2012年5月24日 (木)

朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし)

〝懸命に働きなさい〟ということを、明治生まれの祖母は
「〝朝は朝星 夜は夜星(あさはあさぼし よはよぼし)〟とゆうて、朝はおほっさん(お星さま)がまだ空に残ってる時分(じぶん)から、夜は星が空に出るまで、一所懸命働くということや」
と教えてくれた。

昨夜、引っ越したばかりの部屋で横になったら、そのまま午前3時まで寝込んでしまった。

夜星の出る前の夕方、通りを隔てて建っている9階建てのビルの明かりをボケ~っと見ていた。

夜10時を過ぎても、そのビルの1フロアだけ明かりがついていた。
「働きもんの多い会社なんやろか?」
この時すでに、ボケ~度合は夕方よりも増して、眠くなっていた。

「ちょっとの間ぁだけ」のつもりで横になったら、そのまま眠ってしまった。
気づけば、午前3時。
レースのカーテン越しに、目の前のビルの明かりは、例の1フロアだけ点いたままだった。

「朝は朝星 夜は夜星やのぉて、朝は朝星 夜は夜星を過ぎて、また朝星迎えんねんわ。あのフロアでいてる人、いつ寝はんのやろ?(寝るのだろうか?)」
ボケ~度合は極限を超え、布団を敷いた覚えもないほどだったが、朝はきちんと布団の中で目を覚ました。


                                            

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2012年5月22日 (火)

人さんの幸せをねごて(願う)

時期は過ぎたが、毎年の5月5日の子供の日の光景は、40年過ぎてもはっきりと思い出す。

朝一番に、祖母が頼んであった和菓子屋さんから、10個の柏餅を入れて1パックになっている包みが、木製の餅箱で2段分届く。

「今年も仰山やわぁ~」と、先ず思う。
小学5年生くらいだっただろうか?
私と妹は、祖母からの指示にそって、町内に住む、祖父母の知人で、大抵はお孫さんがいるお宅に手分けして届けに向かった。

「ごめんください、松尾です~。あの、これ、おばあちゃんから、みなさんで食べてもろてって」
「あのまぁ、毎年、すまんこって。おばあちゃん、ほんまにこないして、気ぃつこてくれてから。おおきに、おおきに。有難く頂戴しますとゆうといてな」

どこのお宅でも同じような言葉を貰い、すぐに帰宅。
次の配達先を聞くと、私と妹は、小中高時代は自転車で、それ以降は、単車で走り回った。


祖母には『久子』と名付けた娘がいた。
元々虚弱体質で、「小学校に久子をおんぶして行ったこともある」と話す祖母の顔には、『それも嬉しかった』の色が見て取れた。
だが、可愛い盛りの7歳の時に、祖父母はたった一人授かった実子を病で亡くした。

「人さんのお宅の子ぉが、どうぞ、元気に育ってくれるよに(ように)」
そんな願いを込めて、祖母の5月5日があった。


年中行事に込められた祖母の柏餅配りの手伝いは、53歳の私に影響している。
大したことはできないが、それでも何かある度に
「○○さんのことおもたら(思ったら)、こんな時、 どんな事をしたら、ええ方(ほう:方向)にいくのやろか?」
と考える大本(おおもと:根源)になっている。

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2012年5月18日 (金)

こんじょわる(根性悪い)の男

1ルームマンションの部屋全面カーペットからの埃が原因かは定かでないが、
「母方のひいおばあちゃんは喘息持ちで、おとうちゃんかて喘息発作が60過ぎで出て……うちかて、いつかはなるんやろかぁ~なんておもてたら、喘息発作が起こってしもた」
というので、近くのフローリングのマンションに引っ越した。

引っ越しした夜、巡邏のおまわりさんがマンションのエントランスに立っていた。
「あの、なんぞ?」
と尋ねると、
「もしよければ、お住いの方のお名前など、この用紙に書いていただきたいのですが」
とのこと。
「今日、引っ越してきたとこですねん。ちょうど良かった。書かせて貰います。ご苦労様です」

