞)を、お世辞ともとらず、
「そうかも。フフフ。うちは、やっぱりお嫁さん向きやねんな」
と、10代の頃は思っていた。

やがて結婚し、離婚もし、幼い娘二人を抱えてシングルの生活が始まった。

53歳になった今、同居していた娘たちとも別れ、都内で一人で暮らしている。

やっと仕事に全神経を投入できる時がきて、嬉しさと、仕事で使って貰える所のある有難さが日を追うごとに深くなる。
「多分、今までの人生で最大級の喜びかもしれへん」
朝、目覚めるとそう思う。

仕事を終え、一人の部屋に戻ってくると、
「思うほど、今日の仕事、はかどれへんかった」と思う日もあれば、
「今日は、調子よういったわ」と、微笑む日もある。
そんなことが楽しくて仕方がない。

楽しいなと思った後、時々、
「うちはお嫁さん向きやなかってんわ」
とも思う今日この頃だ。

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2011年9月 8日 (木)

「へっ?」「ほんま?」

大阪の賃貸マンションの退去手続きをする段になって、
「へっ?」
「ほんま?」
と口走ってしまった。

今まで数か所の賃貸マンションで入居・退去の経験があった。
どこでも入居時は日割り計算、退去時もこれまでの所は日割り計算だった。

ところが、今回の所は違った。
「9月1日に退去でも、9月分丸々ひと月分の家賃支払いです」
そこで出た言葉が、
「へっ?」
「ほんま?」だ。

契約書を確認すると、1ページ目の一番下に

『1ヵ月未満の賃料及び諸料金は日割り計算とする。退去時には、日割り計算とな
≪ここでページが変わり≫
さず1ヵ月単位とする。』
≪ここから折り返して綴じてある、次ページ冒頭部分に続く≫

「しもたぁと思たかて、思い込みで見落としてたうちが悪いねん」
ひと月分の家賃はすでに支払った。
15日にここを出ると、大阪の住まいは完全になくなる。

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2011年9月 3日 (土)

あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ

「悔いなく生きたい」を、うち(私)のつこてる(使っている)大阪弁で言うたら、
「そやなぁ」と、ほんちょっとのまぁ(間)、考えた。

「あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ」
と、こうなる。

東京での一人暮らしを満喫しながら、何かの拍子に、
『結婚と離婚』を考える。
「結婚しといてよかった」であり、「離婚も経験してよかった」と思う。

「子育ては?」は、「無我夢中やった」というのが本音だ。


9月11日の誕生日を迎えると、満53歳。
「過ごしてきたどんな時も、その時、うちの出せる力をぜーんぶ注いできたんかもしれへん」と感じる。

「あぁ、しもたと思わんよに生きとおますわ」は、大根(おぉね:心・心の芯)には持っているけれど、そう生きてきた53年間を振り返って出る言葉は、
「まっ、ええか~」とお気楽なもんである。

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2011年8月22日 (月)

初めての一人暮らし

都内で、初めての一人暮らしが始まった。
53歳目前で、やっと叶えられた夢の生活だ。

「何でも一人分でええのや」
スーパーで、パン屋さんで、100円均一のお店で、商品を手にとってはそう思う。

物心ついた頃、最も頼りにしていたのは、忠犬のエスだった。
コリー犬で、非常に母性本能が強かった。
幼い私に対して、「どんな時でも、必ずお守りします!」の姿勢を貫いた。
「エスとなら、だーれもいてへんとこで一緒に暮らしたい。エスさえいてたら、ええねん」
そんなことまで考えたが、多分、この頃から身内から離れて、一人で暮らしたい気持ちがあったように思う。

50年程かかって、やっと実現した。

寂しさも感じず、「今日も一人暮らしや。ホホホ~」と笑って過ごせるのも、
「元気?」と、顔を合わせたときや、メールで問いかけてくれる周囲の方々の気遣いがあっての事。