記載途中で、すでにこのマンションの住人の男女が帰ってきた。
コンビニの袋を手に持った30代の男性は、おまわりさんの説明に不機嫌に応対し、
「この夏に出るんですよね。書いても無駄になるんで」
と言って、後ろにきれいな女性を連れて玄関の中に消えていった。

この男性の態度にムカムカした。
『ちょっとそこのこんじょわるの兄ちゃん(根性の悪いお兄さん)、あんたが留守の時に、このきれいな子ぉになんぞあったら、あんたどないするん? 110番せぇへんのんか?!
あんたなぁ、なんぞごとの時のために、こないして、夜、おそうなったかて(遅くなっても)、一人、一人に聞いてくれてるんやないの。
何が〝夏に出るん書いても無駄〟やねん!』
心の中でここまで一気に言ったが、口から出た言葉はおまわりさんに向かって、
「色んな人がいてるさかい、大変ですね」
だった。

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2012年5月12日 (土)

ほんまに、これはけったいな

死にそうになったことは、3度ある。
事故で2回、病気で1回。

とはいえ、お花畑が見えただの、三途の川を渡りそうになっただの、そんな記憶は全くない。

「死んだことなんぞ、一遍もあらへんさかい、向こうの世界があるやら、ないやら、そんなこと、うちには分かれへんけども……。生きていったら、どっちにしたかて、誰もが死んでしまうわけで」
と思い、
「のぉなった人はたんといてる。そやなぁ、死んでから、向こうで会えるもんなら会いたい人かて、仰山いてることはいてんねん」

ここまで考えていたら、人のほかに、可愛がっていたペットの犬・猫・兎の姿が浮かんできた。
それらペットたちの全員に会いたいわけではないが、できるならも一遍抱いて、その毛をなでやりたいペットもいる。

「人もペットもおんなじやわ。のぉなってからでも会いたい人もいてたら、今生限りでよろしわと思う人もいてるもん」

ところが不思議なことに、『会うのは今生限りでよろしわ』と浮かぶ顔は、皆、生きている人たちばかりだ。
「ほんまに、これはけったいな」と笑ってしまう。

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2012年5月 9日 (水)

こましゃくれた子ぉ(=大人びたことをする子)

急に雨が降ってきた。
「天気予報、当たってしもた。近頃の天気予報は、よぉ当たるわ」
感心しながら、狭いベランダへの戸を開けて、雨を見ていた。

雨の匂いがする。
昭和30年代の終わりから40年代にかけて、両脇が田んぼのある道を、この季節に歩くのは嫌いだった。

蛙が車に轢(ひ)かれて、道にへばり付いた格好で死んでいるのを見るのがイヤで、
「とおりたない(通りたくない)」
と思った。

雨は好きだから、濡れるのも構わなかった。
「ペッタンコの蛙の死骸、あったらどないしょ」
の気持ちから、傘を右に左に傾げて、雨に濡れながら気を紛らわし、下を見ないで歩いていた。

「とおりたない道とおって、かよた通学路~♪」
勝手な節をつけて小声で歌うと、「こましゃくれた子ぉやこと(大阪弁:大人びたことをする子)」と、周囲の大人から言われ続けた小学生時分の姿が浮かんできた。

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2012年5月 5日 (土)

しょぉね(性根)の入らん話

議員答弁程、伝わるものがない話し言葉もない。
そのひどさに、
「なんでこないに、こっちに響いてこんのやろ?」
かなり前から呆れる域を超え、憤りになっていた。

「なんでやろ?」
「この疑問を解決する、うちの腑に落ちる言葉はなんやろか?」
ず~っと、嫌な思いしか抱けない国会議員の話しぶりをTVで見かける度に、考えてきた。

過日、瀬戸内寂聴さんが聴衆に話している姿を見て、
「あっ! これや!! ここが違うねん。議員が話す姿勢にチョロチョロ見える〝責任逃れ〟の姿勢がないんやもん」

寂聴さんの話しぶりには、
「一言一句、ここで喋った言葉の責任は私がとります」の気持ちが、こちらに伝わる。
「責任はうちがとるという、しょぉね(性根)<大阪弁:根性、気持ちを込める>入ってるさかいに、心に響くんやわ」
と合点した。
「そやから、〝責任、とりたない〟〝足、すくわれたない〟の臭いがする議員の言葉に、うちはイラッとすんねんな」

全く、しょぉね(性根)の入らん話は聞くに耐えられない。

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2012年5月 2日 (水)

お肌のハリ

母は、昭和11年(1936年)生まれだ。
私が昭和33年(1958年)生まれ。

その母は非常に長い間、
「おかあちゃん、今年でなんぼ(何歳)?」と尋ねるたびに、
「33歳」と言い張っていた。

「そやかて、あんた。おかあちゃん、ハリのある綺麗な肌やと、人からよぉ言われるんや。フフフ」と喜んでいた。
50~60歳の間だったと思うのだが、
「たえちゃん(母の呼び名)のハリのある肌羨ましいわぁ~。皺ひとつないんやさかい。そない今日も友達に言われて喜んでたら、ムクんで顔(の皮膚が)、張ってたんや!」
そんな事を言い出した。

今朝、53歳にして私の顔の肌は皺ひとつない。
そう、母と同じで、ムクんでいたからだ。
手も足も、むくみが来ている。

「体質って遺伝するもんや」
利尿効果のある紅茶やコーヒー、そしてお水を飲み、
「老廃物退散」とトイレで唱えている。

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2012年4月30日 (月)

トホホな思い

「自分のことだけやのぉて、人さんのこと、考えなならんのやで」
<対訳:自分のことだけを考えず、他人のことを考えなさいね>

こう祖母に言って育てられてきた。

私のとった行動が、結果的には人を甘やかすことになり、
「だってあなたには甘えて当然」
の態度をとられるときがある。

「これぐらい、やってくれて当たり前でしょ」から始まり、
「お金を貸して」だの、こちらに甘えてくる内容にもよるが、
「この甘えは、この先、この人にとっては何一つためにならんわ」
と思うとカチンとくる。

祖母の教えである、
「自分のことだけやのぉて、人さんのこと、考えなならんのやで」
の言葉を思い出すとき、
「失敗してしもたぁ~。おばあちゃんの言葉、取り違えもええとこやわ」
そんなトホホな思いを数限りなくしてきた。

「今日もトホホな思い、背負いながら生きていくんやわ」
これが本音だけれど、
「それがうちやわ」
自分で自分を納得させる。

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2012年4月24日 (火)

テレビのない生活

今住んでいるワンルームマンションには、テレビがない。
今年のお正月、父がそれを聞いて、
「何! テレビも買われへんのか?!」
53歳で初の一人暮らしを始めた娘を心配しての言葉と分かっているけれど、
「テレビも買われへんのか、お前は!!」
語気荒く言われると、叱られているようだ。

見かねた妹が、
「違うって。姉ちゃん、テレビ、買われへんのやのぉて、置きたないねんて」
と言葉を添えてくれた。

しかし、父の耳にはもう入らない。
何しろ、思い込みが激しい性格だ。
「テレビも買われへんとは、お前、なんでや?!」
今度は問い詰め口調に変わった。

「そやから、トッチャン(実妹をずっとこう呼んでいる)が言うてくれたよに、テレビ、部屋に置きたないねん」
と答えたが、無駄だ。
「お前、テレビくらい……どないかせぇ!」
心配から怒りに変化した父の心を落ち着かせるため、
「はぁい」
と返事をした。