「おおきに、おおきに。ほんまに有難いこってす」
しみじみと眠る前に感謝している。

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2011年8月17日 (水)

ほな、東京へ

急に都内転居の運びとなった。

その知らせを友人・知人・仕事関係者にメールで伝えた。

知らせを受けた中の数人から、
「結婚? 再婚?」
の返信メールをもらった。

Re:再婚じゃないんです(松尾成美)

タイトルは皆同じで返信した。

仕事の場が東京中心になりつつあったので、
「ほな、行ってみよか~」
こんな調子で、ヒョイと大阪を後にした。

引っ越し荷物の入っていたダンボール箱の上にPCを置き、今までと違う場所でブログを書いている。
部屋にはテレビもなく、至って静かだ。
「静かな生活って、こういう事やったんやなぁ」と思う。

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2011年8月12日 (金)

盆と正月、なんや具合悪いねん

世の中、お盆休みだ。

気づくのが遅かった。

「昨日、電話しといたら良かった」と、今朝、とある会社に電話したら、
「本日よりお盆の休暇を取らせていただいております」の案内が流れた。

年末にもこういう事がおこる。
29日あたりに仕事関係の会社に電話をすると、
「年明けの営業は……」
の電話案内が流れる事が多い。

年中無休で、時間も関係なく仕事をしているのは、私の周囲に何人もいて、ついつい「それが当たり前」の感覚を生んでしまう。

「盆と正月、なんや具合悪いねん」
暑い夏の日に思い、年末になると同じことを、今度は寒い冬の日に思うことだろう。

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2011年8月 7日 (日)

大阪弁:「そぉすかん(総好かん)」

『そぉすかん』という大阪弁を、今まで漢字で考えたことはなかった。

<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>には、
─ ソォスカン【総好かん】(名) 
    万人に嫌われること。総(すべ)てが好かない意。
とある。

漢字を見て思い浮ぶのは、今の管首相だ。

管首相の『そぉすかん』ぶりを、テレビや新聞の報道で知る。
同情などわいてこないが、「あれまぁ」と声だけは洩れ、
「けど、ぜーんぶ、お宅の身ぃから出たことでっせ」と言ってしまう。

そんな毎日が続く。
政治家の「我が、我が」「大事なんは我一人」の姿勢を見るにつけ、気持ちが萎えていく。
「この国は、ほんまにどないなってしまうのやろか」と思う。

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2011年7月20日 (水)

人に気持ちを伝えるときは

東京で仕事をしているときも、いつも通りの大阪弁で喋っている。
多少、注釈を付けて会話を続けることはあるけれど、

「えらい通じへんもんやなぁ」
<大阪弁対訳>
「ものすごく話が通じないものだわねぇ」

とは思わない。

ただ、注釈の仕方は大阪でいるときとは少し違う。

私の使う大阪弁は明治・大正時代に使われていたものが多い。
70代後半以降の方々なら全く注釈なしですむのだが、今の若い人たちには今風の大阪弁で言葉を添えて説明することになる。

東京でいる間は、
・一昔前の大阪弁
    ↓
・今風の大阪弁
    ↓
・大阪弁なまりの標準語
と、説明に手をかける。

「自分の思いを伝えるためには、話す相手に分かる言葉にせんとあかんよって」
そう思いながら、話すときにはそこそこ気をつけている。

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2011年7月 8日 (金)

鵺(ぬえ)みたいなやっちゃ

「鵺(ぬえ)みたいなやっちゃで」
(鵺のような人だ)
こう言われたらなら、そこに善意は含まれていない。
意味は、「正体が掴めない奴」・「得体の知れない人間」ということだから。

53年近く生きてきて、鵺みたいなお人とは、二人出会(でくわ)した。
どちらも男性だ。
先ず、どうやって食べいるのか分からない。
しかし、衣食は足りているようで、身なりもそこそこ、顔色も良かった。