『お父ちゃん、うち、もう今年で54になるねん』
心配は有難かったが、複雑な思いも同時に抱いた。

4月もあっという間に終わろうとしている。
テレビは今もって買っていない。

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2012年4月18日 (水)

「落とし所」に「話の肝」

「話が見えない」
どのくらい前から使い出したのか思い出せないが、はじめてこの言い方を聞いたとき、
『そんな表現、けったい(大阪弁:おかしい)やろ。よぉまぁ、そんなこと、言わはるわ』
内心、ムカムカしていた。

それも言うなら、
「話の内容の先が分かりません」
「話の結論が想像つきません」
ということで、
「なんで、そない言われへんのやろ?」
むかつき度は増し、果ては
「話が見えないと言うたら、なんや、かしこ(賢い・頭が良い)そうに見て貰えるとでも思てなはんのやろか。アホラシ(馬鹿馬鹿しい)」
とまで思った。

近頃は、横文字表現を除けば、
「落としどころ」
「話の肝」や「肝となる所」
「背骨となるのは○○なわけで」
パッと思いつくのは、こんな言葉の使い方だ。

「落としどころ」→「話がまとまる所・内容・合意点」
「話の肝」や「肝となる所」→「話の最も重要な部分」
「背骨となるのは○○なわけで」→「話のきちんと1本筋の通っていることは、○○ということで」

わざと業界人ぽく見せたい意識が奥底に潜んでいて使っている人もいる。
この言葉しか知らないから、誰に対しても同じ言葉を使う人もいる。

「どっちにしたかて、うちはこんな言葉をしたり顔で言う人はかなわん! あぁ~、イヤヤ、イヤヤ」
と思ってしまう。

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2012年4月17日 (火)

ほんま、ええ場所やねん

現在、都内 神田のワンルームマンションで一人で住んでいる。
快適な暮らし、だった。
ところが、元々部屋中一杯に敷き詰めてあったカーペットの埃のせいか、女、53歳の体調変化の時期にぶち当たっていたのか、理由は定かではないが、喘息発作を起こすようになった。

「よぉ考えてみたら、うちは父方・母方共に、喘息もちの人がいたわ」
気になって、妹に電話で話すと、
「姉ちゃん、ほれ、去年、うち、ものすご喘息出て、ほんで治療してたの、言うてへんかったった?」
と言われ、
「……聞いたよな、聞かんかったよな」
と曖昧な返事をしてしまった。


関西に月に一度、主宰する文章教室の授業をするために帰る。

毎月第2の日曜日の早朝に神田を出て、午前6時台の新幹線に乗車。
東京→新大阪→梅田→兵庫県:西宮北口教室(授業)→奈良県:学園前教室→大阪(泊)
翌月曜日の朝、宿泊先の地、大阪を出発。
京都府:丸太町教室(授業)→大阪府:大阪市京橋教室(授業)→新大阪→東京着。
山手線なら東京駅から一駅乗車ですむ神田。そこで降りて、自宅に戻る。

この日程があるので、東京駅に近い神田は
「ほんま、ええ場所やねん」
ということで、〝喘息の改善になれば〟で、現在の住居の近所でフローリングのマンションを探した。

「喘息発作がおこるやなんてなぁ~」
老いとまではいかないが、加齢による体の変化は日々感じるようになった。

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2012年4月11日 (水)

ツケでこぉた花かんざし(ツケ<月末清算>で買った花かんざし)

満開の桜の花を下から見あげて、
「ほんまに、花かんざしみたいや~」
溜息を洩らしながら、見入ってしまう。

小さな頃、花かんざしを数本持っていた。
髪が長く、普段は祖母に三つ編みにして貰っていたが、お正月には、祖母行きつけの〝髪結いさん〟(=美容院)で、『新日本髪』を結い上げて貰っていた。

「今年は、ほんちょっと桃割れみたいに、ゆうて(結って:ゆって)みたけど。おばあちゃん、どないです?」
必ず、髪結いさんは祖母に確認をとって、
「よぉでけたわ。赤い鹿の子も髪の間から見えて、映えるなぁ。よろし、よろしわ」
と祖母は応えた。

その後、今年用意の花かんざしを前髪部分にそっと挿し入れて、出来上がりだ。

昭和30年代半ば、花かんざしは、年末になると祖父に手を引かれて、町の小さな化粧品や髪飾りなどの小間物を置いている店に買いに行った。
買ってくれることに、正直、喜びはなかった。
というのも、
「ツケ(大阪弁:<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫 より抜粋>月末勘定)にしといてんか」
そういうのが分かっていたからだ。

まだまだ幼い子が、ムスッとした大人びた表情で祖父を見て、
「どうせ、ツケなんやろ」
と言ったことを鮮明に覚えている。
『おじいちゃんやのぉて、おばあちゃんが払うんやろ』
と思うと、申し訳なくて、祖父に笑顔は見せられなかった。

しかしだ。
髪結いさんで、花かんざしを挿して貰った瞬間から、嬉しくて、笑顔は一日中持続した。

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2012年4月 6日 (金)

Facebookで桜咲く

Facebookでは、職種や年齢が異なる色んな人と繋がる。
「けど、うちの友達は、やっぱり、ライターや出版関係の人が多いかも」
友達リストを見て、そんなことを思った。

桜が一気に咲いた。
そのせいか、桜に関する思いを短く綴った書き込みに目が行く。

ある人が新古今集から、桜の句をあげれば、
「では、私が思い出すのは」と、別の人は徒然草から出典の一句を出してくる。
こうして桜を詠んだ句を書き込みながら、Facebook上でやり取りが続いていた。

そこに参戦した私。
書き込みは下の文章だ。
『生涯を恋にかけたる桜かな      鈴木真砂女
この句、「さすがやなぁ~。うち、死ぬとき、こない言うたろ」と思てますねん。フフフ☆☆』

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2012年4月 4日 (水)

どないも、こないも

脱水機が故障した。
今のワンルームマンションは狭くて、洗濯機を置く場所すらない。
それを承知で、都内に不慣れで、病的方向音痴の私が
「ここが、一番、ええのとちがうやろか」
と思って借りた部屋だ。

洗濯は一日の始まりか、一日の終わりの、
「うちには、のぉては困る(なくては困る)」行為だ。

洗濯機は設置不能でも、
「脱水が……手ぇでは絞りきられへん」
それで、小型脱水機をネットで探して買った。

毎日、よく働いてくれた。
しかし、今朝、突然動かなくなった。
「あんた、ここがこんじょ(根性)の見せどころやで!」
「今までよぉ働いてくれたのは、うちが知ってる。けど、も一遍、お気張りやすな!!」
声を掛け、なだめもし、すかしもしたが、動かない。

保証書を探して、メーカーに電話をした。
朝から今日の開始行為につまずき、
「どないも、こないもなりまへん(どうにも、こうにもならない)」
事情を説明する声が、自分でも『ほんま、情けない声やわ』と思った。

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2012年3月27日 (火)

タラタラ続く文句垂れは、あきまへん

顔を洗いながら、
「出ぉてかなわんと思う人は……」と、ふと思い、
「文句垂れ(もんくたれ:文句ばかり言う人)で、それもタラタラ、タラタラ、いつ終わんねんと思う人」
鏡に向かって言ってから、
「機嫌よぉ起きたのに、なんで、こんなこと、考えたんやろ?」

そう思ってここ数日の行動を振り返った。
キーワードは、〝タラタラ文句〟で引っ掛かってくる人だ。

「思い出しましたがな。フフフ」
たまたま入った喫茶店で隣の席に座った女性が、友人と思しき人に喋っていた。
その中年女性は不満げな様子ではあったが、大して表情も変えず、口調も変わらず、聞かされている女性の方も「ふん、ふん」と単調な相槌を打っていた。