「仕事、してるみたいやで」
周囲の人はそう言うが、
「仕事って、何してはるん?」と聞き返すと、
「さぁな~、はっきりした事は知らんけど。
そら、あの人かて、相続したもんがあるわけやなし、なんぞ仕事してななぁ……」
答える人も首を傾げて、曖昧な物言いで終った。

広辞苑で『鵺(ぬえ)』を調べると、
①トラツグミの異称。
②源頼政が紫宸殿で射取ったという伝説上の怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという。
そして記載項の最後に
③転じて、正体不明の人間やあいまいな態度にいう。
とある。

以前から政界の人間を、
「どのお方も、鵺みたいで」と思っていたが、この頃は一層その思いがきつくなっている。

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2011年7月 6日 (水)

えらい険のある物言いで

松本龍震災復興担当相が昨日:5日に辞任した。

テレビで放映された、岩手県知事や宮城県知事との話の場での様子に、
「なんや、この人。えらい険(けん)のある物言いしてから」
<大阪弁対訳>
「(驚いて)一体なんなのよ、この人は。ものすごく角の立つ言い方をして」と驚いた。
ほんまの、ほんまに驚いた!

直後、
「しかしまぁ」と呆れ果てた。
それから、
「なんぼなんでも、これはないやろ」と、人の底を見た思いで悲しくなった。

震災は人災で更に被害が広がり、復旧・復興が遅れる。
被災地の方々の悲しみも怒りも、
「どこ向いて吐いたらええねんな」と思う。

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2011年6月29日 (水)

大阪弁:「なぶる(嬲る)=からかう」

女性に軽口を言うのが趣味だった祖父。
若い頃から、今で言う『ナンパ』の腕を磨いてきたので、年齢をとっても、どんな場所へ出ても女性に声を掛けるのが巧かった。

女性に会えば、先ず、どこか一ヶ所を褒める。
「○○さん、今日の口紅の色、ええなぁ」
「その服、あんたに、よぉ、映るわ」

ねき(側)に孫の私がにいても、そんな事は気にしない。
女性への褒め言葉は、「そんなもん、言うのが当たり前のこっちゃで」である。
その場と時に応じた“女性が言われてクスッと喜ぶ一言”が繰り出された。

<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>には
── ナブル【嬲る】(動) さわる。いじる。もてあそぶ。おもちゃにする。 さらに、からかう。嘲笑する。
とある。

世の中には、品なくなぶる輩はウヨウヨいるが、
「おじいちゃん、なぶるの(この場合は『からかう』の意味)、大したもんやったわ」
と、妙に感心する。

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2011年6月26日 (日)

youtubeに映る素の自分

2010/8/31のブログに、ものづくり企業と文章教室のコラボ新企画のお知らせのために
『大阪市西成区の村上紙器工業さんのHPで、私の主宰する『松尾成美 話すように書く文章講座』の受講生たちが、村上さんの製品を、“見て・触って・話を聞いて”イメージを広げて書き上げた作品が掲載されている』と記している。

企画を『文創りのエチュード』と名付けて、受講生達は五感をフル稼働させてフィクション・エッセイを書き上げた。

その活動を振り返っての思いを、関わった貼箱士村上誠さん・和紙演出士 河手宏之・そして放送作家の私:松尾成美の3人で語った映像がある。
http://www.youtube.com/watch?v=yjhIoJEjQIE


11分間の映像には、素の自分が映っていた。
縁を得て、今企画ができたことを、改めて感謝している。



「どんな企画やったんや?」
そんな疑問を抱いて下さったなら、「下記を、ちょっと覗いてもらえたら、ええねんねど」と思う。

貼箱士村上誠のブログ「文創りのエチュード」〜貼箱×放送作家〜
2010/8/31
9/6 http://www.hakoya.biz/blog/information/item_647.html

☆和紙商小野商店ブログ「文創りのエチュード」〜和紙と文章とのコラボ企画〜
2010/10/2811/4
http://www.onopapers.com/index.php?topic=blog&page=3