『明るい話でないことだけはたしかやわ。なんのことやら、こっちにはトンと分れへんけど、あの調子やったら、タラタラと文句ばーかり続くのやろなぁ~』
そんな印象だけ持って、私は早々にその店を出た。

大阪弁のタラタラは、<大阪ことば事典 牧村史陽 編 講談社学術文庫>によると、
『タラタラ【滴滴・垂垂】(副) たらたらと水のしたたるように、物事をつづけざまにする意にいう。』
とある。

パッキンが緩んでなかなか水の滴が止まらない洗面所の蛇口を閉めながら、
「タラタラやなんて、ほんまに大阪弁は、うまいことでけてるわ」と感心した。

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2012年3月23日 (金)

優しいキス

昨夜は27歳のイケメン:キイチと神田で食事をした。
うちの長女のアイの幼馴染で、私にとっては愛しい息子そのものだ。

もう24年も前のこと。
キイチとアイが3歳の時、キイチ一家は仕事の都合で実家のある静岡に帰ることになった。
新大阪の新幹線ホームで、車両のドアを境に、私はアイを抱き上げ、キイチはキイチのママに抱っこされて向き合っていた。
もうすぐドアが閉まる直前、キイチがアイの頬を小さな両手でそっと包み、優しくて切なさが伝わるようなキスをした。
その行為を目の前で見た母親たちは、「へっ?!」と唖然としたまま固まった。

やがて、ドアは静かに閉まり、新幹線は滑るように走り始めた。
抱きかかえたままのアイを見れば、何事もなかったかのように、
「バイバイ」と遠のく新幹線に手を振り続けていた。
一方、キイチはドアが閉まってから、
「アイとは別れたくなかったんだよ~」と京都まで泣き続けたと、後日、キイチのママからの電話で知った。

そんなことがあったキイチは、結婚も考える年齢の立派な青年になった。

家族関係も、家族のそれぞれの性格まで知っているキイチとの話は尽きない。
二人で向き合いながら、色んな話をした。

とろけるような楽しいひと時を過ごすことができたほっこり感は、今朝も続いている。
「あぁ~、しあわせ~」で、今日も一日が始まった。

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2012年3月20日 (火)

みなまでゆわんかて分かりまっせ(=全て言わずとも分かる)

2軒隣の家の前に、トラ猫が日向ぼっこをしていた。
「ぬくぅて、ここやったら、ええ塩梅やな」
屈(かが)んで声をかけると、慌てて家の中に入ってしまった。

「トラちゃん(勝手にこの時に付けた名前)、あんた、そない怖がらんかて、ええって。うち、なーんにもせぇへんさかい。トラ、ほら、出てきてみ。ここ、ここ、おいで」

すると、トラは出てきて、私と目を合わせた。
「うん? どっか他の猫と、この子、違うねんなぁ。どこやろ?」
顔の様子が……どうも、違う。
「あっ、鼻提灯が出てる!」
響いてくる喉のゴロゴロ音もやけに濁っている。

「まぁ、トラ、あんた、鼻水垂れるわ、息はしにくわで、しんどいやろ。かわいそうに」
トラはすり寄ってきて、
『そうだすねん。この季節、かないまへんわ』
場所は神田だ。
こんな大阪弁で喋ることもないだろうが、トラの気持ちとしてはこんなもんだと解釈した。

「あんな、うちかてアレルギーあんねん。みなまでゆわんかて、よぉ分かる」
背を撫でると、トラの鼻提灯はさらに大きく膨れて、はじけた。

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2012年3月10日 (土)

三途の川は飛んで来い

3つか4つの頃に、母方の曾祖母が亡くなった。
今、息を引き取ったばかりだという曾祖母の布団の横に、母が泣いて座り、幼い私がそのねきに(大阪弁:そば)に正座していた。
その光景は実にはっきりと覚えている。

そうして自宅で息を引き取る姿、いや、実際には息を引き取った後の姿を見た。
曾祖母の死は、非常に自然な形だと、小さくても受け入れることができた。

「こんな小さかったら、死ぬって、どんなことかわからんやろ」という人もいるが、
「この目の前で寝てるよなひぃおばあちゃんは、もう動けへん人になってしもたんや。お喋りもせぇへんねんわ」
そんな思いで、横たわる曾祖母を見て、すぐねきで泣いている母を感じていた。

生の延長に死があると思ったのは、もっと先のことだが、原体験はこの時点だ。

私は今年で54歳になる。
そこそこ生きてきたし、満足感もある。
「このまま生きて、その先に、ふ~っと知らん間ぁに、死んでいくのやろなぁ」
そんなことも考えないでもない。

体調不良の時に、ほん、たまーに、彼岸にいる私を溺愛していた祖父が、
「おい、三途の川なんぞ、渡らんでもええ。ビューンと飛んで来い。おじいちゃんが待ってたるさかいに」の声と、
「何いうてはんのや、この人は。成美、あんたは、まだまぁ、こっちにこんかてええのやで。ほんまにもう、おじいちゃん、ええ加減にしぃ!」
の祖母の声が耳の奥で聞こえるときがあって、一人、ケラケラと笑ってしまう。

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2012年3月 6日 (火)

けちくさいことしぃなや(=ケチケチしないでね)

昨夏、都内で初の一人暮らしを始めるまで、一体、何度転居したのだろうか?
結婚してるときに5回。
離婚して3回。
そして、一人暮らしの今で1回。

「ほぉ~、9回目がこのワンルームマンションやわ」

その間に、私がほしかったのは、自分専用の文机だけだった。
本は、段ボールに入れてでもどうにか収納がつくが、
「気持ちよぉ書ける場所だけはほしい」とだけ思ってきた。

結婚している間は、夫主体の生活で、専用文机の夢は叶えられなかった。
離婚してから、転居のたびに大きさや形が変わり、使う文机の形態は変わったが、夢は叶った。

9回の転居を経た娘に、母は毎回言う言葉がある。
「あんた、鏡台ないやないの。ほんまに、もう、家具屋の娘やのに、けちくさいことしぃなや」

母は嫁入り道具の鏡台を大事に使い、その三面鏡の前で、朝の化粧をし、夜にはきちんと化粧を落として休む。
鏡台の前から一日が始まり、三面鏡の鏡を閉じて一日が終わる。
その母からしてみれば、転居を繰り返すたび、
「あんた、鏡台は?」と私に問い
「えっ? いらんもん」と答えられ、
そこを押して何とか、
「そやけど、姿見くらいはいるで。せめて出かけるときには、全身見てから出ていかな」
というので、壁掛け用の姿見だけは、どこの家にも吊るしてあった。

「家具屋の子ぉが、けちくさいことしぃなや」
と言われ続けてきたが、
「これから先も、うち、鏡台も三面鏡も、ドレッサーも使えへんやろなぁ」
母には悪いが、今朝も小さな手鏡でリップだけを塗ってそう思った。

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2012年3月 4日 (日)

ほな、また明日

小さな頃、ただただ心地よい時間と空間を与えてくれた人がいた。
9歳年上のカヨチャンだ。

大人ばかりの世界で暮らしていた私は、実母が案じるほど、子どもと遊べない子どもだった。
ただ9歳も年齢が離れてしまうと、まるで大人と子どものような関係が成立したので、私にとってはカヨチャンは、大の苦手の子どもではなかった。
当時、遊び相手のいない3歳の私は、カヨチャンが学校から帰っくるのをひたすら待っていた。

カヨチャンの他に、その頃の町内にはエミチャンや、エミチャンのお兄ちゃんのタケッチャンもいたが、私はとにかくカヨチャンを頼りにし、甘えていた。

「テーチャン(私の小さな頃の愛称)」と声をかけてくれ、
ほんの少しだけ首をかしげて私の顔を覗き込み、
「今日は何して遊びたい?」
「喉、乾いてない?」
そう尋ねて貰えるのが嬉しかった。