実は、この取り組みは201193日の産経新聞大阪版 朝刊<社会面>に掲載され、他のメディアでも取り上げて貰えた。
その時の事もまた、「有難いなぁ」と思い返している。

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2011年6月22日 (水)

ドンならんがな(困ったものだ)

自分でも、「ドンならんがな」と思うことがある。
娘達が呆れながら認める〝グランドファザコン(グランドファーザーコンプレックス)〟だ。

育てて貰った松尾の祖父:祥平(しょうへい)にも、母方の祖父:繁市(しげいち)にも、情けないほど強い愛着を持って、
「早(はや)53年も、来てしもたがな~」である。

勝ち気な女性を“コロッといてこます(=難なくものにする)”のが上手だった祥平。
朴訥だから故に女性に人気のあった繁市。
「そやそや、(繁市)おじいちゃんの体の見事な事。そらもう、腹筋は6つに割れてるし、手足も長いし……」
こう喋り出したら止まらない。

「二人とも、死んでるやん」
娘達がこう言っていた時期も疾(と)うに過ぎ去り、
「また始まった。はいはい」
とかわされて、両祖父への熱き思い出語りは強制終了となる。

いつまでも、遊び上手な祥平を思い、美しい体を持っていた繁市に憧れるのは、
「ほんまにドンならんで(=本当に困ったものだ)」
と思っている。

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2011年5月31日 (火)

物書きの業(ごう)

物書きは、文章を書いていないと落ち着かない。
入院中も、思いついたことを手帳や、便箋に書いていた。

この頃は、PCを弄れば弄るほど、
「あれ? なんやけったいな」
「元の画面に戻れへんがな。アチャーッ!」
「どないしょう~、どないしたらええねん」
再起動する度に、思いも寄らぬ方向に向かっていく画面……。

焦りながらも、システムの復元やら、ネットで調べた方法を試してみる。
PC内部で
「ほんまに、えらいことしてくれて」
「かなわんで」
そんな声が聞えてくるわけではないが、
「すんまへん。どうぞ、気張っておくなはれや」
とPCに声を掛け、優しく本体を撫でて、
「たのんます。元に戻りますように」
と祈る。

画面が変化している間は、これ以上気を揉んでも仕方がない。
「そやそや、葉書、書こ」
頭に浮んで来る友の顔の順番に従い、
『何でもない文です』と前置きをしておいて、数人に宛てて書き上げてしまう。

「書いてたら、落ち着くとはなぁ~」と、物書きの業(ごう)の深さに笑ってしまう。

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2011年5月24日 (火)

毎度おおきに♪

「松尾さんは、よく旅行に行きますか?」
「旅行、好きですか?」
そんな質問を受けることもある。

質問の相手の“旅行”は観光旅行で、“出張”は入っていない。

広辞苑によると、
── しゅっ-ちょう【出張】②用務のため、臨時にふだんの勤め先以外の所に出向くこと。
と載っている。

私の場合、観光旅行に満足感を得ることは少ない。
ところが、旅に出るのは同じでも出張は大好きで、仕事以外の満足感も大きい。

「行ったことないとこ(所=観光地)に行って、めずらし(珍しい)もん観て、美味しいもん食べるのもええのやけど、それで帰ってきても、あんまりうれし(嬉しい)ないねん。
それよか(それより)、出張先ででおた(出会った)お人との話や、人柄の善し悪しを、帰ってきてから思う事の方が、うんとたのし(楽しい)わ」
となって、
〝観光旅行<出張〟
いや、
〝観光旅行 ×
  出張 ◎   〟
が、正直な気持ちだ。

だから出張依頼が来ると、元気に「はい、毎度おおきに♪♪」と受けている。

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2011年5月19日 (木)

大阪弁:「しかくい(四角い)・まぁ~るい(丸い)」

何でもない言葉だが、時折、「フフフ」と笑ってしまうものもある。

「そこの四角い(しかくい)お盆、取って」と言えば、
「そこにある、四角い形のお盆を取って下さい」ということだ。

この“四角い(しかくい)”も大阪弁で、大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫にも載っている。
そこには、
『シカクイ【四角い】(形) 四角という名詞にを付けてそのまま形容詞化したもの』
とある。

ところが、丸い形を話す時の大阪弁は、微妙な音程変化があるのが特徴だ。
「そこの丸い(まるい)お盆、取って」ではなく、
「そこのまぁ~るい、お盆、取って」となる。

“まぁ~るい”をこう表記しても伝わらない。
<ま→ぁ→~→るい>と夫々の音が出る間に、音が上がったり下がったりしながら、音の間延びや、一気に音が続いたりと、
「書ききられへんけどな、そらもぉ、えらい変わっていくねん」と思う。

そして伝わる印象は、「かいらしいなぁ~(可愛いらしいな)」となり、話す方も聞いた方も、ニッコリと笑みが溢れる大阪弁だ。

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2011年5月 1日 (日)

やつし(=おめかしや)の祖父の腕時計

大阪弁の『やつし』とは、「おめかしや」や「おめかしするのが好きな人」という意味だ。
けれど、「おめかし」という言葉自体、昨今はピンと来ないように思う。

現代で分かる表現なら、「おしゃれ」や「ハイセンス」や「ファッショナブル」というところだろうか。

明治生まれの祖父は、町内では「やつしの松はん(=おめかしやの松尾さん)」で通っていた。
着物なら羽織の裏に凝り、長襦袢に絞りで小さく『松尾』と染め抜いた物を着ていた。
ジャケットも「それ、どこへ着て行くん?」というような派手な柄行の物も買ってきた。

祖父が使っていた腕時計を、私はたまに身につける。
金色に輝く大振りの腕時計は、やはり目を引く。
ところが、今日はその腕時計をパーカーのポケットに入れたまま、洗濯してしまった。

パーカーを干そうとしたときに、ポトッと落ちた。
「うわっ! えやいこっちゃ!!」
手巻きで、防水機能はついていない。
直ぐに耳に当て、音を聴いた。
〝チッチッチッチッ〟
規則正しいいつもの音が聴こえる。
安心した。
が、しばらくこのまま動くのか様子を見るために、机の上に置いて
「堪忍な。ほんまに堪忍してな」と謝り、時々手に取り撫でさすっている。

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2011年4月23日 (土)

昔懐かしQueenにBowie

近頃は30代の人達と仕事をする事が多くなった。
いつも知らないこと事を教えて貰って、
「おおきに、有り難う」と、
感謝する事が続くのも嬉しい。

何でもない話の中で、
「あんな、うち、Queen のファンクラブに入っててん。コンサートにも行ったし」と言うと、
「本当ですか?!」と、そこにいた30代の男女が意外な顔をした。

私は1958年(昭和33年)生まれ。
中高時代は1960年代の音楽色を引きずりながら、1970年代のアメリカやイギリスの洋楽がラジオからガンガン流れていた。
当時は、月刊音楽雑誌の〝MUSIC LIFE〟を回し読みし、同じ学年の友達同士でLPを貸し借りした。

「騒がしいのから綺麗なメロディのものまで、たんと聴いたなぁ」
ずっとクリアファイルに挟んで下敷き代わりに使っていたのは、〝MUSIC LIFE〟に掲載されていたのを切り取ったDavid Bowieの写真だった。

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2011年4月 9日 (土)

大阪弁:「癇立てる(かんたてる=プリプリ怒る事)」

テレビのトーク番組を観ていて、出演者の話に同意するときもあれば、「それは違うわ」と思うときもある。
「それ、違うやろ」で終らず、その後も、一人ブチブチ文句を言っていると、娘に言われる一言は決まっている。
「そない毒吐いてたら、罰当たるわ」