嬉しいのにニコリともせず、オカッパ頭の私は右上にあるカヨチャンの顔を、ほんの少しだけ仰ぎ見て、
「あんなぁ~」と話し始める。
ただただ心地よい空間と時間がそこにあった。

それは、3歳の頃から50歳を過ぎても変わらない光景だった。

カヨチャンが突然亡くなって1年4ヶ月が過ぎた。
ようやっと「お墓参りに行ってみよ」と気持ちの整理がつき、昨日、初めてお参りしてきた。

帰り際、「カヨチャン、バイバイ」と言った時の気持ちは、幼い日の夕方、町内で遊んで別れる時に
「ほな、テーチャン、また明日」とカヨチャンが言い、
「うん……カヨチャン、バイバイ」と手を振って別れた気持ちと同じだった。

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2012年3月 1日 (木)

せんないこととは分かっていても

「今後の仕事の広がりを望むのなら、facebookを使った方がいい」
「twitterもした方がいい」
「facebookもtwitterも、どちらを先に始めてもいいけれど、どちらもした方がいい」

私の周囲でもこんな意見を聞き、
『どこか本意ではないんやけど……』
の思いが消えないままで、facebookだけは今も、ほん、たま~に書いている。

知り合いの誰かが書いた『○○駅前で、ラーメンなう』
そんな文字を見て、
「へぇ~」で終わるときもあれば、
「まぁ、えらい今日は遠い所で仕事してるんやわ」と思うこともある。

プライベートな情報と、会社で行っている新企画案内の情報を、どんな割合で入れていくかも考えて行っている人も多く、その事実に
「えらい、賢い人やこと」
と素直に尊敬もする。

けれど、私は少なくても
『○○でラーメンなう』は書かない。
私の基準では、それはあまりにも私的過ぎる情報だからだ。
ただし、『○○でラーメンなう。トッピングにダチョウの煮卵』とか、「えっ! そんなんありなん?!」と驚くような事実があると、写真付きで載せると思う。

せんないこと(大阪弁:仕方がない)とは分かっていても、
ひっきりなしにiphoneなどで、今、身の回りに起こった〝あまりにも私的過ぎる情報〟を文字入力している人の姿を見ると、
「うちにとっては、せちからい(世智辛い:世渡りがしにくい)ことになったわ」と思う。

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2012年2月16日 (木)

おおきに、おおきに、ありがとうございます

人は、「病気になって、健康の有難味を知る」と言う。

いつもは当たり前だと思っていたことが、何かが起こって、当たり前のことが、いつものように当たり前にできなくなって、はじめて、
「なんと恵まれていたんやろ」と気づくということだろう。

昨夏、都内に転居してきてから、長らく暮らした大阪での生活を思うと、
「あぁ、うちは、なんと人に恵まれ、可愛がってもろてきたんやろ」と気づく。

どんなときも、誰かが
「あいつ、みといたらなあかんがな」
「時々は、気ぃつけといたらなな」
「なんし(=何しろ)、あいつ、天然やさかい」
そんな気遣いをして貰っていたのだと感じる。

今も気遣ってくれる友人・知人がいて、有難いと思う気持ちに変わりはない。
こちらに来て気持ちが萎えた時、体力が落ちた時、優しくして貰うと、つい、
「そないいうたら、大阪では○○さんが」と浮かび、
「そやそや、◆◆さんも。あっ、そうや△△さんも……」と脳裏に顔がよぎる。

「人さんに助けてもろて、今のうちがあるのやわ」
大阪でも東京でも、周囲の方々の気遣いや助けがあって、日々を過ごしている。
気持ちの上では、毎日、
「おおきに、おおきに、ありがとうございます」と手を合わせている。

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