更にまだ文句を言っていると、
「毒吐くの、もぉ止めや!」
この時は、厳しく告げられる。

Podcastで一緒に大阪弁の話をして下さっている70代後半の竹内志朗先生なら、
「そない癇立てなや(そんなに癇を立てなさんな=プリプリ怒るのは止めなさい)」
語尾は優しく「立てなや」と音が下がっていく口調で、少し笑いながら言うだろう。

明治生まれの祖母は、
「イケズ口ばっかし言うもんやないで(=意地悪な事ばかりいう事もんじゃないよ)」
窘める(たしなめる)気持ちが前に出て、念を押すように言ったものだ。

皆、それぞれの立場で、それぞれの言い方がある。

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2011年4月 4日 (月)

大阪弁:「いっしょくた(一緒腐)=なにもかも混じること」

家の中では今でも使う『いっしょくた(一緒腐)』という大阪弁。
意味は、「何もかも混じること」で、分別という意識が全然ない状態を指している。
しかし、現在では周囲で使っている人はほんの僅かだ。
50代の私でも外では余り使わない。

20代の娘達も、「うち(家)の中だけで通じる大阪弁で、うちら(私達)外でつこたら、『なに、それ? 分かれへん』って言われるわ」と言う。

98歳の母方の祖母は、今も昔も変わらぬ口調で、『いっしょくた』などは、登場回数が多い部類の言葉だ。
例えば、一つの箱に、祖母の側にあるお菓子やメモ書、ハンカチに病院の診察券など、あらゆる物全て入れたとしよう。
そんな事でもしようものなら、途端に厳しく、「そんな、あんた、味噌も糞(くそ)もいっしょくたに入れるよなことして。あかん、あかん! そんな入れ方したら!」と叱られるに決まっている。

そう、本当に叱られるに決まっているのだ。
何しろ、100歳手前の祖母の叱り方は、言葉遣いだけでなく、勢いも今も昔も変わりはないのだから。

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2011年3月30日 (水)

こんな時こそ生かしたい「きたのぉ働いてきれぇに暮らす」の心意気

青字は、2009年5月3日のブログの再登場だ。

大阪弁:きたのぉ働いてきれぇに暮らす(汚のぉ働いて綺麗に暮らす)

① 自分のことにも厳しく、他人にも厳しい人がいる。
② 自分には甘く、他人には厳しい人がいる。

見ていて見苦しいのは、
② 自分には甘く、他人には厳しい人
である。
殊に、お金に関することで人の本性は剥き出しになる事が多い。

大阪弁には、『きたのぉ働いてきれぇに暮らす(汚のぉ働いて綺麗に暮らす)』という諺がある。
「どんな職でも懸命に働いて、自分の暮らしは質素にし、出るお金を切り詰めて蓄え、世間に、あるいは他人の役に立つ事なら、お金はケチらず出し惜しみをするな」ということだ。
「品よぉ生きるんは、ほんま、こう言うことやわ」と思う。

<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>には、『大阪商人の心意気をいった諺』と載っている。

明治生まれの祖母は、「お金は、生きるよに使わなんだらあかんのやで。その反対が死に金や。(生き金は)自分のために使う事もあるやろけど、人さんの役に立つよな使い方もしぃや」
そう言っていた。

地震のあった今こそ、「きたのぉ働いてきれぇに暮らす」を発揮すべき時だ。
「おばあちゃん、これからもうちは、できる範囲で、できることをしていこと思てる」
蘇る祖母の声に心の中で答えた。

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2011年3月 2日 (水)

夫婦道/大阪弁:「ころっと(=すっかり・まんまと)」

父は生真面目な人である。
透析患者の父は、その実直さもあって〝必ず指示を守る患者〝として病院内での評判は良い。
父にしてみれば、主治医の言葉は神の声であり、看護師さん達がかけてくれる言葉は天使の囁きの如しで、通院も苦にならない様子だ。

ところが、実直さが裏目に出ることもある。
今冬は寒さがいつにも増して厳しかった。
雪も積もれば、冷たい雨も降った。

その中を父は、「センセが、毎日1時間歩くよにと言うたさかい」と、雪でも雨でも言われた通りの1時間をかけて、寒い寒い外を一人で歩いていた。
母は何度か「なんぼなんでも、こんな日に出ることもないやろ」と行くのを止めたのだが、「いや、センセが言うたんや」と聞く耳を持たない。
勝ち気な母はカチンときたのだろう。
「そない言うこときけへんのやったら、もう知らん!」と父にきつく言った。

翌日、外の気温はかなり低かった。
「こない寒いの、いかんとくわ。お母ちゃんに叱られる」と母に告げた。

電話でその様子を話す母の声は底抜けに明るかった。
「お母ちゃん、お父ちゃんをころっといてこますの巧いなぁ~(=まんまと自分の思うように仕向けるのが巧いよね)」と言うと、
「そやろ。ハッハッハ」と大きな笑い声を立てた。

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2011年2月19日 (土)

大阪弁:「殺生(せっしょ)」

耳に残っている大阪弁で、ふと、「そないいうたら、ほんま、聞かんよになってしもた」という言葉はいくつもある。

何気ない日常の中で、本当に〝ふと〟思い出す懐かしい大阪弁。
今日は、『殺生(せっしょ)』という言葉が浮んできた。

「そないセッショな事、言わんといてぇな」
「あんた、それは、なんぼなんでも、セッショや」
40年程前、『セッショ』という言葉は、まだまだ生活の中で使われていた。

漢字で書くと『殺生』だが、大阪弁では「セッショ」と発音する。
意味は、「ひどすぎる」や「無茶苦茶だ」というもので、相手に抗議をするときに使っていた。

それに祖母の場合は、新聞に載っている事件や事故などの記事を見ては、
「これ見てみ。こんなセッショな話、ないで」
と、ねき(=傍:そば)に座る私に紙面を見せたりもした。
この場合のセッショは、「本当に気の毒な」の意味があり、深い悲しみと憤りが込められていた。

今は、テレビで時々、関西の落語家の人達が使うのを聞くことはあっても、「うちの周りでは、トント(=全然)、聞けへんなぁ~」と、言葉の変化を思い返している。

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2011年2月14日 (月)

大阪弁:『付け届け(=贈り物)』

商売人の家で育ったせいか、お中元やお歳暮の時分には、数多くの品々が届いては家の中に積まれ、また包み紙を替えて(=包装し直して)出て行った。

母や祖父母から、
「ちょっと、これな、○○さんとこ、持っていてくれるか?」と頼まれて、先様に届ける事は多かった。
お中元やお歳暮なら、熨斗(のし=のし紙)の表書きに、『お中元 松尾』や『お歳暮 松尾』と書いてあった。
母からの場合は、サインペンか、後に筆ペンを使って書いた流れるような母の字で、祖父母からの場合は祖父の筆で書いた文字が、熨斗の中央にあった。
祖父の字は太く、元気が良すぎる。
時に、「うわ~っ、こない派手に書かんかてええのに」と思うこともあった。

習い事をしていたら、先生の所への『付け届け』も、きっちりと母はしていた。
大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫には、
“ツケトドケ【付け届け】(名) 贈り物。謝礼のために贈る金品。主として目下から贈るものにいう。”とある。

『付け届け』は、感謝の気持ちを込めて贈る物なので、勢いの良すぎる祖父の字は、子供なりに「具合悪いわ」と思っていた。
「付け届けの熨斗は、もっと控えめでないとあかんわ」と、中学生の頃には、はっきりと感じていた。

「○○センセにお礼せんと(=○○先生にお礼をしないといけない)」という話題が出ると、そこから先の話は、なるべく祖父の耳に入らないように気をつけた。
そうでないと、硯を持ち出し墨をすりながら、「はよ、のし持って来い(=早く、のし紙を持って来い)」と言い出すか分からない。
用意は母任せで心配などなかったが、熨斗の表書きについては不安を感じたものだ。

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